みみかほう

こころの耳をすませて すてきな果報にであいたいとおもいます。

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● 水戸天狗党

2010年05月18日 | ✿おでかけ
「水戸天狗党って、知ってるか?」と、父。

「え~?天狗納豆がその水戸天狗党から来てるということくらいしか…。」と、私。



今回の≪孫巡りツアー≫
水戸は、そうなんです。

私にとっては、この水戸天狗党をお勉強する旅でもありました。

どうぞ→水戸天狗党


幕末のあの時期。


あのむごい安政の大獄では、8名が処刑。けど、
水戸天狗党は、なんと…352名もの方々が死罪となった!そうなのです。



かいつまんで、
いえ、かいつまんでしまっては、申し訳ないのですが、
父の話を整理すると…


尊王攘夷であった水戸藩。
ところが、水戸出身の第十五代将軍、徳川慶喜は、開国に傾いてしまう。


いやいや、それはないよ!

で、慶喜公に物申そう!と結成されたのが、水戸天狗党。


筑波山で、決起し、慶喜のいる京都へいざ!


この思いに賛同した面々には、女性も子供もいたそうです。


死罪。を命じたのは、当の慶喜でした。



まず、おじゃましたのは、
『映画“桜田門外ノ変”のオープンセット』

『偕楽園』のそば、千波湖のほとりに組まれていました。


「桜田門外ノ変」映画セットオープンセット



桜田門外の変は、水戸藩の志士らが、井伊直弼を襲ったあの事件ですか、


血のり彦根藩の合羽



水戸藩主、徳川斉昭は、安政の大獄でこの井伊直弼に、致仕謹慎を命じられていたのです。



この徳川斉昭が、造ったのが、水戸『偕楽園』と『弘道館』


好文亭好文亭

好文亭は、『偕楽園』内に建っています。


春を終えた偕楽園初夏の偕楽園



『弘道館』は、水戸天狗党などの若き志士たちが学んでいた藩校。

そして、大政奉還後、徳川慶喜が謹慎していた場所でもあります。


弘道館弘道館



藤田東湖
武田耕雲斎
なんていうお名前も、初めて知りました。



今、テレビで放送されてる「龍馬伝」
徳川慶喜が登場していますが、
裏では、まさに、その頃、水戸天狗党352名の処刑を命じているのですよ。



国を思う。

幕末のあのピンポイントの期間に、壮絶な駆け引きが行われていた。



まだ、まだ、知らないことばかりです。



この画像は、『西山荘』です。

西山荘西山荘


水戸の第二代藩主、徳川光國がここに隠居して、
大日本史を編纂しました。


茅葺茅葺



徳川光國から数えて、徳川斉昭は、第九代水戸藩主。



光國が、幕末の水戸藩の動乱を知ったなら、大いに嘆かれたことでしょう。


黄門さま黄門さま




第1回≪孫巡りツアー≫レポ ご清読ありがとうございましたあ~。






コメント (38)
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