本日(6月2日)九州北部、梅雨入りしました。
今日のブログは、カテゴリー「読書」
東野圭吾さんの最新作のお話です。
東野圭吾にしか書けない
圧倒的な密度と、
深い思索に裏付けられた
予想もつかない展開。
私たちはまた、答えのない問いに立ち尽くす。
(本の帯より。)
「人殺しの罪は命により贖うべきか」
という重いテーマ。
例によって、文中には伏線が満載です。
どの人物がどの人物とどう絡んでくるのか、
気になって気になって、ページをめくる作業がやめられません。
読み進めるうちにわかったこと
それは、本のカバーの樹林の写真は、
一歩入ると出られないという俗説がある富士山麓の樹海「青木ヶ原樹海」だと
いうことでした。
あらすじ
主人公・中原道正は、は娘・愛美を強盗に殺された被害者遺族。
事件から数年後、離婚した元妻・小夜子が路上で殺害されたという連絡が入る。
強盗目的の殺人として犯人・蛭川和男が自首してくるが、もちろん一件落着とはならない。
フリーライターとして活動していた妻の足跡を追ううちに事件の真相に近づいていく。
もう一組、物語の核となる夫婦・仁科史也、花恵が登場する。
花恵は小夜子を殺した犯人の娘で、父親のことを憎らしく思っているが、医師である夫は義父の肩を持つ。
小夜子が殺された理由が、死の直前の取材内容に関わっており、犯人の娘夫婦が何らかの鍵を握っている。
一体小夜子は何を知り、なぜ殺されたのか。
それぞれの、氏名を混同することなく、
慎重に読み進めねばなりません。
小夜子の事件を探る中で、中原は娘が殺害され、その犯人が死刑執行されるまでを再び思い起こすことになります。
本のタイトル「うつろな十字架」という言葉は、文中
・・・
「この殺人犯は刑務所に○○年入れておけば真人間になる。」などと断言できるだろう。殺人犯をそんな虚ろな十字架に縛り付けることに、どんな意味があるというのか・・・
と、
殺人犯の再犯についてのくだりに出てきます。
虚ろな十字架とは、人々に刑罰の是非を問う、象徴なのです。
小夜子は、離婚後犯罪被害者支援団体で活動し、人を殺した者は死刑にすべきという強固な思想を持つようになります。
その行動の差に、中原は困惑と自問自答を繰り返します。
そもそも娘を殺された被害者である小夜子が、なぜ殺されなければならなかったのか。
死刑という罰への見解。
罪の重さをはかる基準の曖昧さ。
事件が複雑に絡み合い、
罪と罰がねっとりと、絡み合う。
「人殺しの罪は命により贖うべきか」
という重いテーマ。
重いテーマでありながら、私は一気に読み上げてしまいました。
このテーマを一気に読ませてくれるのは
さすが!!!東野健吾さんの手腕だと思います。
6月に入りました。今月もどうぞよろしくお願いします。