日曜に東京へ観劇に行って来ました。
せっかく高い新幹線代を出して行って来るので、公演の時間が合えば、なるべく3公演観てくる様にしてます。
で、この日の1本目は名古屋の劇団、オイスターズさんの「日本語私辞典」。場所はシアター風姿花伝でした。
オイスターズさんは、新潟で「ドレミの歌」を観ていて、今回が二度目の観劇です。
これから仙台公演もあるし、DVDも出しているので、これから観る人は、感想でかなりネタバレしてるので注意です。
以下、感想です(ネタバレ)。
オイスターズ「日本語私辞典」感想。
舞台には、おおきな白い紙を貼った様なパネルが設置してある。
障子戸に紙を貼ったかの様に細かく枠で区切られている。
冒頭、前に役者が全員出てしりとりをする中、一人(平塚さん)が脚立の上に上がって、細かく区切られた枠の中に「あ」から「ぽ」の50音(+濁音・半濁音)を一語づつ書き入れる。
分かりづらいと思うので、簡単に絵を描くとこんな感じ(歪んでしまった)。
最後まで書き終えると物語が始まる。
朝起きて、両親と朝食を食べ、学校に行って試験を受け、友達と話をする。
基本はこの繰り返しなのだが、その繰り返しの中で少しづつ言葉が失われていく。
例えば「野郎」はいらないという会話が出て来ると、バックのパネルにある「や」と「ろ」と「う」の言葉が、カッターで切り取られて、穴が空いてしまう。
そうすると、それ以降の会話の中で「や」と「ろ」と「う」の文字が使えなくなってしまうのだ。
そして使えなくなった言葉の物は、その世界から存在が無くなってしまう。
「か」が無くなると、お母さん(おかあさん)が世界から無くなってしまう。そうなると主人公は、慌てて「お母さん」を「母(はは)」と言い換え、母を救うのだ。
「す」が無くなると、椅子が無くなり腰掛とと言い直し、丁寧語が言えなくなる(「です」、「ます」が使えなくなる為)。
お父さん→父(ちち)→パパと言い換えて行くが「パ」が無くなった段階で、お父さんは世界から消えてしまう。
ドンドンと言葉が無くなって行き、会話もおぼつかなくなっていくのだ。
アイデア勝ちですね。
50音を使ったロジカルな作りがとても素敵で楽しめました。
小林賢太郎の作品に似た感触を少し感じたかな。
せっかく高い新幹線代を出して行って来るので、公演の時間が合えば、なるべく3公演観てくる様にしてます。
で、この日の1本目は名古屋の劇団、オイスターズさんの「日本語私辞典」。場所はシアター風姿花伝でした。
オイスターズさんは、新潟で「ドレミの歌」を観ていて、今回が二度目の観劇です。
これから仙台公演もあるし、DVDも出しているので、これから観る人は、感想でかなりネタバレしてるので注意です。
以下、感想です(ネタバレ)。
オイスターズ「日本語私辞典」感想。
舞台には、おおきな白い紙を貼った様なパネルが設置してある。
障子戸に紙を貼ったかの様に細かく枠で区切られている。
冒頭、前に役者が全員出てしりとりをする中、一人(平塚さん)が脚立の上に上がって、細かく区切られた枠の中に「あ」から「ぽ」の50音(+濁音・半濁音)を一語づつ書き入れる。
分かりづらいと思うので、簡単に絵を描くとこんな感じ(歪んでしまった)。
最後まで書き終えると物語が始まる。
朝起きて、両親と朝食を食べ、学校に行って試験を受け、友達と話をする。
基本はこの繰り返しなのだが、その繰り返しの中で少しづつ言葉が失われていく。
例えば「野郎」はいらないという会話が出て来ると、バックのパネルにある「や」と「ろ」と「う」の言葉が、カッターで切り取られて、穴が空いてしまう。
そうすると、それ以降の会話の中で「や」と「ろ」と「う」の文字が使えなくなってしまうのだ。
そして使えなくなった言葉の物は、その世界から存在が無くなってしまう。
「か」が無くなると、お母さん(おかあさん)が世界から無くなってしまう。そうなると主人公は、慌てて「お母さん」を「母(はは)」と言い換え、母を救うのだ。
「す」が無くなると、椅子が無くなり腰掛とと言い直し、丁寧語が言えなくなる(「です」、「ます」が使えなくなる為)。
お父さん→父(ちち)→パパと言い換えて行くが「パ」が無くなった段階で、お父さんは世界から消えてしまう。
ドンドンと言葉が無くなって行き、会話もおぼつかなくなっていくのだ。
アイデア勝ちですね。
50音を使ったロジカルな作りがとても素敵で楽しめました。
小林賢太郎の作品に似た感触を少し感じたかな。