元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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インドネシア独立記念日・・・独立なくば死あるのみ!

2013年08月16日 13時00分45秒 | バリ島 インドネシア全般(風習 習慣)


明日の・・・
8月17日は・・・
インドネシアの独立記念日・・・

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ちょっと・・・
簡単ですが・・・
歴史をおさらいすると・・・

1945・・・
8月15日・・・

日本が降伏し・・・
太平洋戦争が終結・・・



インドネシアは・・・
350年間もの期間・・・
オランダの植民地でした・・・

その後・・・

日本降伏までの・・・
3年4ヶ月の間は日本の・・・
占領下となっていました・・・

1945年・・・
8月17日・・・
日本の降伏の2日後・・・
インドネシアは独立を宣言します・・・



しかし・・・
オランダは独立を認めず・・・
インドネシアの再植民地化に・・・
乗り出すのです・・・

この為・・・
インドネシア独立軍と・・・
オランダ軍による戦争が開始されます・・・



当初・・・
オランダは・・・

350年間の・・・
統治実績から考え・・・
インドネシア人は・・・
戦う気概も武器も無く・・・
戦法も知らないだろう・・・
と、思っていたと言われています・・・

しかし・・・
日本統治の3年間で・・・
インドネシア全国民の意識は変わり・・・

特に・・・
バリ島の・・・

独立義勇軍総司令官・・・
ングラ ライに宛てた・・・
降伏命令書に対する返書に書かれた・・・

“Merdeka atau Mati”
(ムルデカ アタウ マティ)
“独立なくば死あるのみ”

すなわち・・・

“独立出来なければ死を選ぶ”¥
と、書かれた言葉は・・・

オランダを畏怖させたのみならず・・・
全土の義勇軍の合言葉になったのです・・・



この戦いの中でも・・・
特にスラバヤのジュムバタン メラ・・・
(赤い橋/血に染まった橋)
の戦闘の話が有名です・・・

独立の・・・
気運に燃える・・・
インドネシア人の・・・
執拗且つ勇猛果敢な抵抗と・・・

オランダに対する・・・
世界からの激しい批判の前に・・・

1949年・・・
12月29日・・・

インドネシアは・・・
本当の意味でオランダから解放されて・・・
ようやくインドネシは独立を果たします・・・


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ちなみに・・・
自分の住むバリ島は・・・
1950年になってインドネシア共和国に参入・・・
1956年に州として認められたという経緯になります・・・

“ムルデカ アタウ マティ”
“独立なくば死あるのみ”

少々・・・
オーバーかも・・・
しれませんが・・・

ムルデカは・・・
日本軍が太平洋戦争に・・・
参加したがゆえに芽生えた・・・

“インドネシアの国民意識”

この様な・・・
ことからも・・・

親日感情が比較的・・・
高いのかもしれません・・・


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