
明日の・・・
8月17日は・・・
インドネシアの独立記念日・・・
ちょっと・・・
簡単ですが・・・
歴史をおさらいすると・・・
1945・・・
8月15日・・・
日本が降伏し・・・
太平洋戦争が終結・・・
インドネシアは・・・
350年間もの期間・・・
オランダの植民地でした・・・
その後・・・
日本降伏までの・・・
3年4ヶ月の間は日本の・・・
占領下となっていました・・・
1945年・・・
8月17日・・・
日本の降伏の2日後・・・
インドネシアは独立を宣言します・・・
しかし・・・
オランダは独立を認めず・・・
インドネシアの再植民地化に・・・
乗り出すのです・・・
この為・・・
インドネシア独立軍と・・・
オランダ軍による戦争が開始されます・・・
当初・・・
オランダは・・・
350年間の・・・
統治実績から考え・・・
インドネシア人は・・・
戦う気概も武器も無く・・・
戦法も知らないだろう・・・
と、思っていたと言われています・・・
しかし・・・
日本統治の3年間で・・・
インドネシア全国民の意識は変わり・・・
特に・・・
バリ島の・・・
独立義勇軍総司令官・・・
ングラ ライに宛てた・・・
降伏命令書に対する返書に書かれた・・・
“Merdeka atau Mati”
(ムルデカ アタウ マティ)
“独立なくば死あるのみ”
すなわち・・・
“独立出来なければ死を選ぶ”¥
と、書かれた言葉は・・・
オランダを畏怖させたのみならず・・・
全土の義勇軍の合言葉になったのです・・・
この戦いの中でも・・・
特にスラバヤのジュムバタン メラ・・・
(赤い橋/血に染まった橋)
の戦闘の話が有名です・・・
独立の・・・
気運に燃える・・・
インドネシア人の・・・
執拗且つ勇猛果敢な抵抗と・・・
オランダに対する・・・
世界からの激しい批判の前に・・・
1949年・・・
12月29日・・・
インドネシアは・・・
本当の意味でオランダから解放されて・・・
ようやくインドネシは独立を果たします・・・
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ちなみに・・・
自分の住むバリ島は・・・
1950年になってインドネシア共和国に参入・・・
1956年に州として認められたという経緯になります・・・
“ムルデカ アタウ マティ”
“独立なくば死あるのみ”
少々・・・
オーバーかも・・・
しれませんが・・・
ムルデカは・・・
日本軍が太平洋戦争に・・・
参加したがゆえに芽生えた・・・
“インドネシアの国民意識”
この様な・・・
ことからも・・・
親日感情が比較的・・・
高いのかもしれません・・・
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