さて何ゆえに見知らぬ国、イラン、アフガンに学校を
などと、大それた考えをもったのか。
私はNPOでもNGOのメンバーでもないし、特段裕福な
篤志家でもない。
その当時、阪神大震災から6年目を向かえた時、
事務所が全焼し、すべてをなくして閉まったが
思いきって借金もできたので、一日も早い事務所の
復興をめざし、がむしゃらにつき進んだ。
元は建築設計事務所が本来の仕事だが、いつしか
震災後は工事にも手を染めて、建築業者になっていた。
業界のジンクスで設計事務所が請負をすれば必ずつぶれる
との先輩たちの忠告が日に日に身にしみる状況になって
もうすでに、自転車操業そのものになり、支払いと
収入の見合いがつかなく、仕事は一生懸命にやるのだが
経営としてはまったくなっていなかった。
従業員が帰ったあと、事務所に残り、いつ事務所をたたもうか
などと、悶々とした日が続いており、このまま消えてしまいたい
など、鬱的な状況にもなっていたのである。
そういった人間が突如、イラン、アフガンに学校を建てようと
現地にいくきっかけとなったのは、新聞の記事を見たことが
きっかけとなった。 次号
などと、大それた考えをもったのか。
私はNPOでもNGOのメンバーでもないし、特段裕福な
篤志家でもない。
その当時、阪神大震災から6年目を向かえた時、
事務所が全焼し、すべてをなくして閉まったが
思いきって借金もできたので、一日も早い事務所の
復興をめざし、がむしゃらにつき進んだ。
元は建築設計事務所が本来の仕事だが、いつしか
震災後は工事にも手を染めて、建築業者になっていた。
業界のジンクスで設計事務所が請負をすれば必ずつぶれる
との先輩たちの忠告が日に日に身にしみる状況になって
もうすでに、自転車操業そのものになり、支払いと
収入の見合いがつかなく、仕事は一生懸命にやるのだが
経営としてはまったくなっていなかった。
従業員が帰ったあと、事務所に残り、いつ事務所をたたもうか
などと、悶々とした日が続いており、このまま消えてしまいたい
など、鬱的な状況にもなっていたのである。
そういった人間が突如、イラン、アフガンに学校を建てようと
現地にいくきっかけとなったのは、新聞の記事を見たことが
きっかけとなった。 次号