さてイランになぜ関心をいだいたのか、
時は今から7年前、日韓共催のワールドサッカーが開催され
日本が16位に入り、韓国がイタリヤ戦で奇跡的な逆転劇
を行いベスト4に入ったときだった。
しかし、当時私は事務所の支払いでそれどころではなく
このままだと、倒産だとの日々重苦しい日々をすごしていたとき
この韓国イタリア戦を見て、それまでの重たい空気が晴れ
「やればできる」との命のそこから湧き上がる力を感じた。
その夜、試合を観戦し一人興奮し韓国の勝利に一人で
隣のスーパーでビールを買って祝杯を挙げたのだが、結果
飲みすぎて、そのまま、事務所のいすで眠り朝を向かえたのだが
酔いgふぁさめたらまた現実の悩みからは開放されてはいなかった。
そんな、朦朧とした状況で新聞を見たら、
イラン北西部で地震という記事を目にしたのである。
それは、阪神大震災で受けた被災をもう一度自分の中でよみがえり
人事ではないように思い、その朝、阪神大震災から国内および世界の
被災地に支援を行っているNGOの活動を行っている、村井雅清氏の
事務所をたずねる事とした。
時は今から7年前、日韓共催のワールドサッカーが開催され
日本が16位に入り、韓国がイタリヤ戦で奇跡的な逆転劇
を行いベスト4に入ったときだった。
しかし、当時私は事務所の支払いでそれどころではなく
このままだと、倒産だとの日々重苦しい日々をすごしていたとき
この韓国イタリア戦を見て、それまでの重たい空気が晴れ
「やればできる」との命のそこから湧き上がる力を感じた。
その夜、試合を観戦し一人興奮し韓国の勝利に一人で
隣のスーパーでビールを買って祝杯を挙げたのだが、結果
飲みすぎて、そのまま、事務所のいすで眠り朝を向かえたのだが
酔いgふぁさめたらまた現実の悩みからは開放されてはいなかった。
そんな、朦朧とした状況で新聞を見たら、
イラン北西部で地震という記事を目にしたのである。
それは、阪神大震災で受けた被災をもう一度自分の中でよみがえり
人事ではないように思い、その朝、阪神大震災から国内および世界の
被災地に支援を行っているNGOの活動を行っている、村井雅清氏の
事務所をたずねる事とした。