ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

小説「祖父の履歴書」       金 山 忠

2013年06月12日 | Weblog
 私の祖父が今この世にいれば今年でちょうど112歳になる。
日本名「中山八郎」こと秉元(チョピョンオン)と名乗った。
正確な年月は不明だが、1920年(大正9年)ごろ韓国の全羅北道南原郡朱川面から
日本に渡ってきた。
当時19歳で日本に渡ってきた。戸籍から調べれば、福岡県鞍手郡にきてそこで結婚し
大分、宮崎と移動して、二男4女をもうけた。
 私の父親、叔父、おばさんは次女のみ残り、父親を含め、この世を去った。
今頃になって、何故に祖父の話をもう一度確認してみようと思ったのは、私自身が60歳を
来月に迎えること。自分自身の残された人生の時間を最近強く思うからであり、病気などで
寿命の期限を宣告されたのではなく、命の終焉の自己申告とでもいうべきことをむしろ
元気な時に行っていくべきではないかと思ったからだが、そうなると、やはり
自分が歩んできたその前の根っこの原因のようなものをしきりにまとめ卓なったからです。

 昨年は在日100年という節目を迎えました。
祖父から数えて私で3世になります。