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ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

韓国人は民族至上主義からの脱却を

2007年05月16日 | Weblog
 朝鮮日報の記事を久方ぶりに読んだ。国内、国外に問わず。
外国人から見た韓国人は自分本位で対応性がない身勝手なところが多いまたアメリカ人からは敵対国の3位に位置する警戒されている国家であるとも言われ、対日本に対しては親日か反日かの狭小な視点から抜け出せない。
こういった民族主義的発想は、民族至上主義の考え方からぬけだせない環境があるからで、思えば我々在日コリアンもおおいに見つめ直す点が多い。
片や民族至上主義を掲げながら、実際の行動は日本を模倣すること我多く、矛盾が多いのも現状で、民族至上から真理至上へと移行しなければならない、視点を変えよう。
単に日本の歴史認識を問うばかりではなく。

山古志の山菜

2007年05月16日 | Weblog
 先日山古志虫亀の養鯉業田中重雄さんから宅配便で山で取れたぜんまいが届いた。結構な量がありすでに調理された状態で、近所の人に一部あげると、こんな大きなぜんまいは初めてで、味もいいという。
最近では山が荒れてしまって、このような山菜は珍しくなった。まだまだ豊かな自然と環境の中に山古志があり、震災で被害を受けたものの、着実に復興への道のりをあゆんでいるようだ。電話できけば、今が養鯉業の最盛期でありとても忙しいと、錦鯉発祥の地である山古志村、豊かな自然、そして人、日本の原風景がそこにある。美しい日本という言葉にふさわしいところでもある。



春雪解けの山古志虫亀

JR須磨駅周辺

2007年05月14日 | Weblog
 神戸須磨といえば、京阪神間で数少ない海水浴場ではその名が知られている。
又須磨一の谷は源平合戦で名高い全国の人が知るところでもある。
さて、ここ須磨駅周辺は国道2号線と海岸線を走るJRの軌道の間に住居と商店が混在する古くからある街並でもあって、特に大きな再開発工事はない。
昨今では、眺望のよさを売りものとする分譲マンションが建つのがみられるが、それも用地の取得が難しくなって、今後変わるとすれば、駅周辺の家屋の建て替えか用地の集合化を行わなければ再開発が大変難しいところでもある。
すでに、この地域の商店も小規模店舗が多いために、周辺に出来た大型店舗に押され、閉めていく人もすくなくない。
震災では大きな被災は免れたものの、時代の波に今この駅周辺が飲み込まれ大きな変幻をつげようとしている。


国道2号線  山陽電鉄須磨駅舎

鉄人28号が長田にやって来る

2007年05月13日 | Weblog
 横山光輝原作の鉄人28号、今から45年にもなる、漫画の主人公が震災復興のシンボルとし新長田再開発地域に記念館を作る計画が進んでいる。
先日は映画記念館がオープンされ、再開発地域を活性化させるために今官民上げての取り組みがなされている。
昔はこの地域では映画館が5軒、芝居小屋、パチンコ店そして飲食店、酒場、市場と商店街の抜け道の路地にいたっても、さまざまな店があった。
せのう河童氏の小説「少年A」でこの周辺の戦前、戦後にかけての状況が正確かつ詳しい内容で書かれている。
又、横山光輝氏は地元大田中学校出身とあってやはり鉄人28号との縁があってか今回の記念館設立に進んだ。
復興への強い思いの現れとともに、もう一度人が溢れる活気の長田へとの取り組みでもある。ちなみに今日は神戸祭り。
新しい街作りへの取り組みがまた始まった。

石原都知事の「田舎もん」発言を問う

2007年05月12日 | Weblog
 当選を果たした石原都知事、早速彼の毒舌が始まった。
宮崎県知事東国原知事に対しての田舎もん発言、この都知事の発言には毎回傲慢さと、品格のない、本当に小説家であったのかと疑いたくなる。
以前にも三国人発言で物議をかもしだし、中国に対しては、支那人発言等々。こういう毒舌を発するために知事になったのかと思われるぐらいのまことしやか品位にかける知事を都民が選択したかと思えば、日本の将来も怪しく思われる。
ともあれ、やりたい放題、言いたい放題、まさに現代日本の裸の王様が東京を牛耳る姿にあきれ返るばかり。石原毒舌集でも作れば充分に本となりそうで、むしろ小説を書くよりいいのではないか、石原都知事閣下殿。

山古志は山菜の季節

2007年05月11日 | Weblog
 昨日電話で虫亀の養鯉業を営む田中重雄さんに山古志の山菜(わらび)を神戸に送ってもらえないかと依頼した。というのも3年前、震災のあと雪が溶け、村に壊れた家屋の片付けやらで一時的に村へ帰るのが許されたときがあった。
そのときに、全壊した重雄さんの家の片付けの手伝いに行ったとき、昼食に山で取ったばかりの山菜をその場でてんぷらにし、みんなで食べた味が忘れないこともあって、お願いした。
当時、永年暮らした家が全壊し、家屋を解体するのは、口には出さなかったが片付けをしながら、ため息を数回聞いた。「命があっただけでも」とただ自分を慰めていたようだ。
あれから2年、今山古志は復興へと向けさまざまな動きがある、震災前の平凡な日常をとり戻すために。


写真仮設住宅で山菜を保存する作業   05年5月写す 陽光台仮設住宅にて

神戸市議 山田 てつおさん

2007年05月10日 | Weblog
 神戸市北区選出の山田哲郎市議(53)はこのたびの地方選で1万余の得票でトップ当選。自称ウルトラマン、何故かというと年間1000件以上の市民相談をこなす超過密、過酷なことをまったくいとわない。
公明党市議になるまでは、大手新聞社の広告部に勤務。多額の収入を捨て、市議に推戴され今回で3期目。市議という仕事が一生の仕事となったというが、改めて市議という役職を改めて省りみる時間はなさそうだ。
当選した翌日には、早々に朝起ちを行って当選お礼と、公約実現への行動開始。
その真摯な姿勢が選挙結果に現れた。


          神戸市北区地元支持者の店にて  真ん中山田議員

瀬戸内に浮かぶ苦悶の島

2007年05月10日 | Weblog
 岡山県虫明町に浮かぶ島、長島。ここはハンセン氏病患者の隔離病棟のある長島愛生園があるところ。詳しい歴史は知らないが、今から18年前に在日同胞がここで暮らすことを知り、当時民族機関紙の記者と訪問したことがあった。
今ではこの病気は感染する病ではないことが証明されたが、長い間、間違った認識で多くの差別と偏見で患者は苦しんだ。
我々が当時慰問に行ったときも、施設の代表が出迎えしてくれ、握手を求められ、間違ったこの病の認識などいいながら、一瞬たじろいだ私の姿を施設の代表の金さんは見逃さなかった。チョさんこの病気は感染はしませんから心配しなくてもと言われ、申しわけないことをしたと、今もって思いだす。
しばらくの滞在であったが、在日有志の慰問の品を届け、その語手紙での交流を尾kなったが、その後の消息はわからず、今年の4月の連休に施設を訪ねたが、この島に入る唯一の橋の入り口には管理所が置かれ、一般の方は入れませんとのことで
むしろ、当時より厳重な管理をしていたのが、むしろ逆行している印象を持った。
本音と建前の違うところであろうか。当時在日同胞がこの施設に60名暮らしており、ほとんどが高齢で若いときに発症しこの島に名前、戸籍をも変えて暮らしていると聞いた。
結果、発症の原因はと聞くと、やはり貧困からの生活ではないかと金さんは言った。結果遺伝性のものでもなければ、不治の病でもなく、今では治療も格段にすすんでいるが、変形した指などがやはりこの病の偏見を取ることが出来ない。
ともあれ、瀬戸内に浮かんだ長島を訪ねた。


長島愛生園の入り口  帰らざる橋といわれている。