零士の旅行記にようこそ。今回は江戸時代にあった鶴岡の藩校について施設を見学しながら学んでいきます。前回たずねた致道博物館の隣に位置するこちらの施設は、校舎が当時の様子を保ったままきれいにされていました。
さっそく門から入ってみました。
これが実際の校舎。この中でみんな学んだそうですが、一部の人は寝泊まりもしたようです。
こちらが藩校の時間割。今とは全く違ったシステムでしたが、隣の国から伝わった儒教や、漢書などを学んでおり、当時の学生の教養の深さがうかがえました。
当時の授業の様子が描かれた資料がありました。真ん中に先生が座って、その周りを生徒が囲む形で行われており、征韓論でおなじみ副島種臣の講義でした。
庄内の藩校は教育において、古文辞学派の荻生徂徠の広めた徂徠額を採用しており、実はほめて伸ばす教育の創始者なんだとか。個々の力を引き出す学習方法で学生を育成していたそうです。
当時の教科書には文字がぎっしり!漢文や歴史書が中心でした。しかし今と違って図が本当に少ないんですね。
藩校で教えられていた儒学の祖、孔子の像もちゃんと展示されていました。
当時使われていた祭器も展示されていました。
学校の授業や受験の参考書などでしか学べなかった江戸時代の学問でしたが、こうしてその様子が分かる資料を生で見ることで初めて実感がわいてきたいい勉強になりました!
お土産のだだちゃ豆もちゃんと買ってきました!
次回はイベント列車で酒田に移動し、港町の風情を味わいます。零士の旅行記、次回までごきげんよう。