https://pixabay.com/en/photos/morning/?cat=animals
夜明け前に雨音がした。まあ、珍しいとしばらくその音に耳を傾けていたが、ひとしきり降るとさっさと雨雲は東へ移動したようだ。短時間なのにかなりの雨量だった。本来ならこの地は晩秋から冬にかけて雨が多く、雨の翌日は深い霧が湧くのだが、かなりの年数になる旱魃のために、ひさしくその霧にお目にかからない。ああ、でも今頃降ると、レーズン農家はあたふたとするだろう。今月初めに収穫した葡萄を地面にしいた茶色の紙に置いていき、天日で乾燥させている途中だから、せっかく乾いてきたものが、駄目になってしまう。望まれる雨も時期尚早だと、困ってしまう事態になる。
出勤する時には、空は青く重そうな灰色の雲は山の端へ流れていた。オフィスに着けば上のような青空であった。雨が降ると、それが春でも秋でもつい口をつく正岡子規の短歌がある。もう何世紀も前に学校で習ったのに、いまでもちゃんと覚えているのは、習った時、情景がしっかり目に焼きついたかららしい。
くれないの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに春雨のふる 正岡子規
これは春雨にしっとりとあたられる薔薇だが、秋雨でもなんだか歌える短歌だと思う。そういえば私の薔薇はどうしているだろう。薔薇の芽の様子を毎日じっくりまじかに見られぬガラージの横と、フロントポーチの横に植えられているデイヴィッド・オーステインのオールドイングリッシュローズ。春と秋に咲いてくれる。その株は、ほんの少しだけ値が張るが、ぼってりと丸い花やその香りに、どうしても植えるしかなかった花たちである。もうすぐ秋の薔薇が咲き始めてくれる。
多くのハリケーンに洪水や浸水被害やらに遭遇した方々、また日本の各地での台風の水害を思うと、膝をただして、お辞儀をしたいが、乾燥した土地に住む故、その水の十分の一でもこちらに来たらよかったのに、と悔しいことである。なかなか一筋縄ではいかない自然がそこにある。