結婚して最初の10年に5人子供達が生まれ、育児に夢中で、子供達の服を作ることも普通の家事に加えてあったので、その間の世間の事情は、垣間見たイヴニングニュースで知る程度だった。その頃は勿論パーソナルコンピューターは、まだなかったし、車電話がお目見えし始めて、携帯と言ったら、懐中電灯やスイスアーミーナイフくらい。とにかく忙しい毎日で、その次の10年間も学校や楽器レッスンやオーケストラ活動やスカウト活動などの子供中心の生活だった。
一家7人暮らしでは、毎週末ウエアハウス(CostcoやSam's Clubなど)の店で買い物をしていた。食事時には子供達の友人の誰かも大抵一緒だったので、8〜10人前の調理をしたものだ。土曜日はベイキング・デイで、日曜のためのケーキ、パイを焼き、各種のクッキーを作り、朝食用に主にブルーベリーマフィンも大量に焼いたものだ。
合間を見ては、いつか大学へ行く時必要だろうキルトを一人づつに用意したくて、キルティング、タッチング(Tatting)レース、娘のドレス製作、ガーデニング、系図調査を一瞬の暇を見つけてはやった。昼間の大学勤務の片手間なのに、今思うと、よくあれだけ働いたものである。日曜日は教会だし、子供達は14歳から高校卒業まで早朝セミナリーがあった。忙しかったけれど、その渦中にいると、案外当人は、気がつかないくらい、早く日は暮れた。
やがて皆大学を終え、結婚し、とうとう夫と私が、エムプテイ・ネスターズ(空の巣族?)になったのは、四年前である。系図調査に専念できる!、図書館に入り浸れる!と喜ぶオタクな私に比べ、これからは、二人で旅行に出掛けられる、と喜んだのは夫である。確かに旅行はよくし始めたが、国内旅行は、90%が系図関係だった。いいじゃないの、あなたのご先祖だもの、と。
二人だけで行動を共にするのは、1982年以来。週末のグロサリー買い物も、ウェアハウスタイプの店舗へ行くのも、一緒で、ライドシェアで出勤もする。グロサリーストアではよく知人、友人に出会うが、「あなた方はいつも楽しそうに、まるでLove birdsのようですね。」と言われることが多い。別に特にそうしているわけではなく、お互い親友だし、5人育ててきた”戦友”でもある。
私たちの年頃のご夫婦が、日本では家庭内離婚という形でほとんど口を聞かなければ、食事も何もかも別々にするというのを知って、驚くと同時に悲しいことだと思う。余計なことだが、せっかくご縁あって、おそらく恋仲になって結婚を決めたであろうに。大概は長い結婚生活の最初から、妻は身を粉にして夫や子供や家族のために働いてきた、そうで、夫は結婚したのだという自覚がないかのように、振る舞い、妻への感謝を忘れてしまうらしい。
異文化、異人種、国際結婚は、難しいと言われてきたが、同じ言語、同国人、同人種でも結婚は壊れる時は壊れる。ご夫婦間の事情は、ご夫婦にしかわからないが、最初の気持ちを忘れずに、まず互いを先に案じることがもっとなされていたら、話し合いを通じてさらにお互いを理解しようとしていたら、あるいはもっと違った将来だったかもしれない。
結婚は「たかが紙切れ一枚」なのではない所以であろう。二人の個性も趣味も違いがあって、当たり前、その違いを乗り越える努力ができるか否かが、分かれ道なのかもしれない。私が如きが生意気だが、ふとそんなことを思う。
そうしたくても健康が問題だったとか、相手に先立たれてしまったとしても、そうした別れ目の瀬戸際でも互いを思いやってきたのなら、残された者は決して一人ではない。目には見えなくとも、一人ぼっちになってしまったと悲しむ相手のそばに亡い伴侶は佇んでいると思う。そして心の中で、その伴侶は生き続けていると信じている。
そんなことを、土曜日の朝、ハイエンド(お高い)なグローサリーストアを夫と歩きながら、考えていた私である。買ったのは、ここでしか入手できないサツマイモだけだったが、好きなチーズやチョコレートはこの次。何事も無理をしないでやっていこう。