ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

霊も探している?

2017-09-12 | 系図のこと

系図や家族の歴史を調査するということは、この世を去った人々について調べることである。調べていて、いつも感じることは、こちらが調査したい気持ち以上にあちらは、見つけて欲しい、探して欲しい、という気持ちがあるらしいということ。実際に探す手助けとなるヒントや、面白い”偶然”を送ってくれる。どんな系図家でも、そんな体験はいくつかしている。ここで科学的な証明は、いらない。

調査をしていると、ある祖先にとても思い入れを抱くこともあって、難しい調査であれば、あるほどそれは強くなる。思い入れがあると、昼夜寝食忘れるほど調査に没頭する時もある。そんな時、あちら側からの助けもやってくるのだ。

Trolleholm(トロールホルム)城の幽霊たち

   

 

ここに書いたコスチュームブレスレットをくれた叔母は、1999年冬、合衆国東部のとある街で、癌のため71歳で亡くなった。その日の朝は、私の住む地域で有名な冬の濃霧が、地から沸き立ち、視界を遮り、職場へ急ぐ車の中で、私は一瞬自分がどこにいるのかわからなくなったほどである。通い慣れている道なのに、とにかく一寸先も見えない。

こんなに濃い霧はひさしぶりだと思いつつ、路肩に車を寄せた私は、深呼吸をしてから、無事に職場へ着くよう、短く祈った。祈り終わると、途端に大きな悲しみが押し寄せてきた。不意を突くように何故こんな悲しみが湧くのか?思い当たることはなく、当惑したが、しばらくして意を決して再びドライブし始め、ようやくいつものパーキング位置につけた時は30分の遅刻。全く理由が見出せない悲しみが、まとわりついた一日だった。

帰宅して夫に、今日は、何故かものすごく悲しくなってね、と話し始めた途端、電話が鳴った。従兄弟からで、叔母が亡くなったと言う。ああ、それで。。。今朝の大きな悲しみは叔母の死だったのか。その時初めて叔母が胃癌だったと聞いた。メリーランドを旅行していた私がホテルから電話したのが、四年前の春で、それが最後だった。

母と叔母は、昔は、とても仲が良かったが、何かの誤解からか、かなり疎遠にしているうちに、母が亡くなり、叔母にはなんの恨みもツラミもなかった私まで疎遠にしてしまっていたのだ。それを悔いてももう彼女はいない。

しばらくして、ある夜私は夢を見た。3人の今は亡き叔母達と私が夜行列車に乗っていて、3人が下車する時、まだ座席に座っている私に向かって一礼してから、お願い、よろしくね、と言った。3人の叔母達は、申し合わせたように、50年は昔の古臭い、けれどシックなスーツ姿で若かった。とても鮮明に今でもその夢は覚えている。なにを私は依託されたのだろう?

ある日東部に住む従兄から一通の厚い封書が届いた。中には古い戸籍謄本などの書類が入っている。従兄の手短なメモが添えられていて、叔母の遺品を整理していて見つけたのだと言う。彼は日本語の読み書きはもちろん、話すこともしてこなかったので、私のことを思い出したのだろう。

彼は母親が以前戸籍謄本を取り寄せて自分の家系図を作ろうとしていたと言う。なるほど戸籍謄本の隅々にいろいろ書き込みがしてある。「R子(私)が系図調査するって前聞いたから、何かの役に立つかもしれないと思って」送ってきたという。もちろん、喜んで、と私は返事を書いた。

母と叔母達とは異父姉妹である。叔母の父親は、母親の父親と異なるので、今まで私は調べもしなかったし、第一直系ではないので、謄本も取り寄せることもできなかった。異父姉妹、と言うところに、何か軋轢があって、疎遠になっていたのかもしれない。何れにしてももう全て遠い過去のこと。この世のしがらみは、この世に置いていったと願いつつ、私は幾つかの戸籍謄本を調べ始めた。

  

北欧の14世紀の動物の骨片

この続きはまた明日。

 

 

 

 

 

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