ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

Part 2 ジョン・ウィルカス・ブース

2017-08-04 | 系図のこと

リンカーン暗殺後、逃亡したジョン・ウィルカス・ブースは、1865年4月26日に、ヴァージニア州ポートローヤルにある納屋で陸軍兵によって射殺された。翌日4月7日、合衆国陸軍によって遺体はひきとられ、軍艦モントークで、ワシントンの海軍造船所に搬送された。十人以上の近親者やブースを古くから知る者によって遺体は、ジョンであることが確認された。ジョン本人である根拠は、彼の左手にあるイニシャルJWBという刺青と致命傷となった首の後ろの傷だった。続いて司法解剖が行われ、その際に弾丸の貫通経路を調べるため、頚椎の三節分の骨と少量の脊髄などが、採取された。それらは現在もメリーランド州シルバースプリングスの国立保健医学博物館に所蔵されている。採取したものについては、こちらのサイトに詳しく説明されている。

司法解剖後、刑務所内の物置に埋葬されたが、1869年に遺族に引き渡すため、再び遺族や知人が遺体確認をして、メリーランド州ボルティモアにあるグリーンマウント墓地に埋葬された。すると1913年ジョン・ウィルカス・ブースを語る者が出現、本まで出版され、七万部も売れた。ただちに、メリーランド歴史学会は、1869年ブースの遺体がボルティモアに着くや、当時のボルティモア市長が、ブースの青年時代を知る一人として遺族と共に確認、ブースに間違いはないと、サインされた宣誓陳述書や遺族の陳述をもとにして、反対意見を発表した。

そうした騒ぎは1938年頃まで続いた。2013年ジョン・ブースの頚椎で、DNAテストの為に、ほんの0.4グラムの骨片が必要であると、メリーランド州の米国下院議員らが請願したが、博物館側は、重要な歴史的な保存物を科学の名の下に損失あるいは破損するのは、遺憾である、と、却下した。又エドウィン・ブースの子孫の家族会が、スミソニアン博物館の協力のもと、エドウィンの墓所を掘り起こし、彼の遺体からDNAサンプルを採取すべく、裁判を起こしたが、1995年に却下されている。2010年にも同様の請願がなされたが、今度は墓所管理事務所が、水害などで遺体の損傷が激しい(であろう)為、許可できない、と、これも却下されている。

つまりジョンもエドウィンもDNAを提供できないでいるのが現状である。メリッサ・ブースとのつながりは現状では判断しにくい。しかしながら、DNAテストがいつか許される日があるかもしれない。私自身は、99%紙上での調査で否定的であるが、絶対ではない。たった1%でも可能性があるならば、いつか道が開け、調査を進められる時が来るのを待つのみである。忍耐は美徳の一つである。その先に美しい夜明けがあるかもしれない。



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