ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

思いやりのショッピング

2020-12-12 | クリスマス

 

 

 

 

63年続いたこの地域の老舗レストランが、とうとう永久閉店になった、とニュースが伝える。配達やお持ち帰りや駐車場にテントを張り、外用ヒーターを購入し、と健気な努力が水泡と帰したわけだ。何一つこの世で永遠はない、などと思っても、誰もが愛した歴史のあるレストランがたった8ヶ月かそこらで世界中にはびこる目に見えないものに負けてしまうのは、本当に悔しい。

街中を運転して、様々なレストランが必死に生き延びようとしている様子を目につけ、胸が痛む。どうかどうか閉店の憂き目に会いませんように、という思いである。

それでは、その思いを具体的な支援としたら、どうだろう?レストランだけではなく、地域の個人商店やビジネスをサポートできないことはないのではあるまいか。そんなことを思いながら全米小売業協会(NRF)のホームペイジを覗く。

「小売業者や企業は、Covid-19対策促進に加えて、前例のないニーズの時代にコミュニティを支援するためにステップアップしている。企業は、人々が幸せで健康を維持するために必要な製品やサービスを継続して受け取れるようにするための措置を講じ、配達、店頭でのピックアップなど、単に製品を販売するだけでなく、コミュニティを構築し、人々を結び付ける。人々が孤独感や孤立感と戦うのを助けるために、小売業者は社会的つながりと善意を維持するためのリソースを提供している。」

これについては、すでに醸造会社はアルコールの手指洗浄剤製造に切り替えたり、簡単にタコスの夕食ができるキットを配達(無料)したり、ピッツア配達の際にトイレットペーパーを一つおまけにする、などとありとあらゆるアイデアでピンチを切り抜けながら、顧客へのサーヴィスを心がけてきている。それに対してコミュニテイで、消費者としてできることは何だろうか。

具体的な提案は、ギフトカートを購入(将来の消費に向けて)、オンライン注文に続く配達・ピックアップ、レストランなどでの通常の代金に色を添えて少し多めに払うようにする(チップを多めにする)、寄付、ソーシャルメディアで地域企業や地域店を宣伝する、その際オンラインリンクやオンライン注文を進める、などである。

地域には自分の気に入った個人経営商店や、レストランが必ずある筈、このCovid-19奇禍に皆一緒にいるのだから、助け合いたいものである。この奇禍はやがて去る。その後でお気に入りのお店で、レストランで和気藹々に本当の自由を祝して、マスクもなしで集えることを信じて助け合いたい。そんな日は必ず来るのだから。

 

全く別の意味で(脱走計画で)助け合う坊やたち。

 

 

 

 

 

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クリスマススイーツ

2020-12-11 | クリスマス

 

 

 

 

あと二週間でクリスマス。カリフォルニア州では8日から何度も何度も州政府からCovid-19警報が携帯やアイウオッチに入り、賑やかであった。「あなたの」地域でCovid-19が急速に広まり、自宅待機し、不要不急の外出はくれぐれも避けるように、という警報である。ニューサム知事が張り切って指示しているのだが、最高数だのの汚名をはらしたく、15人以上で一つ所に集まれば、罰金化と法制づけている。レストランは配達、お持ち帰りのみ、理髪・美容院は閉鎖、グローサリーストアも人数規制などと3月に逆戻りしている。

 

 

そんな鬱々とした状況にも負けず、地味にクリスマスの支度を整える。思えばあと二週間ほどでクリスマスではないか。ここはグーグル*に命じてクリスマスソングを流してもらい、この日曜の夜起こるふたご座流星群や12月21日にある土星と木星の「合」を楽しみにして、隣人宅へお分けするクリスマススイーツのいくつかを作ろうと思う。

*グーグルのデイヴァイス=話しかけに応じる。

 

ご覧のように、クックブックはたくさんあるが、私が頻繁に使用してきたのは、以下のもの。

定番中の定番。

 

クリスマススイーツのレセピ本。大学時代キャンパス書店で見つけて以来の友である。色々紙がはみ出しているのは、皆結婚後雑誌から見つけたレセピや家族や友人からもらったレセピである。年季がだいぶ入った(42年)大事なものである。この著者は、今年4月に食道癌で他界された。こんなところでも世代交代をひしひしと感じる。

 

先日クリスマスのスイーツ定番どちらかというと一昔前的な物を紹介したが、今日は二つご紹介

一つは、カシュウナッツ(あるいはピーナッツ)ブリトル。もう一つはペパーミンツ。どちらも簡単にできる。ただし、ブリトルはストーブトップではなく、マイクロウエーブオーブンを使用するので、調理温度計もいらないが、キャラメル化した物は、高熱なので十分気をつける必要はある。カシュウナッツがなければ、ピーナッツでもマカデミアナッツでも良い。

 

カシュウナッツ・ブリトル

材料

  • バター小さじ2、分割しておく。
  • 砂糖 1カップ
  • 1/2カップ ライトコーンシロップ
  • 1〜1-1 / 2カップ 塩味のカシューナッツ
  • ベーキングソーダ 小さじ1
  • バニラエッセンス 小さじ1

 

作り方

  1. ベーキングシートに小さじ1バターを塗る。
  2. 電子レンジ対応のボウルに、砂糖とコーンシロップを混ぜて、カバーをかけずに、電子レンジ(High)で3分間加熱。 砂糖を溶かすためにかき混ぜる。 電子レンジで2分加熱。 カシューナッツと残りのバターを入れてかき混ぜる。 さらに電子レンジで40秒間。 かき混ぜる; 混合物が明るい琥珀色に変わるまで、約1〜2分、20秒間隔で電子レンジで加熱を繰り返す。 (混合物は非常に熱くなる。)重曹とバニラを軽く泡立つまですばやくかき混ぜる。
  3. 準備したクッキーシートにすぐに注ぎ、金属のヘラで広げる。 しばし冷やす。 固まるまで15〜20分冷蔵。
  4. ブリトルを細かく砕く。 密閉容器にワックスペーパーの層間に砕いたブリトルを入れて保管する。

 


 

ペパーミンツ

 

このペパーミンツは調理しないが、電気ミキサーで、または柔軟な金属ヘラで滑らかで光沢があるまで練る。青い食用色素をほんの少し垂らすと、白さが際立ち、あるいは他のパステルカラーに着色してもよい。 約100粒できる。

材料

  • 1パウンド(453グラム)粉砂糖(パウダード・シュガー)
  • 1卵白* (ウイルトン社の卵白代用品のメランゲパウダー可)
  • 大匙4 冷水
  • 5滴 ペパーミントエクストラクト
  • 1/2カップ 追加分の粉砂糖

 

作り方

  1. 粉砂糖を茶漉しなどで濾しながら電気ミキサーのボウルに入れる。
  2. 別のボールに卵白を入れ、かなり固くなるまで泡立てる。
  3. 卵白、大さじ3杯の冷水、ペパーミントエクストラクトを粉砂糖に加え、よく混ぜる。
    混ぜた物が電気ミキサーには重すぎる場合は、大理石のスラブの上に置き、硬くて光沢があるまで金属ヘラで何度もひっくり返す。
  4. 粉砂糖を追加し、混合物が乾いていても、パサパサではなくなるまでもろくならなくなるように、滑らかになるまでこねる。
    乾きすぎた場合は、水をもう一滴加え、べたつかなくなるまでこね続ける。
  5. 2枚のワックスペーパーの間にペパーミントの「生地」を約1cmの厚さに広げて、約2.5cmの円をいくつか切っていく。 (このためにはペイストリーチューブ(先端)が便利。
  6. ワックスペーパーの上にミンツを重ねないように置いていく。
  7. 別のパラフィン紙で軽く覆い、12時間乾燥させる。
  8. 密閉容器に入れて1週間以内に食べること。

 

julieblanner.com

 

おまけ:この3歳の孫娘は、クリスマスクッキー準備に忙しい。「マント」を付けて支度するのが、コツらしい。

 

 

 

 

 

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Light the Family Tree クリスマスに先祖を思う

2020-12-10 | クリスマス

Greg Olsen

 

 

 

 

先祖を大切に思うのは、仏教徒や日本人だけではない。近年の趣味リストの最高位に収まる「系図探求」あるいは「家族の歴史探し」は、欧米諸国に先祖を知ることの素晴らしさを人々にもたらした。

系図番組や系図大会があり、有名・無名を問わず自分のルーツを知ると、多くの方々は涙する。遠い日に存在したが、今でも自分にはそのDNAが受け継がれ、血も流れている、と気づく。そしてその祖先の生活をしばし思うと、不思議な感動が起こる。飢饉、戦争、疫病、悪政、貧困などありとあらゆる人生の挑戦に先祖は命を失うかもしれなかった辛苦を乗り越えてきたから、自分は今ここにいるのだ、と実感する。

夫の系図では、メイフラワー号でプリモスロックを踏んでアメリカに上陸した清教徒がいる。1598年のフランス・ナントで出されたプロテスタント(特にユグノー教徒)の自由を認める勅令が1685年廃止され、信仰の自由を否定するフォンテーヌブロー勅令が出されるや否や迫害を逃れて、最初はオランダ、それからアメリカへ渡ったユグノー教徒の祖先がいる。英国政治家・宗教家であったウィリアム・ペンと共にペンシルバニアに入植したクエーカー教徒の先祖もいる。

そして夫の父方の祖先には、1700年頃英国はサマセットからアメリカへやってきたIndentured servant(インデンチャード・サーヴァント)がいる。それは白人年季奉公人と呼ばれている。

1600年代アメリカに植民地が造られはじめ、その労働力不足を補うためにヨーロッパから多くの白人年季奉公人が大西洋を渡って送られた。英国では植民地経営会社が渡航者を募り、応募者は多くが貧困層で、時には受刑記録のある者などもいた。船賃や途中の食費、さらに新大陸での当面の生活費や土地の開拓に要する費用と引き換えに契約年限7年の年季奉公の契約をすることが多かった。

そんな事情で年季奉公人移民となったその祖先は、7年の契約満了に伴い、晴れて自由の身となり、その前から勉強していた測量で身を立てた。農場を持ち、同じ測量士でもあった初代大統領ジョージ・ワシントンと見識があったとされ、居住していた土地柄、当時の移民人口、そしてその特殊な職柄から、プロフェッショナルの系図家や歴史学者間では、両者は知己であったとされている。

現在でもその先祖の年季奉公時の契約書や渡航記録などは、アメリカ国立公文書記録管理局に保存されている。この祖先は、自身や妻や子供達は英国国教会に属していたが、アメリカで居を構えた地域はクエーカー教徒の開いた土地で、そこには夫の母方の先祖の一家族ビーソン家も入植していた。両家の家長同士は隣人であると同時にお互いに非常に厚い信頼を持ち、300年前のそれぞれの遺書にお互いが証人署名をしている。

夫に大学で初めて出会った時、柔和でいながら真摯で、信仰が深く、親切に溢れる言動が、どこから来ているのだろうかと思った。結婚して夫の系図を始めた時、夫の背後に信仰深い先祖の影が見え始めた。

さらに夫の4代前の祖父もそうした先祖と同様に宗教的迫害を逃れて西部へ家族を連れて移ったとわかった。4代前の祖父はその地で温厚な傑出した存在だったが、ある宗派の伝道集会で感銘を受け、バプテスト教会から改宗した。それを不快に思い、やがてその宗派への偏見に凝り固まり始めた地域住民は暴徒化し、彼や家族の命を狙うようになったからである。宗教間の対立は新大陸でも開拓者時代からしばし流血の惨事を起こした。

転出しなければならなかった土地の大きな土地台帳を裁判所地下の資料室で埃を払いながらその4代前の祖父について検索した時、短期間でこの彼は広大な農地や所有地を売り払い、命を狙われているという逼迫した中で、着々と西へ逃れる準備を重ねていたのが伺えた。実際にこの祖父一家のバプテスマ(洗礼)を施した伝道師は、バプテスマ直後に森を同僚伝道師と横切ろうとした折、暴徒に襲われ殺された。責任を逃れるために、誰が致命傷を与えたか判断し難くするために、暴徒全員が顔を狙い打った。案の定裁判では誰が犯人だか確定できず全員無罪となっている。その記事はニューヨーク・タイムスに載った。

この祖父一家は無事西部へと逃れたが、チャタヌガ駅から鉄道で移動した時はおそらく追っ手がくるかもしれない恐怖におののいていたに違いない。だが、西部へ逃れてからのその先祖一家の信仰はますます固く、4代目となる夫に至っても変わらない。

こんな先祖の宗教背景を持つ夫の系図は、始めてから何十年になっても未だ私を魅了し、感心もさせる。夫と私には孫までいるが、こうして滔々と家族という川は流れていく。私も私の先祖から続いて一筋の川として夫の川と一緒に流れているのだ。思えば遠くへ来たものだ。

このクリスマス、そんなファミリツリー(家系という木)を飾ってみようか。

 

インターネットで同じアイデアの方の壁のクリスマスツリー

 

 

 

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愛を込めた言動

2020-12-09 | クリスマス

イスラエルのオリーブの木で作られたネイティビティ

 

 

 

私のピントレストにはたくさんのピン(フォルダーのようなもの)があり、その中でどんどん中身が増えていくピンは、題して”Humanity Restored"(人間愛を取り戻す、慈愛を取り戻す)である。その題名の通り、日々起こっている市井の人々の本来の善性による他人や動物への言動、とでも言おうか。そうしたことを読むにつけ、見るにつけ、どんな寒い冬の夜も暖炉の火よりも暖まる。単純に言えば、「和風総本家」でしばしば耳にした「ああ、日本っていいなあ」的な感動・感想で、「ああ、人間っていいなあ、生きているってだからいいなあ。」である。

人は、概ね善性を持ち、それは思いがけない時に光輝を放つ。名前を名乗るほどの者ではございません、とどこかの七人の秘書さんが言うように、その光輝の後にすっと立ち去ってしまうことも多い。その善性は同じ人間に対してだったり、動物に対してだったり。今日はちょっとリラックスして、私のピントレストの一つのピンからの写真をご覧あれ。

 

「ニューヨーク市の舗道で、黒人が警官に打ちのめされる」などと穏やかではないが、これはチェスに警官が勝っちゃった場面。マスクなしで対面できた時代、BLMデモで双方が傷づくことがなかったほんの少し前のことでもある。

 

投稿者は、たまたまこのジョージア州行きのフライトの乗客で、こんな光景を写せた。妊娠している母親が一人きりでぐずる幼児に手こずっていた時、この見知らぬ男性がその幼児を抱いてあやしてくれた。この幼児は彼のことを父親と思い、不服一つ言わなかった。彼はこの子の身重の母親が少しでも飛行中休めるように、とかってでた。真の男は行動に出る、と投稿者は書いている。かっこいい!

 

写真家のクラウス・フィスカーがドイツとデンマークの国境近くで、デンマークの警察官が若いシリア難民の少女とゲームをしているところを撮影したもの。警官は自分の結婚指輪を外して、それで簡単なゲームを少女としている。スエーデンはヨーロッパ諸国で最大の難民の受け入れをしたが、デンマークは、逆に受け入れを反対していた。そんな悲しい背景だが、この警官はこの少女に心を大きく開いていた。

 

カリフォルニア州のある介護・養護施設が経営破綻し、十六人の高齢者入居者たちを置き去りにした時、左の施設料理人のモーリス・ロウランドと右のジャニターのミゲル・アルヴァレスは、残された高齢者たちのために私財を投げ打って世話を続けた。

 

洗濯物だけが、白と色物に分けるものである。この幼い少年の真剣なお顔と、必死に赤ちゃんを抱きしめている姿を見ると、どうしても泣けてくる。こうあるべきと、それをこの子供は示している。

 

付け加えるコメントは不要。

 

パンを分け合う老人とスズメ。

 

彼が逝ってからもう6年も経つ。その訃報はショッキングで、世界中のファンは悲しんだ。1970年代華々しくデビューしたロビン・ウイリアムスは、皆を笑わせ、お腹がよじるほど笑わせて、そしてある日自分自身に笑いが尽きて逝ってしまった。あまり知られてはいないが、ロビン・ウィリアムスは、彼が制作に関わったすべての映画と彼が行ったイベントについて、プロダクション会社はその地域で一定数のホームレスの人々を雇い、彼らに仕事を与える必要があることも要求していた。

 

 

2020年は自分の欲しかったもの全てが手に入る年だと思った。今2020年は自分の持っているもの全てに感謝する年だと知っている。

 

 

 

 

 

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医療従事者・関係者

2020-12-08 | アメリカ事情

バングラデシュのネイテビティ(テラコッタ)

 

 

今年の3月くらいから、欧米の各都市でCovid-19との戦いの前線で身を粉にして働く医療従事者への応援と支援が様々な形で示されたのを目にし耳にして、時には涙も溢れるほどだった。医療従事者の中には、感染して命を落とす方も少なくない。それでも長い1日を患者のケアで過ごすために疲れて重い足を引きずり、愛する家族を後にして病院へ出勤する姿を幾度も私は見てきたし、話を聞いた。

その頃から日本では、医療従事者や感染患者の家族や保育園に嫌がらせや差別をする現象が報道され、こちらまで届いた。咄嗟に冗談と思ったが、姉の話でその実態がいかに冷酷か知らされた。これは一体どう言うことなのだろう。2020年と言う年でも古代島国的な風習、村八分的なイジメや取り扱いがあるなどと、どうしても信じられない。

千葉県のある市では、差別しない宣言を出したと聞く。日本は何人ものノーベル賞受賞者を出す科学的で優秀な国民、のはずではなかったのか。協調と平和を重んじ、他人への心遣いの優れた民族民度というものではなかったのか。そうした「間違い」は今はもう正されたと祈るばかりだ。

南部や南東部で歯科医や物理療法師などの医療従事者の夫の甥たちは、Covid-19に罹患した。幸い大事にいたることなく、通常から健康に留意し、禁煙禁酒を心がけ、コーヒーさえも飲まない生活をしてきたせいか、かなり軽症ですんだ。

しかしながら、家族は家の中で、感染者は庭で一人食事をしたり、最大限の感染対策を取り、それが功を奏したのだろう。そしてその甥や甥の家族たちが感謝したのは、教会の人々、隣人、友人、仕事仲間、住民の親切さであった。決して差別したり、意地悪をする者は一人もいなかった。どの甥も、医療関係者であるから、感染者が患者であった十分可能性がある。それでも自宅退避期間が過ぎると、様子を見て、再び医療現場へ戻っている。

大学でも感染者は出ているようでも、一応大学職員はエッセンシャルワーカーなので、私とて出勤するが、オフィスには毎日3、4人で詰め、それも一人一部屋のような感覚で働く。だから私のオフィスでは感染者はいない。それは前線で医療関係者が日夜疲労を物ともせずに患者ケアに全身全霊で当たっているおかげである。

下のヴィデオは、カリフォルニア大学サンディエゴ付属の大学病院ジェイコブス・メデイカル・センターの全スタッフに向けてのメッセージである。この病院に働いていた末娘は、去年ここで夫と共に初子誕生の経験をした。私も立ち会ったが、そこの医療チームや栄養士、ハウスキーパーに至るまで皆プロフェッショナルで一流のケアスキルを感じたことだ。今年のバンデミックに於いても、その優秀さは変わらない。この方達はどれほど長い夜、長い勤務をこなしてきているだろうか。この方々に、そして世界中全ての医療関係者に、私は大きな感謝を捧げたい。

 

ヒーローと呼ばずに他に何と呼べるのだろう。

 

 

 

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