ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

クリスマスのしるし

2020-12-07 | クリスマス

A Presepeプラセぺ( Presepioとも)と言うイタリアのネイティビティ・セット

 

 

 

クリスマス装飾に見られる、星、ロウソクやあかり、ポインセティア、クリスマスツリー、リース、ヒイラギ、ベル、キャンデイ・ケイン、ストッキング、そして贈り物などの飾り。それらの一つ一つに意味がある。祝日(キリスト教国、特に欧米やオーストラリアなどでは祝日である)に向けて至る所でクリスマスの装飾を見る。 そうしたクリスマス装飾はクリスマスを祝うことの大きな部分であり、伝統的な装飾のいくつかは、実はこのシーズンの真の精神に触れてもいる。こうした装飾はクリスチャンが何世紀にもわたって行なってきたように、クリスマスのお祝いでイエス・キリストを思い起こさせる。

    

 

星: クリスマスツリーの上に納まる星を見ずに、過ごすクリスマスはない。星は、クリスマス祝日の最も有名なシンボルの1つで、イエス・キリストの降誕時に空に現れた星を表している。  星は東方の三賢者(三博士)をイエスに導き(マタイ2:2を参照)、そのように賢者が星の光に従ってイエスを見つけるのと同じように、救い主の光に従うように私たちに思い起こさせる。

 

光(明かり)とロウソク: クリスマスイルミネーションは、イエス・キリストが世界の光であることを思い起こさせるために。何世紀にもわたって、ロウソクは季節に明るさと暖かさをもたらしてきた。 救い主の降誕時に現れた明るい星の光に通じる事もあり、主が世界の光であることを意味するとも言われる。

 

クリスマスツリー: キリスト降誕前でさえ、常緑樹は人々にとって特別な意味を持っていた。 冬の真っ只中にあっても変わらずに緑の葉を繁茂する木は、人々に希望と新しい生命を思わせた。 クリスチャンは常緑樹を自然におけるイエス・キリストの象徴として見た。

 

ポインセティア: ポインセティアはメキシコが原産国で、冬に繁殖し、新しい生命を象徴する常緑性低木である。 ロサンジェルスに住んだ時、アパートの庭にその木があり、冬に赤い花を咲かせていたが、その花の形は、賢者をイエスに導いたような星に似ている。 赤いポインセチアは、キリストが私たちのために流した血を思い起こさせる。 

 

 

ヒイラギ(柊・ホーリー): 赤い実と棘のある常緑小高木のため、ヒイラギは世界中でクリスマスの飾りとして使われている。 ヒイラギの葉の鋭い縁は触るとヒリヒリと痛むことから、「ヒリヒリと痛む」旨を表す日本語の古語動詞の「疼(ひひら)く・疼(ひいら)ぐ」の連用形「疼(ひひら)き・疼( ひいら)ぎ」を名詞としたそうである。そしてそれは、救い主の頭に置かれたいばらの冠を意味している(マタイ27:29)。 赤いヒイラギの実は、全ての人々のために流された彼の血を象徴している。 クリスチャンは長い間このシンボルを見てきたが、 実際に一部のスカンジナビア言語で、ヒイラギの言葉は「キリストの棘」と言う意味である。

 

 

リース: 伝統的に、リースは常緑性の松やモミの枝やヒイラギなどで作られる。 その円環は永遠を意味し、ドアや窓に飾られたリースは、クリスマス精神が私たちの家を季節の喜びで満たす象徴的な招待状のようなものである。

 

 

鈴(ベル): 何世紀にもわたって、クリスマスシーズンの到来を知らせるために鐘が鳴らされてきた。天使たちが神を賛美し、「最高の神への栄光、そして地上の平和、人への善意」(ルカ2:14)を宣言したときのキリスト降誕の知らせを象徴している。

 

 

キャンディ・ケイン: おそらく、キャンディ・ケインの本来相応しい名前は「キャンディ・クルック」(曲がったキャンデイ)だろうか。 それは、赤子のイエスを訪ねた羊飼いたちの持つスタッフ(羊飼いの杖)が所以であろうか。 キリストの時代、羊飼いの杖の上部には、羊を首で引っ掛けて食べ物や水に優しく導いたり、危害から保護したりするためにフックのような曲がりがあった。 キャンディケインを楽しむときは、イエス・キリストが善き羊飼いであることを忘れずに(ヨハネ10:11、14を参照)。 人々が彼に従うことを選ぶなら、私たちを穏やかな安全と平和に導くと言う意味がある。

 

 

ストッキング(靴下): 考えてみれば、吊るした古い靴下に贈り物を入れるのは少し奇妙であるが、これも多くのクリスマスの伝統のように、その伝統は古い伝説から来ている。昔、貧しい男性には3人の娘がいたが、持参金(花嫁の家族から新郎の家族に与えられた金品)を与える余裕がなかった。当時、女性が持参金なしで結婚することは非常に困難なことだった。ニコラスというクリスチャンの司教はその問題について聞き、助けたと思ったが、その男は彼の施しを受け入れることを拒否した。ある夜、ニコラスは男の家の開いた窓から純金で作られた3つのボールを投げ入れた。その一つ一つが暖炉の上に洗って乾燥させるために吊るされたストッキング(靴下)の中にうまく収まった。翌朝、娘たちははストッキングの中に金のボールを見つけ、この恵みで、彼女たちは皆結婚することができたと言う。ストッキングは私たちにサービス(奉仕)の重要性を思い出させる。奉仕の最大の例はイエス・キリストであり、彼はいつも「善を行なおうとした」(使徒行伝第10章38節)。少し時間を取って、救い主の無私の奉仕行為について考えてみるのも一考かもしれない。どうすればキリストのような奉仕をし、他の人に親切を示すことができるだろうか。

 

ギフト(贈り物):  クリスマスは与える季節である。イエスに会いに来た三賢者は「彼に金、乳香、没薬などの贈り物を贈った。」(マタイ2:11)、しかし最大の贈り物は天の御父から来ている。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)。 クリスマスの朝、きれいに包まれたプレゼントを開けるとき、救い主がクリスマスの真の贈り物であることを覚えていたいものである。

 

おまけ:

このヴィデオはDo You Hear What I Hear「あなたは私が聞いたものを聞ますか?」という題名で、1962年当時結婚していた夫婦が、マタイの福音書で語られているイエスの降誕の物語に大まかに基づいて物語を語り、ルカの福音書から羊飼いへの告知の断片を取り入れて作詞・作曲したものである。この歌では、イエスはその名前で言及されたり、明確に特定されたりすることはない。 「夜風」は星の子羊に伝え、その後、子羊は若い羊飼いにその歌が聞こえていることを伝える。 そしてイザヤ書と詩篇72篇にあるように、三賢者(マギあるいはマージャイと呼ばれる)にちなんでも書かれている。 王は平和の祈りを宣言し、誕生した子供(御子)が「善と光をもたらす」と発表する。

 

 

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断食救済

2020-12-06 | クリスマス

 

 

 

 

発展途上国全体で6600万人の小学生が飢えたまま学校の授業に参加している*と聞く。ましてCovid-19のパンデミックが世界中を襲い、未だ抜け出していない状況を踏まえると、Feed The Childrenと言う慈善団体が2020年4月の調査で発表した合衆国だけの数字で、食料調達のない家庭が全体の22〜38%と言うのが、非常に現実味を帯びている。たった4年前には、そうした家庭は、12.3%だったのに比べると恐ろしいほどの増加で、第三波に襲われている今現在はさらに増加していると推察できる。

食べ物を持っていると言う恵まれている70億人が、月に1日2回の食事を断食することを選択し、その食べ物に費やしたであろうお金を寄付したと想像してみてください、とチャリティファスト(慈善断食)団体は、言う。そのお金で、一体どうなるのだろうか。

一月で1日二食を断食して、その食事料を1500〜2000円程度とすると、それで何を飢餓状態の子供たちに食べさせられるかと言うと、

*https://www.charityfast.org/チャリティファスト=慈善断食)の調査から。

合衆国:ピッツア二枚

メキシコ:22のカーニーアサダ・タコス

タイランド:20杯(人前)の麺類食事

ヴェネズエラ:23ダースの鶏卵

アフガニスタン:57斤のパン

 

これは自分が食べたと思う二食分の代金でできることである。そして食べていただろう食事の費用だから、懐もそう痛むことはない。そしてこれはおまけのようなことだが、ジョンズ・ホプキンス病院*やハーヴァード大学の調査では、月に一度二食を断食すること(断続的断食)は、健康に良い影響があると発表された。減量したい人、糖尿病患者、心疾患、外科手術後の組織の損傷が軽減する、などの利益があると言う。もちろん断続的であれども、断食を決心する前に、かかりつけの医師に相談することが重要である。そして断続とは、1日だけ、そしてその日の一食、二食を抜くだけにとどめることである。

*Johns Hopkins News 12/26/2019  

 

前述の食料に恵まれている70億人が、もしこの慈善断食をして、その費用を寄付すると、2800億の人が食事できる計算になる。そして寄付する側には、健康に関するおまけがあるのなら、これこそ、Stephen R. Covy(スティーブン・リチャーズ・コヴィー=「7つの習慣」の著者)の言うところのWin Win Situation(お互いに有利な状況)ではないだろうか。

メリーポピンズは、たったの2ペンスで鳥に餌を与えられるのよ、そうするとセントポール大聖堂の聖人の像たちもその慈悲に微笑むでしょう、と歌う。それは慈善断食献金にも通ずる意味があるのではないだろうか。たった2ペンス、たった2食の断食で救えるものがある。

 

 

追記:コメントをいただきまして、誠にありがとうございます。お返事が遅れまして、大変申し訳なく反省しております。今お返事をのたりのたりではありますが、したためております故、どうぞ御許しください。

 

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Pay It Backwards

2020-12-05 | クリスマス

 

ネイテイヴィティは、crèche(クレッシュ)とも呼ばれる。

写真クレジット:PixelDarkroom/Shutterstock.com

 

 

Pay It Forwardは映画もあったことで、日本の方々もご存知だが、Pay It Backwards(ペイイットバックワーズ)とは、「恩返し」の意味で使われる。今年は、世界中どなたにとっても辛い一年であったが、締め括るのに、小さくとも明るい灯火を親切というロウソクに託したい。来年は今年とは違って、希望と幸福があることを願って。

次のヴィデオは端的に「恩返し」について言葉なしで語っているものである。Pay It Forward とPay It Backwardsを簡潔にまとめている。つまり、誰でもできることでそうした親切を行えると言うことを伝えている。

 

 

苦しい年だったからこそ、どんな小さなことでも、他の人を思いやる心の灯火を消してはならない。何故ならそれが明日への希望となる可能性が大きいからである。親切は感染するもので、その力はCovid-19よりもはるかに大きい。

 

 

 

 

 

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幼な子との時間

2020-12-04 | クリスマス

画家モーガン・ウエイストリングは、この自作品に「神の御顔にキスをする」と名付けた。

 

 

 

クリスマスは、サンタクロースがいるかいないかではなく、サンタ彼自身についてでもなく、ケンタッキーフライドチキンの店頭に殺到することでもなく、家のイルミネイションの競争をするかしないかの問題でもなく、ギフトをするかしないかでも、勿論ない。クリスマスと銘打つ商魂に浮つく巷の喧騒や、遠く故郷や家族から離れて一人鬱々と過ごさねばならぬ寂しさでもない。私にとってクリスマスはゆっくりとリラックスし、平安な気持ちで、かの幼な子を心に留め、希望を新たにすることである。そして、キリスト教徒でなくとも起こることである、もしあなたがそうしたいと願うならば。

かの幼な子の生涯に何が起こり、あるいは自分の人生に何が起こっていくのかについて過剰に心配し、不安に苛まれずに、その代わりに、おそらく世界の歴史の中で最も穏やかな平安な瞬間について考えてみたい。天界全体が「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2 :14)という瞬間である。東方の三賢者が、導かれたという誕生と共に空に現れた輝く星を想像してみることさえ、希望が湧く。

世界的キリスト教会の指導者の一人、D.トッド・クリストファーソンは数年前こう語った。 

「ある日南アフリカの英国国教会大司教であるデズモンド・ツツ司教を特集したラジオインタビューを耳にしました。彼は娘と一緒に、アパルトヘイトに続いて南アフリカで起こった和解についての本を出版したばかりでした。基本的に、ツツ司教のこの本のメッセージは、すべての人には善があるということです。

ラジオ・インタビューの中で、司会者はツツ司教に実に見事な質問をしました。『あなたは年をとるにつれて神との関係が変わったことに気づきましたか?』

ツツ司教はしばし沈黙してから、こう答えました。『私は神の御前(みまえ)でもっと黙することを学んでいます。』

司教は若い頃に祈ったとき、要求と懇願のリストを読むように祈ったことを思い出していました。司教自身が『一種の買い物リスト』と呼んだものでそれで天国に近づけると思ったのだと。しかし歳と経験を重ね、信仰をますます深めた今、彼はこう言いました。『私はそこ(神の御前)にいるだけで成長するかのように思います。冬に火の前に座っているときのように、火の前にいるだけで、そこには頭がいいなどの必要はありません。火はあなたを暖めます。』

クリストファーソン氏はそのインタビューの司教の答えについて続けて語った。「それはなんと素敵な比喩でしょうか。ただ主と一緒に座って、冬の火のように主が暖めてくださるとは。そして誰も完璧完全である必要はなく、最高の地位である必要もないのですから。」

「今年のクリスマスシーズン、しばし静かに座って、救い主の霊があなたを温め、あなたの奉仕なさること、人生の価値をゆっくりと省みることで心の平安が持てることを願っています。あの幼な子の許で一緒に静かに座って、霊的に強化され、後で来るすべてのことに備えられますように。その瞬間があなたにとって休息と元気付けと安寧となることを願っています。」

 

O Come, Emmanuel---Christmas Version By ThePianoGuys

「久しく待ちにし主よとく来たりて」をピアノガイズのピアノとチェロ演奏にて。5分27秒。

 

 

 

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平和ー心のうちの

2020-12-03 | クリスマス

愛の純粋な光、といネイティヴティ・セット

 

 

人生のどん底にあると思う時、人生の暗い淵に立たされていると感ずる時、全ての人に自分は見放されたと思う時、思い出して欲しいのは、主イエスキリストがいる、ということである。キリスト教徒であろうとなかろうと、それこそ信じようと信じまいと、キリストは人をお諦めにはならないことは記憶の隅にとどめていて欲しい。ただただあなたを助けたいと、お待ちになっているのである。あなたが気づかなくとも、その御手はいつでも差し伸ばされている。

今日のヴィデオはむしろ重い内容であるが、それでも希望がある。ドラッグ常習者の若い母親の話である。これはごく限られた人々の問題ではなく、アメリカ社会では「よく聞く」ことである。このような状態にあっても、あのお方は、決してあなたをお見捨てにならない。

 

 

このBe Still My Soul(安かれ我がこころよ)は、フィンランドの誇るシベリウス作曲のフィンランデイアの一楽章からで、多くの教会が賛美歌として取り入れている。

Be still, my soul, The Lord is on thy side
Bear patiently, the cross of grief or pain
Leave to thy God, to order and provide
In every change, He faithful will remain
Be still, my soul, thy best thy heavenly friend
Through thorny ways, leads to a joyful end
Be still, my soul, thy God doth undertake
To guide the future as He has the past
Thy hope, thy confidence, let nothing shake
All now mysterious shall be bright at last
Be still, my soul, the waves and wind still know
His voice who ruled them while He dwelt below
In You I rest, in You I found my hope
In You I trust, You never let me go
I place my life within Your hands alone
Be still, my soul
Be still, my soul, the hour is hastening on
When we shall be forever with the Lord
When disappointment, grief and fear are gone
Sorrow forgot, love's purest joys restored
Be still, my soul, when change and tears are past
All safe and blessed, we shall meet at last
In You I rest, in You I found my hope
In You I trust, You never let me go
I place my life within Your hands alone
Be still, my soul
In You I rest, in You I found my hope
In You I trust, You never let me go
I place my life within Your hands alone
Be still, my soul
Be still, my soul
Be still, my soul

やすかれ、わがこころよ、    

主はともにいます。        

いたみも苦しみも           

しずかに忍び耐えよ。         

主のともにませば、       

耐ええぬ悩みはなし。

 

やすかれ、わがこころよ、

なみかぜ猛るときも、

恐れも悲しみをも

みむねにすべて委ねん。

み手もてみちびきたもう

のぞみの岸はちかし。

 

やすかれ、わがこころよ、

月日のうつろいなき 

み国はやがてきたらん、

うれいは永久に消えて、

かがやくみ顔あおぐ

いのちのさちをぞ受けん。

 

 

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