木之本―今庄間の北国街道は概ね365号線と重なる。40km以上ある。しかも山道である。参勤交代の宿泊地を見ても、今庄と木之本に泊まっているのだが、相当きつい行程だったと思われる。今庄―福井間は32kmでこれは途中湯尾峠はあるもののそれ以外はほぼ平坦だが、だいたい一日の旅程らしいからである。木之本―今庄間には柳ケ瀬と板取にも宿があるにはある。柳ケ瀬は関があったくらいだから、泊まれないことはなかったろうが、板取は宿というより峠の茶屋と云ったものであったようだ。
木之本にはかつての宿場が比較的よく残っている。ただどうも中途半端に見えぬこともない。
木之本地蔵院
日本三大地蔵の一つだそうだ。
地蔵院の前は地蔵坂という商店街になっている。
木之本は宿場だけではなく牛馬の市も立った。
一里塚跡もあるが、見事に何もない。
木之本の宿を過ぎ、北陸自動車道の下を走っていく。365号線になるがしばらくしてまた離れる。中郷という集落である。
道路が二股になった所があり、道標がある。右北国街道、左権現坂。権現坂は余呉湖も北西の山のはずだ。北へ向かう道に見えるがぐっと西へ回って行くのだろうか。
北国街道を北進していくと鉛練比古(えれひこ)神社という不思議な感じの名前の神社がある。意味は分からないが字面を見れば金属の精錬と関係するような。
神社を過ぎてまもなく365号線に合流する。
真直ぐ行くと山合が狭まってくる感じで、北陸自動車道と平行に走る。この辺りはここしか道路の通しようがないのか。
柳ケ瀬の集落を通る。関跡はわからぬまま通る過ぎてしまったか。
集落の終りに案内板があった
倉坂峠は刀祢坂の名の方が一般的だろう。信長に敗れた朝倉勢がここで持ちこたえられず壊滅状態となる。
柳ケ瀬トンネル付近。
自動車道はこの辺りで西にカーブし、敦賀へ向かっていく。365号はトンネルの上を登っていく。
山間を余呉川に沿うように登るが、途中で道が変わった。椿坂にトンネルができているのだ。旧道を行きたくて戻ったのだが、旧道は閉鎖されていた。
椿坂トンネルは長いトンネルであった。ともかく椿坂峠は一気に抜けたのである。トンネル出口付近に旧道の合流箇所が見えたが、こちらからも封鎖されていた。
まもなく県境だ。栃ノ木峠となる。別名板取峠。
今庄365スキー場の脇を通る。465号線と同じ道になる。
今庄宿に入る
今庄の文政の道標