落語の「大山詣」の大山がどこかわからなかった。まさか山陰の大山ではないし、どこの山へ行くのかと思っていた。丹沢山地の一角だったのだな。大山街道は大体国道246号線だというが、落語では金沢八景見物で船に乗って云々とあるので、川崎・横浜・金沢・鎌倉あたりから大山に向かったのだろうか。大山詣でのルートは複数あったのだろう。
あつぎ郷土博物館に行こうと思ったら休みだった。近くに才戸の渡しというものがあった。ここも大山詣でのルートだったようだ。
渡る川は中津川、相模川の支流らしい
・愛甲三郎館跡
愛甲氏は武蔵7党でも最強と言われた横山党に属する。横山党は一の谷の合戦で児玉・猪俣党と一緒に殺到し、奮戦したらしいことが平家物語の「坂落」に出てくる。個人の名があるかどうかはわからない。
鎌倉の御家人として領土を安堵され、愛甲三郎季隆は建久4年(1193)の富士の裾野の巻狩で、頼家の補佐をし、頼朝に褒められた。頼朝の死後、有力な御家人が次々北条氏により粛清されるが、畠山重忠を弓で射殺したのは愛甲季隆らしい。鎌倉武士の理想と言われた重忠を討った季隆は敵役というところか。和田合戦では、和田の方につき、義盛とともに討ち死にする。横山党のほとんどが和田方につき没落する。説教節の小栗判官の話では、横山何某は完全な悪役で、領主というより盗賊の親玉といった風に描かれる。