物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

五條市巡り

2021-12-06 | 行った所

五條市といっても何のイメージもなく、なんとなく吉野の入口かな、といった程度である。
御所の高鴨神社から五條市文化博物館へ向かう。
通称五條バウムという。上の階から展示を見ながら下へ降りていくという造り。ちかつ飛鳥歴史博物館と同じだが、当然ながらこちらは地域色が強い。
 五條バウムから、西方向 五条の風景。

 年表を眺めて、実はかなり驚く。藤原四兄弟の武智麻呂の墓がある。それより井上内親王・他戸親王が幽閉され殺されたというのはここだったのか。

 地図も眺めると和歌山に極めて近いことがわかる。吉野川は和歌山県に入るとすぐ紀ノ川になる。
隅田八幡って大和から紀州に入る街道沿いだったのか。

 大和源氏ってこんなところにいたのかと驚く。
宇野七郎親治は保元物語上巻の「平基盛による院方武士の捕縛」に出てくる。崇徳院方に加勢しようと出てきたところを宇治橋で止められる。平基盛は清盛の息子の一人で重盛の弟だが、平治の乱後病死したようだ。基盛に対する親治の名乗りは「摂津守頼光が弟大和守頼親が後胤・・云々」基盛・親治共に互いに引かず戦うが、基盛は親治に後詰がないことを見破り、優位に立ち親治を捕縛する。乱後、後白河に許されたというが、理由は大和源氏が興福寺と敵対していたことだという。

 五條市猫塚古墳

全国に猫塚と呼ばれる古墳をいくつか知っている。ただ名前の由来は知らない。古墳名で犬塚というのは聞かない気がする。五條の猫塚は、大変特徴的な遺物の出ている5世紀前半の方墳である。

 

 栄山寺

藤原不比等には4人の男児があり、武智麻呂、房前、宇合、麻呂、といいそれぞれ南家・北家・式家・京家の4家を立てるが、天平年間に大流行した天然痘によりそろって没する。
この寺は武智麻呂の息子仲麻呂が父の菩提のためたてたて寺だという。奈良時代というのが頭にあり、藤原家の寺としてこの場所は不思議な感じがしてしまう。五條は紀州への要衝なのだろうが、武智麻呂は何か紀州と関係があったのだろうか。
仲麻呂は橘諸兄を追い落とし、権力を握るが、道鏡の台頭により、仲麻呂の乱をおこし死ぬ。武智麻呂の墓は栄山寺境内からまた登るらしい。

  梵鐘


 本堂

 八角堂

 堂宇内の装飾画は天平時代のものだという。特別拝観中と入れてくれたが、とてもじゃないが肉眼ではさっぱりわからなかった。柱に楽器を演奏する菩薩像が描かれているらしい。

 栄山寺内の御霊神社

栄山寺のすぐ前を吉野川が流れている。

 

井上内親王墓

聖武天皇の長女、すなわち孝謙天皇の母違いの姉である。孝謙が重祚した称徳の後を受けた光仁天皇妃。娘と息子がいるが、娘は37歳、息子は45歳で産んだことになっており、いくら何でも信じがたい。息子の年に誤記があるとすることが多いようだ。息子は皇太子になる。他戸(おさべ)親王である。ところが井上内親王は夫である光仁を呪詛し殺そうとした疑いを受けとらえられてしまう。息子も一緒にである。そして同日に二人とも死んだとある。殺されたとしか考えようはないだろう。その場所が五條だった。光仁の後を受け即位したのは桓武、山部親王である。母は高野新笠、井上内親王に比べれば母の出自は比べるべくもない。
五条のはたくさんの御霊神社があるという。御霊、すなわち怨霊を鎮めるために建てられた。桓武には恨まれても仕方のないことをしたという自覚があったのだろう。

 御霊神社(霊安寺町)

 


五條新町の街並み資料館によれば、五條は5本の街道が交わるところだという。

五條新町の街並みは、吉野川沿いに栄えた当時の繁栄がしのばれる。

 吉野川 栄山寺近くよりはだいぶ川幅も広い。

ここまでくれば、和歌山県橋本市は目の前。隅田八幡宮へ行ってみる。

 隅田八幡宮

画像鏡は東博だがモニュメントはある

文字のうち「王」の前の2字が問題。オホドと読めるかは五條バウムの解読実験からも微妙だ。

 


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