物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

20200322 美濃国分寺・国府趾・不破関

2020-04-01 | 行った所

朝長の墓がある山へ向かう裾野に美濃国分寺がある。およそ街道沿いに東から国分寺・国分尼寺・国府・不破の関と並んでいるようだ。


資料館があったので入る。


垂井あたりで中山道を見失い、取敢えず美濃国府址へ出る。

後は21号線で関ヶ原へ向かう。たいてい高速で走りすぎるところなので沿道の看板等も面白い。わずかだが宿場町を思わせる家並みもある。

関ヶ原という地名自体「不破の関のある原」なのだろう。関ヶ原一帯は石田三成(大坂方)VS徳川家康の天下分け目と言われた合戦のあとをそのまま観光地化したようなところだ。それはそれでたいそう面白いものなのだろう。

不破の関資料館へ入る。残念ながらここは写真禁止、下の写真は外の看板だ。

不破の関は3関の中で唯一発掘調査で場所が特定されているところだ。資料館には壬申の乱に関してがかなり詳しかった。しかし乱の後、かなり早い時期に3関は機能を失ったらしい。

 関の名は高くとも滅多に関を閉じることもなかったらしい。天皇の代替わりに関を閉じる慣習もきわめて形式的なものだったらしい。海道下りの「荒れてなかなかやさしきは不破の関屋の板さびし」の元歌は「人住まぬ不破の関屋の板庇あれにしのちはただ秋の風」とあったのは岩波文庫ワイド版の註である。平安期には関のいかめしさはなくたださびしい佇まいだったのだろう。

 

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