長野から流山へ。上信越道-関越道-圏央道-東北道-外環道-常磐道で流山へ。おおたかの森。
「おおたかの森」だなんてどんな森の中の駅かと思いきや、すさまじいほど森を開拓したしたところなのだろう。オオタカは絶滅が危惧される品種のはずだ。間違ってもこんなところにはいない。酷い命名だ。おおたかの森駅から鎌倉へ向かう。
つくばエクスプレス―山手線―横須賀線を乗り継ぐ。意外に混んでいて御徒町までたちっぱなし、以後は座れたが横須賀線乗換でだいぶ歩いた。首都圏の交通網は便利なのだろうが乗りこなすのは大変だ。こんなもので毎日通勤するのはもっと大変だ。リモートワークで太ったという人が多いはずだ。
鎌倉は3回目になる。車での移動は向かない町だ。バスの路線もろくに理解できず、やみくもに歩き回ることになる。ただ町の規模は小さいし歩き回るうちに何とかはなるが、袋小路のようなところを行きつ戻りつすることになってしまう。
若宮大路を南に由比ガ浜まで出る。
いい砂浜だが今日は風が強い、帽子は飛び、飛砂が顔に当たる。
右に稲村ケ崎、伊豆半島が薄く浮かぶ。
左は厨子だろうか。
海岸沿いに東へ少し歩く。なかなか北へ入る道がない。道かと思うと車庫の入り口だったり、いきどまったり。
材木座という町名らしいがどこをどう歩いているか判然としない。瀟洒そうな家が多いが住み心地はどうだろう、この道の狭さでどうやって車を出し入れするのかと思う。
九品寺を見つけ漸く地図上の位置が分かる。
北の方にちらりと見えるのは祇園山か。
補陀洛寺を探すもわからなくなる。五所神社でようやく来迎寺への標識を見つける。
三浦半島の衣笠山で死んだ三浦義明の墓だ。
もうあまり細い道には立ち入らず、幹道らしきところを歩くことにし、安養院へ北へ向かう。
祇園山を背景に立つ。
北条政子の墓。どう見ても頼朝の墓より扱いがいい。頼朝の墓は単に史跡だ。政子の墓は寺院の中で墓として守られている感じだ。
道なりに北は向かったつもりが、大きな寺へ出た。
妙本寺とある。
なんと比企一族の館跡で墓もある。
一族の生き残りが建てた寺だという。緑とアジサイが美しい立派な寺で、結婚式の前撮りが2組もいた。
妙本寺から夷堂址・本覚寺・蛭子神社を経て鎌倉駅へ戻る。
鎌倉駅から北鎌倉は寄らずに大船まで。
大船駅からバスで常楽寺前へ。歩いていけない距離でもないが、正直もう疲れた。丁度目の前に来たバスが常高寺経由だ。
バス通りから少し入ったところに門がある。
茅葺の風情ある門だ。
北条泰時の創建だというがこじんまりと偉ぶらない寺だ。
裏が墓場になっていて泰時の墓もある。
この裏山上に義高の墓があるはずなのだが、登る道が見当たらない。
仕方がないのでバス通りに戻り、裏手へ回ることにする。
通りから階段をあがると小さな公園がある。
その裏が義高の墓で、一度来たことがある。
小さなこいのぼりが飾られていた。
墓の裏手に回るとやはり下へ降りる道がある。
下りてみる。下りたところは常楽寺のすぐ近くだが寺の敷地内ではなかった。ネットには義高の墓は常楽寺となっていたりするのだが、少なくとも現状常楽寺との関係はなさそうである。
大船駅へバスで戻る。結構な便数があるようだ。
大船駅西口には大きな観音の胸像がある。立像でも座像でもなく胸像。
モノレールも走る。