Renaissancejapan

哲学と宗教、財閥、国際政治、金融、科学技術、心霊現象など幅広いジャンルについて投稿しています

ロスチャイルド財閥ー213 ペリー来航の真実 日本を知り尽くしていたペリー

2023-06-13 02:28:45 | 日本開国 ペリー来航の真実

ペリー提督が香港に到着したのは、1853年4月7日のことです。 ノーフォークを出港してからおよそ4ケ月半が経っています。 この長い旅を考えただけでも、パーマー(ロスチャイルド・ロンドン家の代理人)が太平洋ハイウェイ構想に欠けた夢に理由が分かります。

ペリー提督はこの長い船旅を無駄にしていませんでした。 オランダから仕入れた地図類などの情報を頭に叩き込んだだけでなく、チャールズ・マックファーレンが詳細に書き込んだ日本の情報も丹念に読み込んでいます。


マックファーレンの著『JAPAN 1852』の記述は、ペリーの日本開国交渉の戦略立案に大きな影響を与えました。 その中から、いくつかの重要な記事を紹介します。


「漢人は戦いを回避する傾向が強く臆病なところがある。 おとなしくさせるのは簡単だが、こずる賢く疑い深く、強欲ですぐに賄賂が横行し、高利貸などに手を染める。一方、日本はと言えば身のこなしがすばやく行動も大胆である。 活動的でいつも刺激を求めてフランクで自由闊達。 ノルマン人の持つ美徳を多く持ち合わせている」。

「日本人は礼儀正しく好感が持てるのだが、戦になると勇敢である。仁義が重んじられ、それに違反する者は厳しく処分されている。 礼節によって統治されていると言ってもいいくらいだ」。


マックファーレンは、次のようにも書いて、日本の開国に武力を使うことは得策ではないと主張しています。 

「精鋭の舞台を差し向けても、日本人は死を恐れず向かってくるだろう。 これまでの日本人との接触を通じた分析で、それは十分によそうできることだ」。 要するに「日本人は漢人よりも強靭で勇敢な民族である」と説明されています。

この記述を読んだペリー提督は、江戸湾封鎖の権限を与えられていましたが、現実には武力衝突は避けるべきだとの考えを持つに至ったと考えられます。

『JAPAN 1852』には、もう一つ重要な記述があります。それは日本の将軍と天皇家の特殊な関係です。 マックファーレンは、日本のこの特殊な政体の分析に1章をあてて詳細に分析しています。そして日本には、この2つの権力が併存していることをはっきり書いています。


「共存する2つの権力がもたらす驚くべき変則性については、すでに長々と述べたところである。<中略>帝あるいは内裏の王権は、その精神性に由来する。 神の子孫であるという力である。 もう一方の王様は将軍あるいは公方にあるが、それは力そのものに由来するものである。従って正当な王様は帝にある」。

この記述はペリー提督に十分なインパクトを与えたと容易に考えられます。日本開国プロジェクトを成功させるには将軍を納得させるだけではうまくいかないと考えたでしょう。

そして開国交渉には十分な時間をかけてこの2つの並立する王権の考えを一致させることが肝要だと考えたに違いありません。

ペリーが日本に向けて上海を出港したのは5月17日午後のことでした。 艦隊が日本に向かって航海中の1853年6月13日、オランダからこの年の別段風説書が準備されました。 そこには日本開国プロジェクトのために米国が大艦隊を編成していると書かれていました。

子の艦隊の陣容を知らされた幕府は驚愕したに違いありません。 1853年の別段風説書に記載されていた米国艦隊の情報は以下の通り。

バーモント号:1000トン大砲数96門乗組員数800名、
ミシシッピ号: 1700トン大砲数10門乗組員数375名、
サスケハナ号: 2500トン大砲数  9門乗組員数350名、
ポーハタン号:2500トン大砲数 2門乗組員数270名、
アレゲーニー号:1000トン大砲数2門乗組員数190名、
サラトガ号 :      大砲数22門乗組員数190名、 
ラーゼー号 :      大砲数22門乗組員数190名、
ブーポイセ号:      大砲数10
門乗組員数120名、
サザンプトン号:     大砲数  4

レキシントン号:     大砲数  4門
ファロール 号:     大砲数  4門


オランダが別段風説書で知らされていた通り、いよいよペリー艦隊が浦賀沖に現れたのは1853年7月8日のことでした。(受験生は、嫌でござんすペリーさん、で年号を覚えましょう)

艦隊はオランダの警告とは異なり、わずか4隻でした。 現れたのは蒸気戦艦サスケハナ号とミシシッピ号、帆走戦艦プリモスとサラトガでした。


*この頃、米国も支那(中国)でラッセル商会はじめ、いろんな商社が阿片ビジネスをやっていたので、最終目的地が日本だけでなかったのでしょう。 このラッセル商会の幹部がデラの一族、第二次大戦でウォーレン・デラノ・ルーズベルトが米国大統領ですが、かれの祖父が支那で財産を築き、ウォーレン・デラノ・ルーズベルトに中国の話をよく聞かせていたので、ルーズベルトは極端な親中:反日だったのです。 ルーズベルトの母方がデラノ一族です。 

また、ラッセル商会の幹部にフォーブス一族がいましたが、これまた共和党のブッシュと大統領選を戦った民主党フォーブス・ケリーの一族で。ケリーもアメリカを代表する大富豪です。大富豪を扱った雑誌『フォーブス』が有名ですが、このフォーブス一族が経営しています。

大英帝国はインド産の阿片を支那(中国)に売りつけましたが、米国は、ブッシュ一族が経営するトルコ産阿片を扱い、その用心棒がアサシン、後のアルカイダです。 よくお馬鹿が、米民主党は悪者、米共和党は愛国保守で戦争しないとかアホな事を言っていますが、どっちもどっちです。

また、日本ではアホボン安倍を愛国保守と信じる阿呆もいますが、愛国保守が日本を露骨に侵略してくる習国賓で招待し招待し中国人留学生の問題、日本国土を大量に中国に売却したのも安倍政権です。

実施トランプはロスチャイルドやユダヤ系ゴールドマン・サックスはじめ、またユダヤ系資本家から1,000億円以上の資金提供を受けで大統領選に勝利したのです。トランプが指名した、トランプ政権の第77代財務長官が、ゴールドマン・サックス出身の、スティーブ・ムニューシン。アメリカ合衆国国家経済会議(NEC)委員長。 経済担当大統領補佐官が、ゴールドマンサックス出身のゲーリー・コーン。 

首席戦略官(上級顧問)
がゴールドマン・サックスのM&A部門で投資銀行業務に携わっていた、スティーブン・バノン。 

トランプ大統領補佐官兼上級顧問(経済イニシャチブ担当)が、ゴールドマンサックスのグローバル・コーポレート・エンゲイジメント社長を務めていた、ディナ・ハビコフ・パウエル

極めつけが、トランプ政権で第39代商務長官を務めたのが、N・M・ロスチャイルド出身の、ウィルバー・ルイス・ロス・ジュニア

知っての通り、ネオコンは民主党から共和党に鞍替えしてロックフェラー系の軍需企業と癒着しているケースが多く、アフガニスタンやイラクに空爆やりまくったのもロックフェラーが背後にいる共和党政権。

共和党・ブッシュは戦争しない? アホか! 第二次大戦で東京を焼け野原にしたB-29はロックフェラー財閥の軍需企業ボーイング社。 玄白を投下したエラノ・ゲイも
ボーイングの機種名。 B-29のBは、ボーイングです。

トランプは暗殺や戦争しない平和主義者? これまたアホか??です。 イランのスレイマニー将軍をドローンで暗殺したのはトランプ政権で、トランプは自慢していたじゃ無いですか。 

彼の遺体は原形をとどめないほどにひどく焼かれたものの、本人照合は彼が常日頃身に着けていた指輪により特定された。wiki

こうした事実を無視?もしくは公海上なのに知らない? ネットでの「デマやプロパガンダに踊らされる阿呆どもは、黙っとれ!」といいたいです、 

 

また、世界の最貧国に一つであった中国に巨額の資金・技術援助をおこないここまで大きくしたのはロックフェラー財閥です。 米ソ冷戦の最中、1972年2月共和党のニクソン大統領を訪中させ、北京での毛沢東との首脳会談で巨額の資金・技術援助を約束させたのが起点です。 中露分断の目的で、中国を同盟国並みに育てたのです。 ところが調子に乗った中国が米国の覇権まで狙ってきたので、最近方針転換し、欧米が完全に反中に回っているのです。

アホボン安部は、この流れを読めずに、習近平を国賓で招待してみたり、ドル体制を崩す中国版SWIFTを日本に導入させ、みずほ銀行・三菱UFJ銀行はすでに採用しています。(2019.7.2」日経記事)

そして安倍政権下の2016年総務大臣に就任した高市早苗。 演説とは真逆にHuwwei基地局を大量導入しました。 高市は、松下政経塾を卒業後、親中・反日の小沢一郎率いる新進党に入党し、小沢とはんにちかつどうをやっていたばり張りの反日左翼。 彼女との再婚で話題となった山本拓も新進党に入党し小沢と親中・反日勝度していたド左翼。 高市の実の弟は山本の秘書という一族挙げての親中・反日左翼です。

高市・山本ともに国民そっぽをむかれ、自民党に鞍替え。 山本は親中で有名な二階派に所属。 高市はナチスやヒトラーを礼賛し、保守右翼のコスプレ中。 だまされてはいけませんよ。

 

親中になびく安倍政権をジャパンハンドラーの米シンクタンクのCSISが子依然と非難した直後、安倍首相は健康を理由に電撃辞任。入院もせず元気でしたけどねw。 菅政権の誕生となり、以後菅政権・岸田政権は反中・親欧米路線。 

安部元首相が首相に帰り咲こうと活動中に暗殺されました。 私はCIAの関与があったと考えています。誰が撃ったかは問題ではありません。誰がプロのスナイパーを雇ったかが問題です。

アホボン(永田町ではFランク大学出身の2世議員を呼ぶらしい)は完全にトラ(米国)の尻尾を踏んでしまったのです。

 

(参考情報)

トランプ元大統領はロスチャイルドのヒットマンだった? 林千勝
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41761230

トランプ前大統領がワクチン追加接種 支持者からはブーイング
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41698640

【“統一教会”が大規模集会】韓国でトランプ大統領など各国要人が出席 安倍元首相の“追悼”も
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41564152

 

トランプは日露戦争があった事の知らなかった政治音痴。 金儲け主義のビジネスマンです。だからEU・韓国・日本にかんしても金のことしかいわないので、国際関係も敵だらけ。 国内ではお世話になったロスチャイルド、ロックフェラー、コーク兄弟など国際金融資本に対し、大統領になった途端に手のひらを返し、彼らと戦っているポーズを見せで国民の人気取りに走ったので、2期目からは完全にアメリカ国内であのような目にあっているのです。 とても米国内で権力を持っているとは思えません。 



話を、ペリーに戻します。 ペリー提督は久里浜に特設された応接所で、フィルモア大統領の親書を手渡すだけでした。しかし、翌年には大艦隊を率いてやってくると言い残しています。

ペリーは立ち去る前にちょっとした博打を売っています。親書を手渡した翌日の7月15日、蒸気艦船ミシシッピ号を江戸湾奥深くまで入港させました。歴史家ジョージ・ファイアーはその書『Breaking Open Japan』の中で、次のようにこの博打の模様を書いています。

「せいぜい4マイル(およそ6.5km)の距離に灯台のような白い塔が見えた。その先4マイルには多くの船が見えている。品川に違いない。 ミシシッピ号はさらに湾の奥に進み、市街地を射程に置くことができた」。 おそらく軍人のペリー提督は、江戸の防衛能力がこれまでに得た情報があっているか確認したかったのでしょう。

江戸幕府は江戸湾の海防を三浦半島の富津をむすぶラインで考えていました。 そこに砲台を築けば江戸湾を守れると考えていましたが、ペリーは日本の大砲の射程短く、およそ7kmある海峡の中央を航行すれば、やすやすと江戸湾に入れることを知っていました。 

だからこそ、江戸湾の最深部まで侵入する博打を打つことが出来ました。 ペリー提督は、久里浜での幕府役人の態度を観察していました。 交渉に乗船した役人は、アメリカの友人と別れるのは残念だとまで言っていました。 

提督は、幕府の役人の見せた態度から幕府は開国やむなしの空気になっているのではないかと確認に満ちた気持ちがあったのではないでしょうか。そして、どうしても避けたいと考えていた武力行使はしないですむかも知れないと思ったのかも知れません。

そうはいっても、開国反対派が存在することは確実ですから、そうした強硬派へのけん制の意味もあり、清川沖まで船を進めたと思われます。 また、幕府役人を船上に案内したのも、装備を見せつけるためでなかったかと思われます・

実際、西洋の砲台に詳しい役人は、ペリー提督がペクサン砲を積んでいたと報告しています。 この砲は炸裂団を打てる当時の最新兵器でした。 ペクサン砲は敵船に対し近い距離から水平に炸裂弾を撃ち込む平気です。 炸裂弾は船の内部で爆発しますから、木造船はひとたまりもありません。

続く

 

 

 

日本開国 ペリー来航の真実  ここまでのまとめ

 

・ロスチャイルド財閥ー212 ペリー来航の真実 幕府は黒船来航を知っていたhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4d165d452dbd1fd7a00be4b84f79d847
・ロスチャイルド財閥ー211  ペリー来航の真実 シーボルト来日の秘密 日本開国との関係https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2f649cb53437316eeb4e1f510b6c923d
・ロスチャイルド財閥ー210 ペリー来航の真実 開国PJ反対派を黙らしたロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af5aba05f92d2c6b58c26db9b5659d3e
・ロスチャイルド財閥ー209 ペリー来航の真実 何故ペリーが選ばれたのか?https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f07a809db31c072d5f9d7f3246d1d6fe
・ロスチャイルド財閥-208 ペリー来航の真実 対日戦争を企てていた米国https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2434fcf644d9ef20c7df04536a0ef5
・ロスチャイルド財閥-207 ペリー来航の真実 太平洋ハイウェイ構想 、大陸横断鉄道と日本開国計画
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f8682313e1794bfeb1a9e82f6baf82d
・ロスチャイルド財閥-206 日本開国とロスチャイルド、そして二人のエージェントhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/11bb0b1f6ebbce1c2b64ac3e90cc4906
・ロスチャイルド財閥-205  ペリー来航の真実 米国阿片貿易と清開国https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/903a24d046d7e62ad68a968c58e225a0
・ロスチャイルド財閥-204 ペリー来航の真実 英米・阿片商社と阿片戦争https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7b5f5c3ac2623db3abe3397b7a7a5694
・ロスチャイルド財閥-203   阿片戦争前夜のナポレオン戦争と英米戦争、そして清市場開拓
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c0979f6e43f5ca25777680b5c878866c
・ロスチャイルド財閥ー202 英産業革命と清(中国)新市場開拓https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/766b8ee9f020520ee5e7d37f94347673
・ロスチャイルド財閥-201 ワシントン焼き討ち事件
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b5395b181e96c8d8a5dcbfe4ca44e908
・ロスチャイルド財閥-200 ペリー来航の本当の目的 シリーズスタート
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7d7ad0c4ec5e1a437582b224363b5409



 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (1/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f87a836a42cfdcf5bc18c8a5e212fe5

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (2/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/40a30f12de3651f13810a90405370238

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (3/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e334f8ba710639aefdcc8d7824f9fa

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

 

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

ロスチャイルド財閥ー212 ペリー来航の真実 幕府は黒船来航を知っていた

2023-05-29 03:52:57 | 日本開国 ペリー来航の真実

ここでこの時期のオランダと日本の関係を見てみましょう。 オランダは幕府に西洋事情を定期的に報告していました。 阿蘭陀風説書(おらんだふうせつがき)といわれるものです。

幕府が強い関心を寄せそうな情報は特別に「別談風説書」として報告していました。1850年の別格風説書では「アメリカ儀議会では、北太平洋で操業する捕鯨船主らのロビー活動によって日本を開国しろという議論が起きている」ことを幕府に伝えています。

何度も言いますが、ペリーが来航したのは1853年7月8日なので、ペリー来航の3年前の話です。さらに1852年の別談風説書では、「翌年の春以降にアメリカの蒸気軍艦が江戸城にやってくる」ことが書かれていました。

後に、浦賀にペリー提督率いる黒船艦隊が入ってきたと説きに「天下泰平の眠りを覚ます植木線、たった四杯で夜しかし、それは世界の情勢を知らされていない庶民の驚きであって、老中首座の阿部正弘を初めとした幕府首脳は早い段階からペリー艦隊が近い将来に江戸湾に現れることを知っていました。

したがって、幕府首脳がそれなりの議論を重ね対応策を練っていた筈だという推論は成り立ちます。 米国の日本開国計画立案の時代にオランダの注ワシントン大使は、バロン・テスタという人物でした。 テスタはアメリカの日本開国計画の本質をしっかりと理解し本国にに報告しています。それは次のようなものでした。

「アメリカ海軍の狙いは、東アジアに拡大する商業利権の保護とアメリカ太平洋岸の安全保障である」。 「国際郵船サービスに使われる船は有事には軍船に転用することを考えている」。

「カリフォルニアの経済成長と支那貿易拡張への意気込みが、優先事業を国が支援すべきとの議論を改めて呼んでる」。 尚、郵便運搬の大型船を、戦時には軍船に転用できるできるような設計・造船をたんとうしていたのがブルックリン海軍工廠のトップであったマシュー・ペリーでありました。

この報告内容から分かるように、オランダのテスタ大使は米国の日本開国事業がけっして捕鯨船漂流民の保護ではないことを分かっています。ようするに英国ロスチャイルドの代理人アーロン・パーマーが提案した太平洋ハイウェイ構想の実現こそが、ペリー艦隊の狙いであることを正確に理解し、しっかりと本国のオランダ政府にも報告していました。

これほどはっきりとした文献があるのにも関わらず、日本では未だに米国の日本開国の目的が漂流民の保護であった戸と解する者が多いのは残念な事です。オランダとしては、日本との交易における排他的特権が脅かされることが気がかりでした。 しかし、世の流れには逆らえないと覚悟したようです。

オランダには、200年以上に渡る日本との深い関係がある以上、日本の事は一番わかっている、したがって、日本の貿易が他の西洋諸国に開放されても十分に祐な地位が保てると諦観したようでした。

続く

次の投稿は、「日本の情報が筒抜けだった理由」を予定しています。

 

 

日本開国 ペリー来航の真実  ここまでのまとめ

 

・ロスチャイルド財閥ー211  ペリー来航の真実 シーボルト来日の秘密 日本開国との関係
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2f649cb53437316eeb4e1f510b6c923d
・ロスチャイルド財閥ー210 ペリー来航の真実 開国PJ反対派を黙らしたロスチャイルド
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af5aba05f92d2c6b58c26db9b5659d3e
・ロスチャイルド財閥ー209 ペリー来航の真実 何故ペリーが選ばれたのか?
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f07a809db31c072d5f9d7f3246d1d6fe
・ロスチャイルド財閥-208 ペリー来航の真実 対日戦争を企てていた米国
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2434fcf644d9ef20c7df04536a0ef594
・ロスチャイルド財閥-207 ペリー来航の真実 太平洋ハイウェイ構想 、大陸横断鉄道と日本開国計画
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f8682313e1794bfeb1a9e82f6baf82d
・ロスチャイルド財閥-206 日本開国とロスチャイルド、そして二人のエージェント
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/11bb0b1f6ebbce1c2b64ac3e90cc4906
・ロスチャイルド財閥-205  ペリー来航の真実 米国阿片貿易と清開国
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/903a24d046d7e62ad68a968c58e225a0
・ロスチャイルド財閥-204 ペリー来航の真実 英米・阿片商社と阿片戦争
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7b5f5c3ac2623db3abe3397b7a7a5694
・ロスチャイルド財閥-203   阿片戦争前夜のナポレオン戦争と英米戦争、そして清市場開拓https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c0979f6e43f5ca25777680b5c878866c
・ロスチャイルド財閥ー202 英産業革命と清(中国)新市場開拓
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/766b8ee9f020520ee5e7d37f94347673
・ロスチャイルド財閥-201 ワシントン焼き討ち事件
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b5395b181e96c8d8a5dcbfe4ca44e908
・ロスチャイルド財閥-200 ペリー来航の本当の目的 シリーズスタート
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7d7ad0c4ec5e1a437582b224363b5409



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (1/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f87a836a42cfdcf5bc18c8a5e212fe5

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (2/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/40a30f12de3651f13810a90405370238

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (3/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e334f8ba710639aefdcc8d7824f9fa

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029


日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68


ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リストhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 


ロスチャイルド財閥ー211 ペリー来航の真実 シーボルト来日の秘密 日本開国との関係

2023-05-28 02:16:27 | 日本開国 ペリー来航の真実

米国政府は、日本開国計画を世間に発表しました。そのことは、当然にヨーロッパの国々にも知れました。 この時期に、スコットランド出身の英国の地誌学者チャールズ・マックファーレン(1799-1858)が長い題名の書をニューヨークで発表します。 

出版社は、アーロン・パーマーの事務所からわずか1kmの距離にありました。 パーマーがクレイトン国務長官に宛てた親書の内容までも詳細に紹介されていました。 ですから、この出版にもパーマーの関与があったと思われます。 これも東洋の日本を国民に広く知ってもらうことが重要だと考えた英国ロスチャイルドの代理人であるパーマーの世論工作であった可能性があります。


マックファーレンの書には、『日本: 地理と歴史 この列島の帝国が西洋人に知られてから現在まで、およびアメリカが準備する遠征計画について』という長い題名が付いています。

渡辺惣樹氏(東京大学卒、近代日米研究家)は、マックファーレンのこの作品『日本:地理と歴史』を翻訳して日本に紹介されています。翻訳書は、現在『日本1852:ペリー遠征計画の基礎資料』と題されて、草思社文庫から発売されています。Amazonでも購入できます。


ペリー来航1853年の前年、1852年11月24日、アメリカ東海岸の港メリーランド州アナポリスでペリーの日本開国プロジェクト成功を願う盛大な歓送会がありました。 ア歓送会にはフィルモア大統領もやってきていました。 いかに米国がこのプロジェクトに力を入れていたかが分ります。 

日本開国プロジェクトには当時の米国海軍予算の1/4が当てられていました。 国の威信をかけた一大プロジェクトにまで成長していたのです。

ペリーは、このプロジェクトを指揮する提督となり、最新鋭蒸気戦艦プリンストン号で支那の港に向かうことになっていました。 しかし、セレモニー直後にプリンストン号のボイラーが故障し、同伴予定の旧型上記戦艦ミシシッピ号単独での出航となりました。 

ミシシッピ号はアナポリスの南にある港ノーフォークから大西洋に出て行きました。大西洋からインド洋、シンガポール、東シナ海を通り、支那へのルートがいかに時間のかかるたびであるかが分かります。

シその後のペリーを追う前に、日本の事情をもっと知っていたオランダが,この頃どのようなスタンスでいたかについて説明しておきます。

米国の日本開国プロジェクトについては応援半分、苦々しさ半分でした。オランダにとって日本は特別な存在でした。 オランダはもともとスペインの領土でしたが、1600年代初頭のカトリック(ハプスブルグ神聖ローマ帝国)vsプロテスタントの宗教戦争で、ウェストファリア条約で独立を果たし、以後世界覇権を握っていたスペインと覇権を争います。

豊臣についたスペイン、徳川についたオランダ。豊臣vs徳川は、スペインvsオランダの世界覇権を競う代理戦争です。

その後、フランスにナポレオンが現れ、ヨーロッパ中を蹂躙し、オランダはナポレオンに敗れ、国を失ってしまいました。1806年6月、ナポレオンは占領したオランダに自身の弟ルイを国王として送り込み、1810年には国そのものをフランスに併合しました。

こうして、オランダは実質消滅し、国王のウィルヘルム5世は英国に亡命しました。 その結果、フランス支配となったオランダの植民地もナポレオンとの戦いを続ける英国の的となりました。例えば、オランダの植民地であった南アフリカのケープ植民地も英国が接収します。 これもナポレオン戦争との関連で起きた事件です。


長崎の出島はどうだったでしょうか、 長崎の出島では、オランダが消滅しながら、オランダ国旗を揚げ続けていました。 商館員はオランダ魂を発揮していました。 英国は、出島はナポレオンの支配下になったとして、ここに軍船を派遣します。

1808年10月14日、英国軍船フェートン号は、長崎港にオランダ国旗を揚げて入港しました。 自国船だと誤解したオランダ商館員や検査に入った長崎奉行所の役人や通詞(通訳)らが乗り込みました。 フェートン号が、この際にオランダ商館員2人を人質にしたうえ、水や食料を要求しました。

さらには、湾内の探索を自由気ままに行いました。 結局は商館員は解放され、フェートン号は3日後の17日に長崎を去っていきました。

この際の不手際に責任を感じた長崎奉行の・松平康英は切腹します。 この時期の長崎警備の担当だった佐賀藩も、藩主・鍋島斉直が謹慎処分を受けています。


これが日本史で有名なフェートン号事件です。いずれいせよ、この事件があってもオランダ商館はナポレオンではなく、旧オランダ王室に忠誠を誓って運営されていました。

その後、ナポレオンが没落するとオランダ王国は復活します。 そして対日貿易を再び活発化させようと考えました。 その任務を帯びて日本にやってきたのが、フィリップ・シーボルトでした。 


私は、ドイツのグローバル企業に勤めていたので、ドイツは詳しいです。 シーボルトはドイツ人です。 ドイツにロマンチック街道があり観光名所として有名ですが、北の端にヴュルツ大学があり、江戸時代にすでにレントゲンで診察していた医学で遊泳な大学です。シーボルトはこの大学出身です。

大学内にシーボルトの銅像がありますが、小さなうっそうと森のようになった中に彼の銅像があります。ヨーロッパでは一般に偉人の銅像は、広場の見晴らしの良い場所に建立されていますが、日本好きのシーボルトの場合は神社をイメージしているそうです。

このロマンチック街道の南端がフュッセンという街で、シンデレラ城のモシンデレラ城といわれる、ノイシュバン(新しい白鳥)シュタイン(石)城があります。

 

またシーボルトはスパイでもあり、日本に西洋医学を広めながら、日本のあらゆる情報を収集したことも日本史で詳しく語られています。米国は、当然に日本に関わる情報は長崎のオランダ商館にあることを知っていました。

そのオランダに、テイラー大統領は、ジョージ・フォルサムを領事として派遣し、オランダ政府に日本開国計画の協力を求めています。

とりわけ、航海の安全のためには、正確な地図が必要でした。 オランダにはシーボルトが収集した日本地図がありました。
米国政府は、当時のお金で3万ドルを使い、オランダからあらゆる日本情報を手に入れています。

そうした日本に関わる膨大な参考資料を持って、ペリーは長い旅に出ました。 フォルサムの情報収集が終わると、彼の後任に着いたのが、英国ロスチャイルドの代理人であったオーガスト・ベルモントで、すでにご紹介したペリー提督の娘婿であります。


続く

次の投稿は、「幕府は黒船来航を知っていた」を予定しています。

 

 

 

日本開国 ペリー来航の真実  ここまでのまとめ

 

 

・ロスチャイルド財閥ー210 ペリー来航の真実 開国PJ反対派を黙らしたロスチャイルド
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af5aba05f92d2c6b58c26db9b5659d3e
・ロスチャイルド財閥ー209 ペリー来航の真実 何故ペリーが選ばれたのか?
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f07a809db31c072d5f9d7f3246d1d6fe
・ロスチャイルド財閥-208 ペリー来航の真実 対日戦争を企てていた米国
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2434fcf644d9ef20c7df04536a0ef594
・ロスチャイルド財閥-207 ペリー来航の真実 太平洋ハイウェイ構想 、大陸横断鉄道と日本開国計画
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f8682313e1794bfeb1a9e82f6baf82d
・ロスチャイルド財閥-206 日本開国とロスチャイルド、そして二人のエージェント
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/11bb0b1f6ebbce1c2b64ac3e90cc4906
・ロスチャイルド財閥-205  ペリー来航の真実 米国阿片貿易と清開国
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/903a24d046d7e62ad68a968c58e225a0
・ロスチャイルド財閥-204 ペリー来航の真実 英米・阿片商社と阿片戦争
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7b5f5c3ac2623db3abe3397b7a7a5694
・ロスチャイルド財閥-203   阿片戦争前夜のナポレオン戦争と英米戦争、そして清市場開拓https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c0979f6e43f5ca25777680b5c878866c
・ロスチャイルド財閥ー202 英産業革命と清(中国)新市場開拓
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/766b8ee9f020520ee5e7d37f94347673
・ロスチャイルド財閥-201 ワシントン焼き討ち事件
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b5395b181e96c8d8a5dcbfe4ca44e908
・ロスチャイルド財閥-200 ペリー来航の本当の目的 シリーズスタート
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7d7ad0c4ec5e1a437582b224363b5409



 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (1/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f87a836a42cfdcf5bc18c8a5e212fe5

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (2/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/40a30f12de3651f13810a90405370238

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (3/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e334f8ba710639aefdcc8d7824f9fa

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

 

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 


ロスチャイルド財閥ー209  ペリー来航の真実 何故ペリーが選ばれたのか?

2023-05-26 00:05:10 | 日本開国 ペリー来航の真実

英国と米国が支那市場を巡ってつばぜりあいを続けていたことを述べてきました。 

また、米国は東アジアへの航海日数が、英国に比べ不利でありましたが、カリフォルニアの取得により格段に縮まる
可能性が出てきて、太平洋ハイウェイ構想を米国に理解させたのが、英国ロスチャイルドの代理人であるアーロン・パーマーという人物であったも紹介してきました。

そのパーマーが太平洋ハイウェイ構想実現のためには、日本をか帰国させ、米国蒸気船のための石炭補給や船体修理、あるいは嵐の際の避難港を提供させようとしていました。 パーマーはこの日本開国事業をスタートさせるためには、政治家や国民世論に受けやすい米国捕鯨船乗組員の保護を謳うことが得策だと考えました。

そのために、日本は哀れな漂流民を虐待する非人道的な国であると訴えました。 日本開国事業が具体的に動き始めた、ペリー艦隊が日本に派遣されますが、何故、ペリーが選ばれたのでしょうか。 

日本鎖国政策をよく知っていたアーロン・パーマーは、日本の開国のためには軍事力による威嚇が必要になる可能性も示唆した開国提案書に改訂します。

彼の改訂日本開国提案書は、実質「対日戦争計画書」でした。 従って、日本を開国させるために事業は軍事行動になったのです。 そうなると、開国事業の指揮官は、軍人でなくてはなりません。

パーマーは、ある人物を想定していました。それが日本人なら誰もが知っている、黒船を率いてやってきた、マシュー・ペリーでした。

何故、ペリーは提督として抜擢されたのでしょうか。 そこには日本開国計画を立案したアーロン・パーマーとペリー提督をつなぐ深い人脈がありました。 パーマーは、英国ロスチャイルド家の銀行、N・M・ロスチャイルド&サンズのエージェントであったことを紹介しました。

N・M・ロスチャイルド&サンズは、パ-マーの他に、もう一人のエージェントを雇っていました。 それが、オーガスト・ベルモントです。ベルモントは、ドイツ・フランクフルト郊外で生まれたユダヤ人です。1813年生まれのベルモントは、フランクフルトのロスチャイルド家に奉公し、文字通りの叩き上げで、同家の幹部に出世しました。

1837年、英国ロスチャイルドのN・M・ロスチャイルド&サンズの代理店であった、JL&S.ジョセフ・カンパニーが破綻します。フランクフルト・ロスチャイルド家も米国に投資していたため、その残務処理に、オーガスト・ベルモントをニューヨークに派遣しました。

ベルモントには、その作業を終え次第、キューバのバハナ行きが命じられていました。フランクフルト・ロスチャイルド家は、キューバの砂糖事業にも大きな投資をしていました。

ところが、ベルモントは米国内での仕事を終えても、バハナに移行つぃませんでした。 彼はこれからの米国の発展を肌で感じていました。この国でのファイナンス事業に大きな将来性を感じて独立を決意したのです。

フランクフルト・ロスチャイルド家は、「悪党、ろくでなし、奴には首輪をつけておくべきだった」と、この背信行為を激しく非難しました。

しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、ロンドンのロスチャイルド家のN・M・ロスチャイルド&サンズが、ベルモントを米国代理人として雇いました。 このような経緯でN・M・ロスチャイルド&サンズの代理人となったベルモントは、日本開国計画を企画したアーロン・パーマーと同僚になります。

ロスチャイルド家のファイナンスのやり方を熟知してベルモントは、、わずか3年で、当時ニューヨークで最も裕福な40人の富豪に成り上っています。 

ニューヨークの大富豪になったベルモントは、ニューヨーク・ブロードウェイのナイトスポットである、ニプロ・ガーデン劇場で、ある男とのいざこざに巻き込まれます。 にプロ・ガーデンヘイワードに女性への侮辱を注意したベルモントと口論になりました。 二人は、当時の紳士としてケジメをつけるために、1841年8月25日、メリーランド州セシル郡にある小高い丘グレイスヒルで決闘します。

この決闘で銃弾を受けたベルモントは、障害足の不自由な生活を強いられますが、ヘイワードが侮辱したのが、キャロライン・ペリーという女性です。 この事件をきっかけに、ベルモントとキャロラインは1849年に結婚。

この年は、アーロン・パーマーが「対日戦争計画書」をクレイトン国務長官に提出した年でした。キャロラインは当時の社交界でも評判の美女でした。 彼女の父こそが、後に黒船で日本のやってきて開国を迫った、マシュー・ペリーです。


マシュー・ペリーは米墨(米・メキシコ)戦争で、戦艦ミシシッピ号の艦長として活躍した海軍の高官でした。ベルモントとキャロラインが結婚した1849年当時は、ニューヨーク・ブルックリンにあった海軍工廠のトップでした。 

アーロン・パーマーと同時に英国ロスチャイルドのN・M・ロスチャイルド&サンズの米国代理人であったオーガスト・ベルモント。 そのベルモントの結婚相手がキャロライン・ペリー。 キャロラインの父が海軍の高官マシュー・ペリー。


そしてその頃のパーマーは、日本を愛軍力を使って開国させることを米国に説いていました。 ここに、ペリーが日本開国に航行してくる背後の人脈が見えてきます。 パーマーは早い時期から対日開国交渉のトップに、マシューペリーを考えていました。 

パーマーは開国プロジェクトの指揮官が決まる前の1849年からプロジェクトが決定する1952年の間に、ペリーと何度も会っており、日本開国プロジェクトを説明したことを明かしています。


そして、ペリー提督が黒船に乗って日本に来航し、開国を迫ったのが、1853年。 受験生は、「いやでござんすペリーさん」で年号を覚えましょう。

 

続く。

 

 

 

 

日本開国 ペリー来航の真実  ここまでのまとめ

・ロスチャイルド財閥ー210 ペリー来航の真実 開国PJ反対派を黙らしたロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af5aba05f92d2c6b58c26db9b5659d3e

・ロスチャイルド財閥ー209 ペリー来航の真実 何故ペリーが選ばれたのか?https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f07a809db31c072d5f9d7f3246d1d6fe

・ロスチャイルド財閥-208 ペリー来航の真実 対日戦争を企てていた米国https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2434fcf644d9ef20c7df04536a0ef594

・ロスチャイルド財閥-207 ペリー来航の真実 太平洋ハイウェイ構想 、大陸横断鉄道と日本開国計画https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f8682313e1794bfeb1a9e82f6baf82d

・ロスチャイルド財閥-206 日本開国とロスチャイルド、そして二人のエージェントhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/11bb0b1f6ebbce1c2b64ac3e90cc4906

・ロスチャイルド財閥-205  ペリー来航の真実 米国阿片貿易と清開国https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/903a24d046d7e62ad68a968c58e225a0

・ロスチャイルド財閥-204 ペリー来航の真実 英米・阿片商社と阿片戦争https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7b5f5c3ac2623db3abe3397b7a7a5694

・ロスチャイルド財閥-203   阿片戦争前夜のナポレオン戦争と英米戦争、そして清市場開拓https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c0979f6e43f5ca25777680b5c878866c

・ロスチャイルド財閥ー202 英産業革命と清(中国)新市場開拓https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/766b8ee9f020520ee5e7d37f94347673

・ロスチャイルド財閥-201 ワシントン焼き討ち事件https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b5395b181e96c8d8a5dcbfe4ca44e908

・ロスチャイルド財閥-200 ペリー来航の本当の目的 シリーズスタートhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7d7ad0c4ec5e1a437582b224363b5409

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (1/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f87a836a42cfdcf5bc18c8a5e212fe5
ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (2/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/40a30f12de3651f13810a90405370238
ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (3/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e334f8ba710639aefdcc8d7824f9fa

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

 

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


ロスチャイルド財閥-208 ペリー来航の真実 対日戦争計画を企てていた米国

2023-05-25 05:05:15 | 日本開国 ペリー来航の真実

英国ロスチャイルドの代理人、アーロン・パーマー自身の信書が政府により公開された時期を見計らったのように1849年9月117日、パーマーは新たな文書をクレイトン国務長官あてに提出します。

パーマーは日本では捕鯨船漂流民が虐待されていることパーマーは、清国に駐在していた宣教師、サミュエル・ウィリアムズとコンタクトを取り、東アジア情報全般を、清国に駐在していた宣教師、サミュエル・ウィリアムズとコンタクトを取り、東アジア情報全般を入手していました。

ウィリアムズは、1837年7月に、米国四大商社の一つであるオリファント商会が、日本に派遣したモリソン号に通訳として乗り込んだこともあります。 日本事情をよく知っているプロテスタント宣教師でした。

モリソン号は、日本の漂流民を乗せて江戸湾に向かい通商を求めましたが、徳川幕府に追い払われています。 

無二念内払い令(むにねんうちはらいれい)といって、江戸幕府が1825年に発した異国船打ち払い令で、1837に年浦賀に現れたモリソン号もこのうち払い令によりウィリアムズは、この事情を「チャイニーズ・リポジトリー」という広東で発行されていた宣教師の機関紙の1、この事情を「チャイニーズ・リポジトリー」という広東で発行されていた宣教師の機関紙の1837年7月号に寄稿していました。 

 

 

長崎からの漂流民救出劇
1849年春に発行された同誌には、プレブル号による長崎からの漂流民救出劇の模様を書いています。 ぷレブル号ののジェイムズ・グリン艦長は、長崎の役人と断固たる漂流民は、北海道南西部の沖合にいた捕鯨船ラゴダ号から子舟に乗って逃げてきた乗組員でした。当時の米国
民は、北海道南西部の沖合にいた捕鯨船ラゴダ号から子舟に乗って逃げてきた乗組員でした。

当時の米国は灯油に使う鯨油を求めて、世界中のクジラを追っていました。 取りつくした鯨の最後の漁場が日本海やオホーツク海でした。 捕鯨船の乗組員は「馬のように働き、豚のように生きていた」と言われるように、劣悪な環境で仕事をしていました。

ですから、捕鯨船のノリ区民の脱走は多かったのです。 現在の北海道檜山郡上ノ国町にある小砂子(おいさこ)の浜に15人の脱走乗組員が子舟に乗って現れたのは、1848年6月7日のことです。

この時期の江戸幕府は、こうした異国人が現れると、現場で尋問した後に長崎に送り、そこからオランダ船や唐船に乗せて清国に送り返していました。 尋問はスパイではないかということをチェックするものでした。

被尋問者が抵抗しない限り虐待を受けることはありませんでした。 長崎に現れたプレブル号は、尋問を終わり支那に送り返されることになっていたラゴダ号の脱走捕鯨乗組員を、民間船に代わって引き受けただけでした。 

ウィリアムズ牧師の寄稿文ではグリン艦長は断固とした交渉で、漂流民を開放したことになっています。 彼は漂流民が実際には、脱走乗組員であることを、船内で実施した聞き取り調書で分かっていたようです。

広東にいたウィリアムズは、この事件についても『チャイニーズ・リポジトリー』に寄稿していたわけです。この当時、清国で活躍していた米国宣教師たちは、阿片商人とと同様に、何かあった場合には、清国に派遣されていた米海軍の軍船に保護してもらっていました。

彼らの武力の後ろ盾がなければ、清国官憲からどんな扱いを受けるか分かりません。 そうした事情もあったのか、ウィリアムズはプレブル号グリン艦長の救出劇をいささか美談に仕立て上げていました。

およそ1年にわたって虐待された哀れな漂流民を、グリン艦長は、米国海軍魂を発揮した断固たる交渉で解放したと書きました。その際に、日本の役人は、交渉を長引かせ開放を渋ったなどとも書いています。

 

 

対日戦争計画書
虐待されていたのなら、なぜ彼らは長崎にいたのでしょうか。 しかし、事情を知らないものには、虐待されたはずの船員が長崎にいた意味をを理解できるはずもありません。

この虚実入り乱れた解放劇が書かれた『チャイニーズ・リポジトリー』は、日本開国計画をクレイトン国務長官に提案していたアーロン・パーマーには役立つ情報でした。

彼はたちまち、4月に提案した日本開国計画を、更に進化させたいわゆる「対日戦争計画書」を書きあげ、クレイトン長官に提出しました。 1849年9月17日に提出された「改訂日本開国計画書」に、プレブル号の救出劇が書かれた『チャーニーズ・リポジトリー』を同封し、クレイトン国務長官に迅速な決断を促しました。

パーマーは、日本を開国させる目的を「太平洋ハイウェイ構想」から捕鯨船漂流民の保護と海難事故があった場合の緊急避難港の確保のためだと、内容をシフトさせています。

 

政治家そして世論にとっては「太平洋ハイウェイ構想」は分かりやすく壮大なスケールの話です。 しかし、自国民が虐待されているというストーリーは誰にも理解できる分かりやすいものです。

パーマーは、早急に日本開国のための特使を任命するよう求めています。 ザカリー・テイラー大統領の親書を持たせ、特別編成した艦隊を江戸に派遣し、将軍との直接交渉すべきだと提案しました。日本に示す具体帝提案も書き込んでいます。

パーマーが(江戸幕府の)将軍との直接交渉を初めから提案していることに注意が必要です。 彼がそれまでに得た情報で長崎奉行との交渉では、開国交渉のような重大案件などを既に知っていたことを示しています。

パーマーの示した日本への要求項事項は次のようなものでした。 

 

パーマーの示した日本への要求事項

①虐待された漂流民への十分な賠償、死亡した場合には遺族へ5千ドルの支払い、米国側の交渉に関わる費用の負担。

②米国船が悪天候の場合に、避難できる港を提供できること。、修理補給を日本の市場価格で提供すること、船が難破した場合集荷は米国船にひきわたすこと、費用はアメリカ政府が負担すること。

③日本または、その支配下にある港を交易のために加工すること。、外交特権を保証し侮辱的な作法を強要しないこと。

④サンフランシスコ~上海間を結ぶ蒸気船の石炭補給基地を提供すること、および日本近海での漁業権を認めること。

⑤両国の条約は清国との間に結ばれた望厦(ぼうか)条約をベースにすること。

望厦(ぼうか)条約
望厦(ぼうか)はマカオ郊外の地名で、条約が締結されたところ。 阿片戦争に敗れた清に対して、イギリスが南京条約を押し付けたことに便乗したアメリカ合衆国が、直ちに使節を派遣して、1844年に清側に認めさせた条約。

 

パーマーが、日本の事をよく知っていたことが分かります。 無二念打ち払い令、いわゆつる異国船打ち払い令は1842年に廃止されていたこと。 パーマーは徳川幕府が交渉を拒絶する可能性を考慮し、その場合には江戸湾を封鎖すべきであり、開国交渉にあたる特使には、その権限を与首都・江戸への物資の供給が途絶えれば、米国側の条件をのむことは間違いない。

日本は勇敢で好戦的であるも・江戸への物資の供給が途絶えれば、米国側の条件をのむことは間違いない。日本は勇敢で好戦的であるもののすべての面で脆弱。 わずか一隻のフリゲート艦の攻撃に対する防御もできない。

幕府が要求する長崎での交渉では時間ばかりがかかり、交渉成功の見込みなし。 故に、江戸湾に直接入り、将軍あるいはその直属幹部との交渉を最初から提案。 江戸湾の封鎖で江戸の経済がマヒすること、そして江戸湾の防衛は全くできなこと、つまり陸地からの砲弾は江戸湾の中心部を航行すると届かないことが分かっていました。

だからこそ、「改訂開国提案書」は実質「対日戦争計画」だったのです。 この計画書には、江戸は海運によって運び込まれる食料なくしては維持できないこと、日本は蒸気船を一隻も保有していないこと、江戸湾には蒸気戦艦の航行に必要な十分な深さがあることを知っていました。

それだけではありません。 日本の封建制度の仕組み、参勤交代制度、精神的権威と世俗的な権威の分離、つまり皇室と徳川将軍との関係、有力大名の名前、幕府の組織、江戸の運河を利用水運、江戸の都としての大きさ、江戸城内には大広間がある。など知り尽くしてました。

将軍との謁見では、将軍とは目を合わせずに、カニのように這いつくばって謁見しなければならない、謁見を終えると再びカニのようにずり下がらなくてはならないことまで、国務長官に報告されていました。

こうした情報は、参勤交代で4年に一度、江戸を訪れていた長崎のオランダ商館員から得たものです。 パーマーが書き上げ「対日戦争計画書」の主旨は、しっかりと米国政府に理解されました。 パーマーの提言を了解した米国政府は、具体的な特使の人選、艦隊の陣容の決定作業を始めます。

続く

次回の投稿は、「何故ペリーが選ばれたのか」です。

 

 

 

日本開国 ペリー来航の真実  ここまでのまとめ

 

・ロスチャイルド財閥-207 ペリー来航の真実 太平洋ハイウェイ構想 、大陸横断鉄道と日本開国計画
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f8682313e1794bfeb1a9e82f6baf82d
・ロスチャイルド財閥-206 日本開国とロスチャイルド、そして二人のエージェント
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/11bb0b1f6ebbce1c2b64ac3e90cc4906
・ロスチャイルド財閥-205  ペリー来航の真実 米国阿片貿易と清開国
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/903a24d046d7e62ad68a968c58e225a0
・ロスチャイルド財閥-204 ペリー来航の真実 英米・阿片商社と阿片戦争
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7b5f5c3ac2623db3abe3397b7a7a5694
・ロスチャイルド財閥-203   阿片戦争前夜のナポレオン戦争と英米戦争、そして清市場開拓https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c0979f6e43f5ca25777680b5c878866c

・ロスチャイルド財閥ー202 英産業革命と清(中国)新市場開拓
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/766b8ee9f020520ee5e7d37f94347673

・ロスチャイルド財閥-201 ワシントン焼き討ち事件
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b5395b181e96c8d8a5dcbfe4ca44e908

・ロスチャイルド財閥-200 ペリー来航の本当の目的 シリーズスタート
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7d7ad0c4ec5e1a437582b224363b5409

 



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (1/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f87a836a42cfdcf5bc18c8a5e212fe5
ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (2/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/40a30f12de3651f13810a90405370238
ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (3/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e334f8ba710639aefdcc8d7824f9fa

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029
日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3
Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー