ロスチャイルド財閥-153 (1/2) RAA(特殊慰安施設協会:実態は日本の婦女子を使った売春慰安所)と新憲法成立
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からの続き
内通者を大臣へ昇格(1946年2月)
RAAが解体され,華族の女性を手駒にしていた楢橋渡。 GHQの高級将校を下半身から丸め込んだ楢橋書記官長「接待部長」は大出世を遂げる。
1946年2月25日(月曜日)、幣原内閣は、楢橋渡(内閣書記官長)と石黒武重(1897-1995・法制局長官)を「無任所国務大臣」(各省大臣と同格)
に任命する同意をGHQに求めた。 ホイットニー准将は、二人の大臣昇格に好意を持って賛成。 ホイットニー自らマッカーサー元帥にご報告し、
大臣任命の許可を求めた。
ホイットニーからマッカサー元帥へ 1946年2月25日付
幣原内閣は、終戦連絡事務強を通じて、柿に名を現職のまま「無任所国務大臣」に任命してよろしいかと許可を求めております(註・「無任所国務大臣」は各省大臣と同等の地位。 「終戦連絡局」はGHQが占領政策を徹底させるために日本政府につくらせた)
楢橋渡 :現職(内閣書記官長)
石黒武重:現職(法制局長官)
幣原がこの2名が閣議に班列してもよろしいかと許可を求めております。 今までのように、彼らが議決権を持たず閣議に出席するだけではありません。
元帥もご存知のように、楢橋はGHQの類稀な協力者です。日本政府の中で,元帥の指令を最も順守している人物です。 石黒は楢橋の息のかかった協力者です。
楢橋が法制局長官から内閣書記官長(註・官僚のトップ)に任命された時、、その後任者として石黒が選ばれました。 幣原首相が二名を抜擢したことは、差し迫る憲法問題を打開するためです。
とても良い人物だと信じております。 終戦連絡事務局は、楢橋と石黒の履歴書を本日午後三時までに、私に届ける手はずとなっております。 彼らが現職の任務についているのですから、公職追放令に抵触することはないと存じます。
GHQ民間諜報局が二名の事前審査を行っております。 問題がなければ、本日午後の会議の際に、私に個の二名の任命を許可する権限をお許し頂ければと存じます。
コートニー・ホイットニー
米陸軍准将
チャールズ・L・ケーディスと鳥尾夫人 二人は不倫の愛人関係
この著書の中にもでてくるのですが、ホイットニーはマッカーサーの第一子分、ケーディスはホイットニーの第一子分です。 また華族の鳥尾夫人は楢橋が関係を繋ぎ、ケーディスと不倫の愛人関係にありました。
ケーディスがアメリカに帰国してからは、銀座八丁目に「バー折尾夫人」を開業しますが、安倍晋三元首相の父である安倍晋太郎・外務大臣(岸信介の長女と結婚)もよく顔をだしていたことも記載されています。
鳥尾夫人とは、鳥尾鶴代の事で、子爵・鳥尾敬光(のりみつ)1910-1949の夫人で二児の母であります。鳥尾家は長州の萩出身で、鳥尾家の自宅は、小石川の音羽に200坪の広大な邸宅を構え、庭は7000坪。自宅周辺の借家も含めると、二万坪の土地を擁していました。
鶴代は平民ながら女子学習院に入学し、鳥尾敬光を射止めました。容姿端麗で子爵夫人という華族、そして英語ができる鳥尾夫人は、楢橋から見て、GHQ将校クラスの接待には最適な女性だったのです。
女性関係の話は、このくらいにして、実はマッカーサー/ホイットニーと楢橋そして石黒は、戦後の日本国新憲法成立に大きく関係しています。
新しい日本国憲法論議と成立
1946年2月13日(金曜日)、白洲次郎がホイットニー准将に「ジープ・ウェイ・レター」を送る。 「日本式にゆっくりと憲法協議をいたしましょう」と勧めたよく6日(土曜日)白洲はホイットニーの返事で返り討ちに遭います。
2月21日(木曜日)、幣原首相はマッカーサー元帥と直接談判。 「談判というより、元帥の「ご指導を乞うため」に会いに行った。 翌日、幣原はこの家憲内容を閣議で次のように説明。
マッカーサー元帥は日本の幸福を考えており、ことに天皇陛下と会ってから、天皇を護ることが非常に重要であると思うようになった。
しかし、極東委員会の対日感情はなお強く、ことにソ連、オーストラリアは日本がやがて強国になり、連合軍に報復するのではないかと懸念しており、極東委員会が天皇を裁判にかける可能性をなくすため、マッカーサー草案では意識して天皇の定義を国家の象徴とし、戦争放棄条項を強調したのである(西『国破れてマッカーサー』)。
翌22日(金曜日)、松本烝治・吉田茂・白洲次郎は、ホイットニー准将らと会談。 松本はGHQがすでに埋葬した「明治憲法」を掘り起こし、明治憲法の文章を下書きとして使い、「GHQ草案」の基本的な原理を書き込みたいと提案をするも、あっけなく拒絶される。
「GHQ草案」を日本の実情と言語に合うように和訳せよと命令される。 日米交渉、何度やってもGHQは問答無用の姿勢を崩さない。
3日後の2月25日(月曜日)、ホイットニーは楢橋と石黒を「無任所国務大臣」に任命してよろしいかとマッカーサー元帥へ請う。 翌26日(火曜日)、2人は正式に「無任所国務大臣として就任。異例の昇進だ。
この日は、日本政府がGHQ草案」を翻訳しつつ改正案の作成に着手した日でもある。「GHQ草案」に難色を示す幣原内閣の閣僚たちはGHQ拳法支持派と明治憲法擁護派に鋭く分裂していた。
この膠着状態の時、楢橋と石黒はGHQ案反対派を切り崩していく。「反対していると公職追放戦犯リストに挙げられるぞ」という脅し文句には、絶大な効果があったろう。
楢橋と石黒は、GHQの要望を政府内部から支援するための工作員だった。 ホイットニーから「迅速な対応」をせよと追い詰められた幣原首相と吉田外相がホイットニーに気に入られている官僚のトップの楢橋と石黒を「エイジェント」として差し出し、自分たちの手を汚さず,漁夫の利を得たのかも知れない。
大臣としての発言権を与えられた楢橋と石黒は、GHQが望む方向へ内閣の意見を取りまとめてゆく。 しかし、歴史は残酷だ。
和文にされた「GHQ草案」が国会を無時通過した後、楢橋はGHQに捨てられ、裏切られ苦職追放となる。 吉田とGHQは、楢橋を利用し、日本国憲法が成立した後、楢橋を戦犯に指名し「捨て駒」の様に扱ったのか。
楢橋渡は、占領終結の1952(昭和27)年から再び国政に関与し、1955(昭和30)年の自由民主党の結成に尽力する。 1959(昭和34)年、第二次岸信介改造内閣の運輸大臣となる。
昭和天皇の詔まで捏造
内閣総理大臣・幣原喜重郎は、苦悩で疲労困憊。 GHQ草案を拒否するかどうかではなく「無条件受諾」か「条件付きか」で苦しんでいた。
1946年2月13日、快晴んの小春日和に、ホイットニーから恐喝されながら吉田茂と松本烝治が受け取った「GHQ草案」の存在は、日本国民には極秘扱いされたまま。 表向きは、日本政府が作ったことにしなくてはならない。
入江俊郎著 『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』の記録によると、3月5日(火曜日)夕方の閣議では、楢橋渡、石黒武重、入江俊郎らは、日本側の「自主性」で憲法草案が作られたことを「歴史の事実」にするために、苦しい論陣を張る。
今やこのような事態に至っては「一刻も猶予すべきではない」「何としも日本は日本としての自主的態度を持すべきである」「不満足であることは重々わかるが、これを日本側の自主的的の案として先方(註・GHQ)と同等に発表するという態度に出るほかあるまい」と次々と「史実」を捏造。
幣原首相は、大日本帝国憲法(明治憲法)第七十三条に規定された憲法改正手続きについて憂慮していた。 憲法を改正するには、帝国議会にお伺いを立てて、貴族院と衆議院の三分の二以上の賛同を得なければならない。
明治憲法では、国民が憲法を決める事ができないばかりか、天皇の勅令をもって帝国議会を招集しなくてはならない。 幣原首相は明治憲法と新憲法の整合性に頭をなやましたのだが、、マッカーサー元帥は「明治憲法」を「悪の法典」と見なしていたので整合性なぞ考えてもいない。
入江次長は、幣原首相が陛下に内奏し勅語を仰いでいただき、陛下の御意思に基づいて内閣が憲法改正案を発表することを提案。 議会に改正案を提出する際にも「国民が作成するための改正の原案を天皇が発案されることになるので、憲法上差し支えない」「憲法の改正は大権ではあるが、いわば天皇の大権大権の具体的行使をこの場合、国民にまかせる」ことになると助言した。
マッカーサーが強引に日本側と相談せず書いた草案を通過させるのだが、国民にはその真実をひた隠し。
国務大臣・松本烝治は、この論理は詭弁(きべん)だと猛烈に反発したが、ほかに妙策はないと説得されてしぶしぶ同意。午後四時頃に閣議はおわり、幣原総理が陛下へ内奏(ないそう)するため宮中に確認を求めることになった。
この間に、石黒長官と入江次長が勅語案を鉛筆で走り書き。 石黒長官は「口頭で閣議に諮(はか)り、芦田厚相他の閣僚が字句を修正し佐藤内閣書記官の手先で勅語案を整え」た。
三月五日のゴ時半頃、幣原首相と松本国務大臣が宮中に参内して、これまでの経過を陛下に奏上(そうじょう)した。 昭和天皇は、「事ここに至った以上、自分としては特別の意見はない、内閣の考え通りにはかられたい」と勅語の発表をお認めになったと伝えられている(入江『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』)。
憲法発布のお言葉
1946年3月6日(水曜日)、日本政府は新しい「憲法草案」を発表。 同時に、昭和天皇の勅語が発せられた。 陛下のお言葉である勅語の英文も発表された。
Imperial Message Endorsing Draft Constitution
Consequence upon our acceptance of the Potsdam Declaration the ultimate form of Japanese government is to be determined by the freely expressed will of the Japanese people. I am fully aware of our nation's strong consciousness of justice, its aspirations to live a peaceful life and promote cultural enlightenment. and its
firm resolve to renounce war and to foster friendship with all the countries of the world. It is, therefore, my desire that the Constitution of our empire be revised drastically upon the basis of respect for the fundamental human rights. I command hereby the competent authorities of my government to put forth in conformity with my wish their best efforts toward the accomplishment of this end.
6March 1946
陛下の詔(みことのり)の英文がなぜ作成されたのか
憲法改正はマッカーサーの独壇場で、全く関わらせてもらえなかった連合軍列国に「天皇陛も賛成したのだから草案について今後横槍をいれるなよ」との警告のための英文版だ。
マッカーサーは、既成事実を作り、極東委員会を封印した。 日本語で作成された直後を英語に直したのか、それとも英語を和文に訳したのか。
疑いなくGHQと日本政府が共著した「お言葉」だ。
占領中の公用語は、英語。 マッカーサーらが英文で書いた勅語が和文に翻訳されたのだろう。 個人的な印象だが、陛下の英文勅語はマッカーサー元帥が書くような一行が長い文章だ。 状況証拠から判断すると、日本政府の関係者が事前にGHQと打ち合わせをしており、勅語の英文と和文を推敲(すいこう)したのだ。
当然、マッカーサー元帥が重大な英文を「マッカーサー文に添削した。 問題は、和文が英語直訳の傷を負っていることだ。 和文勅語は準備をする時間がなく急いで作られたようだ。
焦りがありありだ。 たとえば、「the ultimate form of Japanese government」という個所を「日本国政治ノ最終の形態」と訳しているが、「日本国政治」ではなく「日本政府」と和訳すべきで、「mate form」は「最ではなく「最も望ましい将来の形態」である。「人格ノ基本的権利」という言葉も「基本的人権」とすべきだろう(古谷彬一『日本国憲法の誕生 増補改訂版』岩波書店・2017年)。
昭和天皇の勅語だけでなく、マッカーサー元帥の声明も用意されていた。 3月2日(土曜日)付けの「マッカーサー声明」の原稿には、すでに天皇と日本政府が新憲法を提起することが記されている。 3月2日の時点で、三度の修正が加えられた「マッカーサー声明」が出番を待っていた。
「マッカーサー声明」(三度書き換えの原稿)
私は、今日、この声明を出せることに深い感慨を覚えております。 何故なら、私が全面的に承認した啓蒙的な新憲法を天皇及び日本政府が日本国民に提起したからです。 五ヶ月前、私は日本政府に対して新憲法の起草を指示しました。 その後、日本政府とGHQの関係者で入念な調査と幾度とない真剣な協議が行われ、この憲法が起草されました。
新憲法は、日本の最高法規であることを宣言し、国民が主権を保持していることを明確にしております。 この憲法は、国民の意志を代表し公正な選挙によって権力を付託された立法に支配権を与えています。 しかし、立法の権力を行政と司法が抑制しております。 いかなる政府機関といえども、専制や独断的に国務を牛耳る事はでいないように制限しています。
新憲法は、政治権力や国有財産を持たない皇位を日本国民の意志に従う形で、国民の象徴として残しております。 さらに、啓蒙思想の厳格な水準を満たす基本的自由を国民に保証しているのです。
国民主権の庇護(ひご)のもと、封建主義の楔(くさび)は完全に断ち切られ、人間の尊厳を謳歌しています。 これは人間関係の最も進化したものであり、知的で誠実な人々が提唱した独創的な政治思想が現在の憲法に融合されております。
憲法の最も重要な条項は、国権の発動たる戦争を禁止していることです。 他国との紛争解決の手段として、武力による威嚇はしません。 武力行使は永久に放棄します。 陸海空軍は存在しません。 他の潜在的な武力の保持を永久に認めず、交戦権が国家に与えられることもありません。
この義務を遂行するために、日本は国家の固有の自衛権利をすすんで放棄し、安全と平和を愛する世界の民族の誠意と正義に委ねることにしたのです。 日本国民は、戦争が国際問題を解決する手段と見なさず、正義・寛容・人類相互理解の信念による新たな道を切り開いてゆくのです。日本国民は、過去の現実離れした神秘主義に断固として背を向け、新たな信条と希望をもって将来を迎えることになるのです。
( "3rd Draft General MacArtthur's Announcement of a New Costitution for Japan " Rowekll Papers, Box 15. ・著者訳 )
3月6日(水曜日)の昭和天皇の勅語に続き、同日マッカーサーも用意されていた声明を出し、日本国憲法を支持した。 陛下と元帥のタッグで「GHQ憲法」を素晴らしいと讃え、「国民よ感謝せよ」と最大の圧力をかけた。 食糧難で困窮している国民が反対できるわけがない。
埋葬された真実
翌3月7日(木曜日)、新聞各紙は内閣案「憲法改正草案要綱」(実際にはGHQ案と極めて酷似)を大々的に報道した。 同日、幣原首相はAP通信記者に「GHQと内閣との審議中、日本側は戦争放棄条項に何の反対もしなかった」と語る。
日本側が提案していたのなら、「GHQ側は反対しなかった」と言うはずだ。 吉田茂は「それを提案したのはマッカーサー元帥であり・・・幣原男爵は熱意をもってそれに応じたと言う印象を持っている」と自分の回想録『回想十年』に書いた。(西『国破れてマッカーサー』)。
「GHQ草案オリジナル一通」を手渡されていた吉田は、「第八条・戦争放棄」を日本人として初めて読み承諾していたのに、後年、すでに亡くなっていた幣原首相に責任を擦りつけた。 最初から、熱意をもって、マッカーサーの戦争放棄を受け入れたのは、吉田茂。
憲法誕生の秘密をひた隠した日本自由党の吉田茂は、保身と権力に惑わされたのか、GHQにすり寄り、1946(昭和21)年5月に、マッカーサーからお墨付きをもらい総理大臣となる。
同年11月3日、日本国憲法が公布され、翌1947年5月3日から施行された。 「GHQ草案」を日本国憲法として制定し、「米国追従」という国辱路線を敷いたのは吉田茂。 GHQ憲法を擁護する日本国内の勢力は、「憲法は日本人が書いた」という吉田発言を鵜吞みにして、戦後日本の学校教育で「平和憲法」として教える。
国民は、北海道から沖縄まで米軍基地に守られている惨めな依存症を「平和」と信じる。 マッカーサーの洗脳が完璧に成功したとみるべきか。 「守られている」のではなく、「占領続行」ではないのか。 マッカーサーは、帰国後、米国議会で「日本人は12歳の少年」と宣う(のたまう)。
敗戦から75年(2022年現在では77年)も経つも、私たちは「第九条」の呪文に囚われ、身動きできない。 米軍に日本の国防をしてもらうために、弱い日本は昭和の終戦から令和の今日まで数百兆円の税金を米軍に支払っている。
「第九条がある限り、米占領は終わらない。 「百年占領」は日本滅亡史。 我ら国民が「国の歩み」を綴(つづ)れるのは、真実を探求する勇気を盾にして欺瞞(ぎまん)を打ち砕くときだ。
史実で紡(つむ)がれた歴史の綾織(あやおり)が我らを感動させ、世界に稀なる日本を愛(いつく)しむ心を永遠にするのである。
出所 『占領神話のj崩壊』 著者:西鋭夫・岡崎匡史、発行:中央公論新社
西鋭夫 : スタンフォード大学フーヴァー研究所・教授
岡崎匡史:元スタンフォード大学フーヴァー研究所・リサーチフェロー
*占領期の日本から多くの公文書が密かに米国に持ち出されていた。 スタンフォード大学・フーヴァー研究所に手付かずのまま残された数万枚に及ぶ極秘文書。これらを徹底的に調査し、新たな発見をもとに、隠蔽された歴史の真実にせまる。
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