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ロスチャイルド財閥ー20 上海・阿片王サッスーン

2022-09-30 23:27:23 | 国際政治・財閥




上海の中央部、黄浦江西岸を通る中山東一路沿いが、外灘(ワイタン)あるいは英語でバンド。19世紀後半から20世紀前半にかけての租界地区で、当時、建設された西洋式建築がずらりと並ぶさまは壮観です。

なかでも「フェアモント ピース ホテル〜平和飯店」は、上海の歴史を雄弁に語るホテル。20世紀初頭に、上海の経済と不動産を支配したサッスーン家が、上海で最初に建築した高層建築で、当時の直線的なアールヌーボー様式の意匠が、いまも美しく残されています。

ピラミッド型の緑の屋根を持つ建物が旧サッスーンハウスで、通りを挟んだパレスホテルビルもホテルに属する建物。




ロスチャイルド家と、ユダヤと阿片でつながるサッスーン家
サッスーン家は、18世紀にメソポタミア地方で台頭したユダヤ人富豪一族で、トルコ治世下で財務大臣を務める政商となっていました。

1792年にこの一族に生まれたサッスーン財閥初代のデヴィッド・サッスーン(1792年-1864年)は、バグダッドで活動した後、シルクロード交易で富を蓄積した後、1832年に阿片利権を狙ってインドのボンベイに移住しました。


David Sassoon、1792年10月 - 1864年11月7日)

阿片を中国に輸出して銀を吸い上げる麻薬貿易が大発展し、そこにサッスーン家やロンドンのシティが関わり、莫大な利益を獲得していきます。

1840年、清朝は、イギリス船から阿片2万箱を押収し焼却する挙に出ました。 これに激怒したサッスーン家や背後にいたロスチャイルド家の指示で阿片戦争が勃発したといわれています。

1842年、清朝は屈服し、イギリスは香港を植民地とし、上海などを開港させて領事館を置きました。

この阿片戦争で莫大な富を築いたデヴィッドは香港・上海へ本格的に進出します。 彼が亡くなったあと、サッスーン家が主導して1865年に香港上海銀行が設立されました。 今日のHSBC(Hongkong and Shanghai Banking Corporation)です。

デヴィッドの長男で、二代目のアルバート・アブドゥラ・サッスーンは、インドで造船・海運業に乗り出し、同時に本拠をロンドンに移しました。

アルバートは、当時のイギリスの風刺漫画で、「インドのロスチャイルド」と描かれました。

そして、イギリス王室にもロスチャイルド家とともに取り入り、皇太子やレオポルド・ロスチャイルドたちと親しい間柄となり、ナイト(準貴族)の称号を受けました。

イギリス・ユダヤ人協会では、ロスチャイルドとサッスーンがともに副会長の座を占め、サッスーン家とロスチャイルド家は姻戚関係になっていきます。 アルバートの息子で三代目のエドワード・サッスーンの妻は、パリ・ロスチャイルド家のギュスターヴの娘アリーンです。

デヴィッドの次男エリアス・サッスーンは「香港キング」と呼ばれ中国社会に君臨し、東インド会社が商業活動を停止してアジア貿易が公式に解放されたとき、ロスチャイルド・グループとしてこの貿易ルートを受け継いだ中心的存在でした。

3男サッスーン・デヴィド・サッスーンの息子の妻は、ロシア系ユダヤ人の政商エドガー・ブロンフマンやアーマンド・ハマーなどを配下に置く「ロシアのロスチャイルド」と呼ばれる軍つブルグ男爵の娘でした。

5男アーサー・サッスーンは、「阿片王」と呼ばれ、東洋貿易を支配し、香港上海銀行の最大株主として金融業を発展させ、中国の公債発行を引き受け、鉄道路線を張り巡らせていきます。

香港上海銀行は、香港の実質的な中央銀行として銀行券(お札)を発行しました。 

1881年、イギリス皇太子も出席して、レオポルド・ロスチャイルドとマリエ・ペルジアとの結婚式が挙げられましたが、マリエの姉と結婚したのがこのアーサーです。

四代目「上海キング」と呼ばれたエリス・ビクター・サッスーン(1881年ー1961年)です。 大東亜戦争前の上海に巨大な財力で盤踞(ばんきょ;根を張って動かない事)し、日本政府や日本軍に恐れられていました。



ジャーディン・マセソン商会
サッスーン家と並んで、インドや香港で、インドや香港で、ユダヤ系のイギリス人ウィリアム・ジャーディンよジェームズ・マセソンの名を冠したジャーディン・マセソン商会も阿片と茶を扱って存在感を示していました。

阿片戦争が終わると、同商会は香港に本社を置き、東インド会社末期の利権をめぐって、サッスーン家に対抗しました。ジャーディンは1870年代に入って海運業に乗り出し、この分野でもサッスーン家に挑みました。

このジャーディン・マセソン商会の社員だったのが、明治維新で坂本龍馬と組んだ有名なトーマス・グラバーです。 グラバーは独立してグラバー商会を設立しました。

アメリカの南北戦争が終わり、余って在庫となった武器・兵器・戦艦などは上海に流れ込み、それらをジャーディン・マセソン商会が取り扱い、グラバー商会は代理店となって、坂本龍馬を通して、維新軍に大量の武器・兵器・戦艦が流れて、徳川を破り、明治維新は、イギリス(大英帝国)主導で、
実現されました。

ちなみに、グラバーもジャーディン、マセソンもイギリス人という子になっていますが、生まれはスコットランドのフリーメーソンで、スコットランドがイギリスに制圧されてイギリス領となったからイギリス人と呼んでいるだけです。





太く強固なロスチャイルド家とサッスーン家の同盟
ロスチャイルド家は、1840年前半には、列強大国のグレート・パワーから独立した、列強の同盟全体以上の力をもった存在とみられていました。

サッスーン家はもちろん、ジャーディン・マセソン商会も傘下に加え、東アジアを含めた全世界で唯一無二の力を示していました。

ロスチャイルド家とサッスーン家の同盟関係は太く強固で、サッスーン家の何人かは、ロスチャイルド家本拠のイギリスに定住しました。

1881年から1887年にかけて、ロンドン家は6400万ポンドものインド鉄道債の発行を担いました。 サッスーン家との協力の賜物です。

ちなみに、サッスーン家は21世紀に入ってからも、巨大なビジネスを展開しながら、母親がシフ家出身である当主ジェームズが、イギリスで特別につくられた閣僚ポスト(財務商務大臣、2010年ー2013年、キャメロン内閣)に就いたり、日本の三菱UFJ銀行のグローバルアドバイザリーボードに入ったりと、国際的に大きな影響力を保持しています。




Load James Sasoon(ジェームズ・サッスーン卿)
三菱UFJ銀行 グローバル・アドバイザリー・ボード委員、平成2016年4月1日~
ジャーディン・マセソン・ホールディングス取締役
元英国財務省商務大臣




中国に進出するフリーメーソン

「1841年1月7日、アンソン湾において、サルファー号、カライオペ号、ラーン号、スターリング号を伴った
 イギリス東インド会社
の誇る鉄製汽船ネメシス号による中国の軍用ジャンク船撃滅図」(アヘン戦争図)

 

 

中国(清)進出

フリーメーソンが中国に進出した最初は、アヘン戦争後に勝利したイギリスが1842 年に香港を植民地とした2 年後の1844 年に、

イングランド系フリーメーソンである「ロイヤル・サセックス結社」第501 号が香港に開設されたのが始まりです。

これが中国で最初にできた、フリーメ-ソンのロッジで、

続いて1846 年に同じイングランド系の「ゼッドランド結社」が開設されています。

「ロイヤル・サセックス結社」は間もなく広州に移り1863 年には上海に進出しています。



当時、先に上海には「ノーザン・ロッジ・オブ・チャイナ結社」も進出しておりましたが、「ロイヤル・サセックス結社」が中国大陸進出の最大拠点と成りました。

その後、天京(南京)を占領していた洪秀全を首領とする「太平天国」軍が、上海を攻撃しようとした動きがありましたが、これに対抗し 「太平天国の乱」は常勝将軍のフリーメーソンであるゴルドンによって鎮圧されました。


これを機に、上海にはフリーメーソン組織が激増しています。

スコットランド系の「コスモポリタン結社」、イングランド系の「タスカン結社」、アメリカ系の「エンシェント・ランドマーク結社」等が設立され、漢口・鎮江・天津・芝罘・九江・青島等でも結成されていきました。



「移動結社」英国東洋艦隊内フリーメーソン

1901 年に開設されたイングランド系の「デンドリー結社」は面白く、英国東洋艦隊内フリーメーソン会員による「移動結社」であります。

第一次世界大戦までは、フリーメーソンの勢力図は、イギリス系が強く、中国を南北に2分していました。

華北・華中・満州は上海・天津・北京を中心とした「イングランド系北支地区大結社」が担当し、上海に本部を構えましたが、麻薬王として有名な上海のサッスーン財閥を創設したD・E・サッスーンがフリーメーソン首脳の一人でありました。


サッスーンは、ゾロアスター教のペルシア人で、インドを間接支配するために、イギリスやロスチャイルド財閥が利用した男で、アヘンで巨大な冨を得ることになりました。 

今日でも、インドを支配しているのは、タタ財閥で、彼らはペルシア系の人達です。



イングランド系華南地区大結社

中国の南部、華南を支配していたのは「イングランド系華南地区大結社」です。  香港に本部があり、アモイ・満州・広東・スワトウにも結社を持っていました。

第一次世界大戦後に、イギリスの海外植民地支配の力が弱まり、アメリカが台頭し、中国におけるアメリカ系フリーメーソンの勢力が強くなってきました。

当時アメリカは、満州方面に注目しており、中国大陸への進出を考えており、同時に北中国でのフリーメーソン組織も活発化してゆきました。


先ず1916 年に北京でマサチューセッツ系「インターナショナル結社」が発足。

続いて大連の「大連結社」、天津の「カレドニア結社」、奉天の「ハイクス記念結社」、ハルピンの「スンガリー結社」、また「パゴダ結社」は 張作霖と長男の張学良を加盟させ、「反日親米」を謀らせた事で有名であります。  



リースロス博士(フリーメーソン会員のユダヤ人)

1934 年、中国側のフリーメーソンの協力を得て、「国際ユダヤ財閥会議」がロンドンで開かれ、「国家最高経済顧問」であるリースロス博士(フリーメーソン会員のユダヤ人)等はそこで、中国経済改革の為の経済政策を決めました。

これは、上海を基点とする中国横断鉄道計画、沿線各地の開発など、中国利権を求めてイギリスのサッスーン財閥、フランスのオットー・ウルフ財閥、アメリカのユダヤ系各財閥が参加する事が決定。

日本にも参加を求める為、リースロス博士を団長とする経済使節団が派遣されましたが、国際感覚の無い日本政府は一蹴してしまいました。


一方で、蒋介石はリースロス案に直ちに乗り、「弊制改革」は急速に実現し1935 年11月4 日から蒋介石は「銀本位制改革法令」を発布して、忽ちの内に「中国農工銀行」を発行。

この紙幣は国立銀行発行の法廷通貨と同等に承認され、銀貨の大部分が英米系財閥に集まり、彼らは銀相場操作で6 割以上の利益を挙げました。

また、蒋介石政権もこれを軍用金として利用し、浙江財閥を率いる宋子文も大いに儲けたのでありました。

江戸時代の世界覇権はロシア帝国vs大英帝国(バックはロスチャイルド)。尊王攘夷と口だけで大騒ぎ、実はイギリスに尻尾を振ったのが、ヘタレの長州の下級武士たち。  

日本を植民地化したい大英帝国とロシア帝国がぶつかったのが江戸末期です。 狡猾な大帝帝国は、日本を代理人として、ロシアと戦わせたのです。

日本は大英帝国主導で明治維新を実現し、ロシア帝国と戦ったにすぎません。

国力の差から、当時の日本が単独でロシアを倒す力はありありせんでした。 戦時国債を発行しようとするも、どの国も日本の負けが分かっているので国債を購入してくれませんでした。
 
そして、まだ当時は、イギリス・アメリカと仲の良かった日本。

ロシアが、ポグロムと呼ばれるユダヤ人虐殺をしていたので、ユダヤ人のクーンローブ商会のシフ(アメリカ)とロスチャイルド、鉄鋼王ハリマンなどが資金援助してくれたおかげで、またアメリカの仲裁で、なんとか日露戦争に勝利することが出来ました。

 

アメリカの鉄道王・ハリマンは、日本と満州鉄道の共同運営の約束(桂・ハリマン協定)を結んでいました。 そして、日本は日露戦争に勝利し、中国東北部(満州)と満州鉄道を手に入れました。

ところが、ポーツマス条約から帰国した小村寿太郎が、「桂・ハリマン協定」を猛烈に反対します。

その理由は日露戦争で日本は9万人も戦死者を出したので、戦利品である満州鉄は独占すべきという意見を持っていたのです。 外交センスのない偏狭な愛国心?

当時、ハリマン一行は日本政府から熱いもてなしを受け、本国に桂・ハリマン協定(満鉄共同経営)を報告していました。 帰途でこの協定が、何も話し合いなしに日本側から一方的に破棄されたことを知り、激怒。


当時、絶対に敵に回していけない、ユダヤ系金融資本のロスチャイルド、フリーメーソンを敵に回してしまい、英米を敵に回し、第二次大戦では、一歩間違えば、2600年続いた日本という国家が亡くなる寸前まで破壊され尽くしました。

ここに、フリーメーソンつながりで、当時日中戦争をしていた蒋介石に、日米関係と日英同盟を潰す画策され、アメリカの民主党(ユダヤ系ロスチャイルド財閥がバック)は日本を敵視するようになり、第二次世界大戦も、アメリカの民主党は日本に厳しく対応してきます。

明治時代から、日本とイギリス(ユダヤ系ロスチャイルド財閥がバック)は蜜月の関係にありましたが、国際感覚の無いお馬鹿な政治家により、大英帝国やロスチャイルド、そしてアメリカを敵に回してしまい、その後、大変な目に合わされてしまったのです。



【原子力産業を支配するロスチャイルド一族】

1939年、原爆製造のマンハッタン計画がスタートします。ウランの調達は、アフリカのベルギー領コンゴ、カナダのグレートベア鉱山、アメリカのコロラド州カルノー鉱山で行われましたが、3カ所ともロスチャイルド一族の支配下にある鉱山でした。

広島に落とされたのがコンゴのウランを使用し、長崎に落とされたのがカナダのウランを使用したものです。


マンハッタン計画の監督を務めたのが、ロスチャイルド一族で、のちにハンブローズ銀行の会長となるチャールズ・ハンブローです。

CIAの前身である諜報機関OSSを設立した超大物であり、南アフリカの鉱山を握る「ブリティッシュ南アフリカ社」の重役でもありました。


マンハッタン計画は、核物理学や資源確保という面で国際的な作戦計画であり、そのリーダーは、のちに国際原子力機関(IAEA)を創設するベルトラン・ゴールドシュミット。

このベルトラン・ゴールドシュミットの妻は、ヴィクター・ロスチャイルド卿の再従妹ナオミ・ロスチャイルドです。

このように、今日も原子力産業は、原料のウランを含め、ロスチャイルド一族が支配しております。この一族と仲間になれば最強ですが、絶対のに敵に回してはいけない一族なのです。


 



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ロスチャイルド財閥ー19 キューリー夫人とRTZ(リオ・チント・ジンク)そして原子力産業

2022-09-30 05:47:59 | 国際政治・財閥



RTZ(現RT)西オーストラリアの遠隔地にあるアーガイル・ダイヤモンド鉱山、1883-開鉱。
ダイヤモンド世界生産no40%シェア、ピンクダイヤの世界シェア90%

RTZ(RIOTINTO-ZINC)社、現在RIO TINTO社

歴史概要   
リオ・ティントは南スペインにあった、ローマ帝国に銅を供給した鉱山の場所に由来する。1873年、英国ロンドンのN. M. ロスチャイルド・アンド・サンズと、仏国パリのロチルド・フレール(Rothschild Frères)がヒュー・マセソン(英語版)(Matheson's Matheson and Company)他の投資者とともに赤字だったスペイン国営リオ・ティント鉱山を買収した。新オーナーは会社をリストラクチャリングし、収益の出る事業にした。1895年にロスチャイルド・パリ家のアンリ(1872-1946)がMathilde Sophie Henriette von Weissweiller (1872-1926) と結婚した。マチルドの祖父Leopold David Weisweiller (1807-1871) は、弟ダニエル・ワイスワイラー(ドイツ語版、英語版)がロスチャイルドのパートナーであった。1905年までには、リオ・ティントに対するロスチャイルドの出資比率が 30% を超えていた。

1929年、2500万ポンドを増資して南ローデシアの銅鉱山を買収した。参加企業は持株会社のRhokana Corporation (ロカナ・コーポレーション)に統括された。同社は南ローデシア政府に英軍用キャンプ地を提供した(en:Bwana Mkubwa#Demographics)。ロカナは三つの事業判断を下した。まず1946年に電解精錬のRhodesia Copper Refineries Ltd. を売却した。また1951年1月1日から、ロカナと売却した精錬所の本社をロンドンから南ローデシアへ移すことにした。そして1952年にローデシア・アングロ・アメリカン社(AAC)の技術を結集してRhoanglo Mine Services Ltd. を設立した。この企業はちょうど6年の間、ローデシア・セレクション・トラスト社(RST)に優越した。

1962年に(英国の)リオ・ティント社はオーストラリアの会社コンソリデーテッド・ジンク (Consolidated Zinc) 社の過半数の株を取得し、リオ・ティント社自体がリオ・ティント‐ジンク・コーポレーション (Rio Tinto-Zinc Corporation: RTZ) と改名した。オーストラリアの会社はコンジンク・リオティント・オブ・オーストラリア (Conzinc Riotinto of Australia, CRA) と改名されたが、別の会社として登記され続け、オーストラリアの一般投資家による投資比率が増加し続けた。それだけ収益率が良かったのであるが、その開発規模はオーストラリアの産業構造を変えてしまうほどであった。
リオ・ティントは1975年までに、Bougainville Copper、Rössing uranium mine、Capper Pass and Son その他数社を買収した。現在の二元上場会社の構造は1995年に形成された。

2007年7月12日、リオ・ティントはアルミニウム世界第3位のアルキャン(カナダ)への381億ドル(約4兆6500億円)の友好的買収提案で合意。アルキャンは同年5月に同業大手で世界第2位のアルコア(アメリカ合衆国)から敵対的買収提案を受けて拒否していた。リオ・ティントが合意に基づく株式公開買付け(TOB)でアルキャン株式の3分の2以上を取得し、リオ・ティントの既存のアルミニウム部門(世界第7位)とアルキャンは統合して、新たなリオ・ティントのアルミニウム部門にあたる「リオ・ティント・アルキャン(本社:カナダ・モントリオール)」を形成し世界最大のアルミニウム生産企業(ボーキサイトおよびアルミニウム地金)となった。これは世界の鉱業金属業界における史上最大のM&Aである。
                                Weblio辞書から引用

     

ロスチャイルド財閥ー18 キューリー夫人https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1feb6656b6dbdb2c32f498c6cd841d94


からの続き




金融王ネイサンのひ孫にあたるアンリ・ロスチャイルドは、パリにあって、この発見に注目しました。 彼はパリに定住するとドクトル・アンリと呼ばれ、開業医になっていました。 ところが、このドクトルは変わった男でした。 

アフリカに行ってワニ狩りに熱中し、大怪我をしてフランスに移り住んだりという経歴の持ち主で、その後も自動車狂としてメルセデスを乗りまわし、パリからモンテカルロまでのスピード記録を打ち立てたかと思えば、パリにピガール劇場を建てて女遊びにほうけていました。

自らアンドレ・パスカルというペンネームで脚本を書き、女優を呼び寄せ、その名も「エロス号」と名付けた豪華ヨットに彼女たちを招いて人生を楽しんでいました。それもそのはず、北部鉄道の重役なので、金は有り余っていました。



ロスチャイルド財閥-14 鉄道事業への参入 

https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d5a4e286ac7c0ae56bd9c0fc003f6e4f

ロスチャイルド財閥-15 植民地アルジェリア

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アンリ・ロスチャイルドは、殺菌や衛生についての雑誌を創刊し、自分と妻の名を付けたアンリ・マティルド病院を自費で簡単に建て、またボルドーの武道園を経営してムトン・ロチルドのブランドのワインを製造していた大変な男でありました。 次に、道楽アンリが目を付けたのがキューリー夫妻のラジウムの発見です。

そして、キューリー夫妻のスポンサーとなって、ラジウム研究所を建て、キューリー基金を設立しました。

ピエール・キューリーは、ノーベル賞を受賞してわずか3年後、大学からの帰途に荷馬車に轢かれて即死するという非運に見舞われますが、残されたキューリー夫人の一家にも次々と病魔が襲い掛かりろうとしていました。

1984年にパリで競売に出されたキューリー夫人のノートは、使用された当時から80年も経っていながら、強い放射能を出し続けていたといいます。 80年前にそのノートに文字を記していた本人は、強烈な放射能を浴びていたものと思われます。 




RTZ(リオ・チント・ジンク)
アンリ・ベクレルは、偶然にも写真の乾板のかたわらに鉱石を置き、この乾板が強く感光していることに首をかしげました。 黒い紙で包み、光を通さないようにしていたのに、不思議な事だ。この鉱石は何だろうと思いましたが、その鉱石がウランというものでした。

ベクレル家は、代々の物理学者でしたが、特に鉱物や金属について知識があり、当人も土木技師として鉱物に興味を抱いていたため、放射能を発見しました。 

ロスチャイルド家は、貨幣の交換によって財を成し、その後も金銀など貴金属の支配者となった一族です。 そのロスチャイルド家が金銀を取り出すのに必要としたもの、それが水銀でした。 歯の治療に用いるアマルガムは、金と水銀の合金、あるいは銀と水銀の合金です。

この合金によって金銀を抽出したため、水銀は貴重な金属でありました。 水銀を支配することが金銀を支配できる時代だったのです。


ロスチャイルド家が確保した水銀の鉱山はスペインのアルマダ鉱山で、スぺイン王室が握っていました。 こうして金融王ネイサンとスペイン王室の深く複雑な取引関係が生まれていきます。

ロスチャイルド家がスペインから手に入れたものは、アルマダ鉱山だけでなく、他にもありました。ひとつの鉱山に手をつけると、ぞろぞろとほかの金属もでてきます。スペインで大きな収穫をあげたのが、亜鉛(ジンク)でした。

さらに、リオ・チント銅山の開発も大きな収益を記録し始めました。 後年、このふたつが合併してRTZ(リオ・チント・ジンク)になりました。


病院を建てたドクトル・アンリの妻が、その一族マティルド・ワイスラーでした。ロスチャイルドでは事業を正しく遂行するためには、豪華ヨット「エロス号」に乗っていても、正妻は水銀と亜鉛を届けてくれる一族でなければなりませんでした。

ちなみにアンリ・ロスチャイルドの妻はワイスワイラー一族のマティルド・ワイスワイラーです。アルマデン鉱山は亜鉛(ジンク)も豊富に産出し、これがのちにロスチャイルド家のリオ・ティント銅山と合併し、1962年にウラン・シンジケートの支配者「リオ・ティント・ジンク」が誕生します。

金あるいはダイヤモンドのために鉱山を採掘すれば、当然、他の鉱物資源も同時に産出されます。ダイヤモンドの「デビアス」、金の「アングロ・アメリカン」、そしてウランなどの非鉄金属を扱う「リオ・ティント・ジンク」、この三社がロスチャイルドによる鉱物支配の主要企業です。三大資源メジャーともいわれます。原子力産業は、ウランなどの鉱山事業の利益を目的として誕生したものと言ってもよいでしょう。




原子力産業を支配するロスチャイルド一族
1939年、原爆製造のマンハッタン計画がスタートします。ウランの調達は、アフリカのベルギー領コンゴ、カナダのグレートベア鉱山、アメリカのコロラド州カルノー鉱山で行われましたが、3カ所ともロスチャイルド一族の支配下にある鉱山でした。

広島に落とされたのがコンゴのウランを使用し、長崎に落とされたのがカナダのウランを使用したものです。

マンハッタン計画の監督を務めたのが、ロスチャイルド一族で、のちにハンブローズ銀行の会長となるチャールズ・ハンブローです。CIAの前身である諜報機関OSSを設立した超大物であり、南アフリカの鉱山を握る「ブリティッシュ南アフリカ社」の重役でもありました。

マンハッタン計画は、核物理学や資源確保という面で国際的な作戦計画であり、そのリーダーは、のちに国際原子力機関(IAEA)を創設するベルトラン・ゴールドシュミット。このベルトラン・ゴールドシュミットの妻は、ヴィクター・ロスチャイルド卿の再従妹ナオミ・ロスチャイルドです。

このように、今日も原子力産業は、原料のウランを含め、ロスチャイルド一族が支配しております。この一族と仲間になれば最強ですが、絶対に敵に回してはいけない一族です。


キューリー夫人のラジウム発見に端を発した原子物理学は、事業に姿を変え、放射能とは無関係の鉱物・亜鉛(英語でジンク)を扱う「リオ・チント・ジンク」の手に落ちていきました。 

キューリー夫妻は、ふたりの娘イレーヌとエ-ヴを持っていましたが、エーヴは物書きになり、イレーヌは、母と共に放射能の研究にいっていきました。 その夫フレデリック・ジョリオがのちにジョリオ・キューリーと姓を変え、ノーベル賞受賞が合計6回という放射能ファミリーを生み出しました。

しかし、白血病の死者が3人を数え、放射能を扱いながら白血病で亡くならかったのは、荷馬車に引かれて亡くなったピエール・キューリーだけでありました。 今日では放射能や紫外線が、人体のDNAの一部を破壊しガンを引き起こすというのは常識ですが、当時は分からず、またキューリー夫人も放射線がんを引き起こすことが言われても認めなかったといいます。

エーヴ・キューリーの夫ヘンリー・ラブイースは国連で14年もユニセフの事務局長を務め、ラブイースの娘婿がドレヒュス財団の理事を務めました。




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ロスチャイルド財閥ー18 キューリー夫人

2022-09-30 00:53:30 | 国際政治・財閥


マリア・サロメア・スクウォドフスカ=キュリー(ポーランド語: Maria Salomea Skłodowska-Curie, 1867年11月7日 - 1934年7月4日)。 フランス語名はマリ・キュリー(Marie Curie、ファーストネームは日本語ではマリーとも言います)。キュリー夫人 (Madame Curie) として有名です。

1867年11月7日、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。1909年、アンリ・ド・ロチルド (1872-1946年) からキュリー研究所を与えられた。放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による。  wiki

(注)ロスチャイルドというのは英語読みで、ドイツ語ではロートシルト、フランス語ではロチルドと言います。



パリでの放射能研究とノーベル賞
ポーランドカラマリア・スクドフスカがパリにやってくると、彼女はピエール・キューリーと結婚し、キューリー夫人となりました。

このキューリー夫妻にとって、重要な存在となったのが、アンリ・ベクレルで、彼が天然の放射能を発見した最初の科学者です。 このベクレは天才科学者一家で、3代にわたり化学の領域で偉業を成し遂げており、放射能の発見、ベクレルは単位にもなっていて、太陽電池の発明、ピエゾ(圧電)現象の発見などがあります。

こうして放射能をキュールー夫妻が研究しはじめ、のちにベクレルと九リー夫妻の3人が、1903年のノーベル物理学賞を受賞しました。

彼女は、女性初のノーベル賞受賞者であるとともに、1903年ト1911年の2回のノーベル賞を受賞したこと、また物理学賞と化学賞の2つのノーベル賞を受賞したことも有名で、2022年時点では未だに彼女だけでないでしょうか?


ノーベル賞は、ノーベル・ロスチャイルド賞そしてともいわれます。その背景は、ノーベルがロシアのバグー油田を開発・採掘していた時、破産してしまい、ロスチャイルドが経済支援を行い、その後ノーベルはダイナマイトの発明で莫大な財産を手にしました。 ロスチャイルド家は、鉱山開発・戦争に使い、この両者の関係は密接になっていき、ロスチャイルドはバグー油田の利権を手にしました。 

ノーベル財閥が、爆薬ダイナマイトの発明によって莫大な富を築き、バグー油田に利権を獲得したのは、キューリー夫妻がノーベル賞を受賞した1903年の27年前、1875年のことでした。それから8年後に、ノーベル兄弟の石油をロスチャイルド家が販売し始めました。

やがて、そのパリ・ロスチャイルド家に、ロンドン・ロスチャイルド家のアンリがやってきて新しい事業を始めたのは、ちょうどキューリー夫人が夫と共に放射能の研究に没頭している1890年代のことでした。

1898年に夫妻が発見した新しい放射性元素は、夫人の故国ポーランドにちなんでポロニウムと名付けられました。
次にキューリー夫妻が発見したのは、やはり放射線(radiation)を出す物質で、今度はラジウム(radium)と名付けられました。

金融王ネイサンのひ孫にあたるアンリ・ロスチャイルドは、パリににあってこの発見に注目しました。


次回に続く





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ロスチャイルド財閥-17 ナディーヌ・ロスチャイルド

2022-09-29 00:18:05 | 国際政治・財閥


ナディーヌ・ロスチャイルド( Nadine de Rothschild, 1932-) 



ワデスドンマナー(Waddesdon Manor )


ロスチャイルド・ウィーン家の、フェルディナンド・ロスチャイルド(1839〜1898年)が週末用の別荘として、1874〜1885 年に建てた、ネオルネサンス様式の邸宅。


・ロスチャイルド財閥ー250  ナショナルトラストに寄贈されたワデスドン館https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f4f1cf76bd65396fb3f15019ed5e4ad


・ロスチャイルド財閥ー12ワデスドンマナー
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ナディーヌ・ロスチャイルド(ロスチャイルドと結婚する前の名は、ナディーヌ・ネリー・ ジャネット・ロピタリエ)は、1932年4月18日に、パリ郊外で労働者階級の家に生まれ、母親と義父、そして妹とともに住んでいました。 

しかし義父と性格が合わず、14歳で家を出て自立。 プジョーの下請けメーカーで女工の仕事を見つけ、小さなアパートで自活します。

工場ではお昼休みになるとテーブルの上を片付けて、清潔な紙をしいてランチをとるナディーヌさんは同僚達の笑いものになったそうです。

それは決して、気取っているわけでもなく、昼食をとる時間を少しでも優雅に楽しみたかっただけなのです。

そして暮らしていたアパートの屋根裏の廊下の洗面所で週に2回体を洗うことが許されるようになった時、彼女は階段の踊り場に衝立をたてて、白い洗面所に一輪の花を飾ってシャワーを浴びるような女の子でした。

自分が心地よいと感じる空間作りこだわったナディーヌさんですが、やはりより好ましい空間で時間を過ごすという、豊かに生きる、その積み重ねが彼女という人間を作っていきます。

こうして一日一日を、そして自分自身を大切に生きていたナディーヌさんの人生は、16歳の時に画家画家ジャン=ガブリエル ドメルグのモデルとなり、演劇と映画の世界への扉を開いた社交界の人になりました。

1952年、ナディーン・タリエの仮名で女優としてのキャリアを開始し、1952年から1964年までさまざまな役を演じました。

彼女は、楽屋で一冊の本に出合います。 マナーの本です。 人間関係を良好にし、自分自身も磨く内容で、彼女の今までの生き方と共鳴するものです。 彼女は、マナーを磨きました。

そして、彼女には奇跡的なことが起こります。 なんとロスチャイルド・パリ家の御曹司、エドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルド(1961-1997)と出会い、気に入られてプロポーズされ、1962年に結婚することになったのです。

ロスチャイルド財閥の創始者であるマイアー・ロスチャイルドの遺言で、結婚相手は裕福なユダヤ人、異教徒の場合は莫大な資産を持っている相手と、おきてがりましたが、彼女は労働者階級のカトリック教徒です。 よほど気に入られたのでしょう。

当時、エドモンド(Edmond de Rothschild)、エドモンと発音する場合もあります)はロスチャイルド一族の中で最も裕福であったとされていたので、世界一の大富豪であったということになります。

欧米では、彼女の事を現代のシンデレラと呼んでいます。 しかし、彼女は奢ることなく謙虚で、マナーに関する本を何冊も執筆しています。


夫のEdmond adolf de Rothschild は(エドモン・アドルフ・ロスチャイルドとも発音)、1997年に亡くなります。なんとその後アメリカの大富豪デイビッド・ロックフェラーが彼女にプロポーズしましたが、彼女は断ったとWikipediaの英語、フランス語版に記述されています。

容姿もさることながら(といってもプロポーズされたのは65歳)、内面的にもよほど魅力的な女性だったのでしょう。 ちなみに彼女は今、90歳です。

彼女には一人息子の ベンジャミン・ド・ロスチャイルド(1963–2021)がいましたが、2021年に亡くなっています。



(参考)

WOMAN and TIME: baroness Nadine de Rothschild

https://www.youtube.com/watch?v=3wZ_aZfPZyM




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ロスチャイルド財閥-16 自動車産業

2022-09-29 00:18:05 | 国際政治・財閥


プジョーの新エンブレム

 



プジョー(Peugeot S.A. )


近代的な大馬力のエンジンを持った自動車が、ドイツ人のベンツとダイムラーによって開発された後、ダイムラーの特許をフランス人のパナールとプジョーが買い取ってから、世界の自動車産業はスタートしました。

時代は、映画の開発と同じ19世紀末のことでした。 フランスの大工業家プジョー一族の、ピエール・アルマン・プジョーは鉄工所などの長い経験から、直ちに実用的な自動車生産に突入していきました。



ところが、まだ高級品という世界だったので、この時代に技術者が求めたのは、金に糸目を付けずに開発費をポンと与えてくれるパトロンでした。 

そこで、ロスチャイルド一族が「買い手」として、また「パトロン」として、両方の面で自動車業界を創り出していきました。



フランスのプジョー工場で製造された自動車が、海を渡ってイギリスに着いたのはさらにそのあとのことで、ロールス・ロイス創業者のひとり、チャールズ・ロールスが1895年に、プジョーの3.75馬力の自動車を購入したとき、イギリスで自働車を持っていたのは、わずか3人でした。

その一人が「ウェストミンスター銀行」の創立者のデイヴィッド・サロモンズ、つまりネイサン・ロスチャイルドの甥でした。

こうして、イギリスでは王室オートモビル・クラブの母体となる自動車協会を、ネイサンの孫レオポルド・ロスチャイルドが創立しました。



現代でも、ロールス・ロイスが航空エンジン部門と自動車部門に分割されてからは、この自動車部門のオーナーが、ロスチャイルド財閥の兵器会社ヴィッカースとなり、

航空部門は「ロスチャイルド銀行」重役のトゥ-ムズが、ロールス・ロイスの会長を務め、もうひとりの会長キンダースレー卿がラザール・ブラザーズの会長を兼務してきました。


フランスでは、石油王アンリ・ドイッチと共に、オランダ出身の名門貴族ヴァン・ズイレン男爵が、オートモビル・クラブを創立しました。

彼の結婚相手は、「ブリオッシュ」というあだ名の女性でした。 卵とバターをたっぷり使って丸々と焼き上げたパンの事です。



美食家のブリオッシュのは、エレーヌ・ベティー・ルイーズ・キャロリーヌ・ド・ロスチャイルドという名前でした。

鉄道王パリ家のジェームズ・ロスチャイルドの孫娘で、次の事業は自動車王ロスチャイルドの時代を迎えていました。



1990年代の西ヨーロッパの自動車業界は、トップがフォルクスワーゲン(VW)、に僅差で続くフィアット、3位プジョー、4位フォード、5位ゼネラルモーターズ(GM)、6位ルノーまで販売シェアではほとんど変わらないデッドヒートを展開していました。

このうち、VWとGMを除けば、すべてが「赤い盾」の傘下で走っていることが、家系図をみれば分かります。




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