1920年代のアメリカ(動画)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm7727233
20世紀初頭のアメリカの映像
https://www.youtube.com/watch?v=m1187dFbFLA
カラーでよみがえるアメリカ 「1920年代」
https://www.youtube.com/watch?v=v5fU1K2iLDI
920 Babe Ruth Highlights(ベーブルース ハイライト)
https://www.youtube.com/watch?v=7WfVREOHaAk&t=180s
The Soggy Bottom Boys Against the Ku Klux Klan (KKK)
https://www.youtube.com/watch?v=v0fFKNCKIhE
8th August 1925: More than 50,000 members of the Ku Klux Klan stage a march in Washington D.C.
https://www.youtube.com/watch?v=k1PvjywyPKk
狂騒(狂乱)の20年代
この「狂騒(狂乱)の20年代」は、まさにアメリカの1920年代を体現する言葉であり耳馴染みもあると思う。
この時代があったからこそ、「黄金の20年代」、「ジャズ・エイジ」が存在すると言っても過言ではない。
社会、芸術、文化の力強さを強調するもので、ジャズ・ミュージックの開花(ジャズ・エイジの始まり)、フラッパー(当時、流行したファッション、生活スタイルを好んだ「新しい」若い女性)が当時の女性を再定義し、アール・デコ(装飾の一傾向)が頂点を迎えこの時代を象徴するデザインや建築の様式となった。
加えて、この時代は後に今日でも使われている重要性を持つ複数の発明や発見、かつて無いほどの製造業の成長と消費者需要と願望の加速(黄金の20年代の所以)、そして生活様式の大きな変化特徴的と言える自動車産業の発展で高速道路が建設されたり、電力や上下水道が一般家庭にも普及し、インフラが整い始めたのもこの時代だ。
そして、この時代には高貴な実験と揶揄された禁酒法もある。
禁酒法時代と呼ばれることもあり、これもまた複数の呼び名の一つと言えるだろう。
また、ニューヨークにはクライスラービルやエンパイアステートビルが建ち都市化が進む最盛期でもあった。
第一次世界大戦前のアメリカ経済
1907年にロスチャイルドによって引き起こされた激しい金融恐慌を経験した後、アメリカ合衆国は長い期間に渡って好景気に恵まれませんでした。
ロスチャイルド財閥ー58 1907年世界金融恐慌
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a2d199136ecdb29d09d7d72fd3480cac
鉄鋼生産は大して増加せず、工業生産は自動車生産のような新しい工業を例外として、全般的に不安定な動きを示していました。 1934年のナイ会議において行われたモルガン商会の正式の陳述によれば、戦争勃発直前において、
「全国のビジネスは不振であった。農産物価格は低下していた。 失業は容易なならぬものであった。 重工業は能力よりはるかに少ししか活動していなかった。 銀行の手形交換高は減少してしまっていた」。
ヨーロッパの大戦は、このようなアメリカ合衆国経済、の危機を回生に導く稀有の機会を提供したのであり、その機会を巧みに掴んだのは、一族が英国ウェールズ出身で敬虔なプロテスタントで、アメリカに移民してきた、モルガン家が設立した会社、J・P・モルガン商会でした。
ロスチャイルドがアメリカの金融市場に参入しようとしたとき、ユダヤ人差別で困難にあったので、キリスト教徒であるモルガンをロスチャイルドの代理人として使いました。
アメリカ金融資本主義は、イギリス資本に依存しながら八達してきていたためにイギリス側に好意を懐き、他方ドイツ金融資本主義から南米市場において、強力な挑戦を受けていたためにドイツ側に反感を持っていました。
特にモルガン商会は孫設立以来イギリス資本市場と密接な関係を持ち、イギリス資本を輸入あうることによって大きな発展を遂げてきましした。 従って、 モルガン商会は当然、協商国の強烈な支持者でした。
モルガン商会のメンバーであったヘンリー・P・デイビットソンは次のように宣言しました。「アメリカにおける我々のうちの 相当多くの者が、この戦争は最初から我々の戦争であると自覚していた」と。
ヨーロッパの諸国民が大戦に突入した時、パリのロスチャイルド商会は、モルガン商会のパリ事務所にフランス政府が軍需品の買い付けを行う代金を調達するため、ニューヨークで1憶ドルの起債を行う事を提案しました。
この提案は、直ちにニューヨークのモルガン商会に打電され、モルガン商会は国務省にフランスに対して貸付を行っても差し支えないかどうかお尋ねました。 国務長官ウィリアム・J・ブライアンは国務省顧問ロバート・ランシングにそれが法律上異論がないものかどうかを諮問した時、ランシングはその貸し付けは違法と認められないと回答しました。
1915年8月26日にウィルソン大統領は、政府はイギリスのための起債に反対しないという口頭の約束を与えました。 ここにおいて、アメリカ合衆国は金融上の中立的立場を公然と放棄するに至りました。 こうしてモルガンは、政府の承認と指示の下で、レディング卿を長とする英仏金融使節団の交渉を受けることが出来、
1915年10月15日、5年満期、5部利付、5億ドルの英仏公債の発行が行われるに至りました。 モルガン商会は1570のメンバーからなるシンジケートを組織しました。 このような巨額な外国公債の発行は未曽有のことであったし、英仏政府の起債について、とくに中西部のドイツ系およびアイルランド系民衆から激しい反対が起こっていたので、懸念されましたが、
9800万ドルすなわち、約5分の1は軍需品製造業者および工業会社に買われましたが、残余の大部分は一般投資大衆によって購入されました。 モルガンが指揮するシンジケートと証券分売人による大衆に対する「教育」「啓蒙運動」が功を奏したのです。
そして、以後2年余の間に協商国側諸国政府は巨大な金額に達する公債をアメリカ合衆国で発行する事ができました。これらの起債に貢献したモルガン商会は英仏両国の財務代理人点になり、そして両国政府の軍需品買い付けの代行者となりました。
モルガン商会は、英・仏政府のための軍需品買い付けを十分に行うため、ダイヤモンド・マッチ社会社の社長、エドワード・R・ステティニアスをその責任者に任命。 彼はSOSすなわち、「ステティニアスの奴隷」と呼ば買付部隊部隊を編成し、1917年夏までに30億以上に上る軍需品その他の商品を英・仏政府のために買付けたといわれています。
第一次世界後の空前の好景気「アメリカ黄金の1920年代」
第一次世界大戦は1914年に始まりますが、ロスチャイルド(ユダヤ)・クーンローブ(ユダヤ)、ウォーバーグ(ユダヤ)・モルガン・ロックフェラーなどの国際金融資本家(財閥の鋭い嗅覚により、ヨーロッパでの大きな戦争を予想し、その資金を供給するアメリカの中央銀行FRBを設立するための入念な準備を、モルガン家が所有する「ジキル島」での秘密会議が催され、
ロスチャイルド財閥ー59 ジキル島の秘密会議
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3900d492b7661d431cb79fea2e7f343d
ロスチャイルド財閥ー61 M・M・ウォーバーグ商会
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f6969287ac42e2d906b9e4a632e112
ロスチャイルド財閥ー64 オーウェン・グラス法
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/186b1def9e9f3ba821cff3935c4bdee0
ロスチャイルド財閥ー65 民間所有の中央銀行 「連邦準備制度銀行」の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f3ae7f7dc7ac6d2e9947a23988df229
ロスチャイルド財閥ー66 第一次世界大戦とFRB
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/99260d3cdc3e95499f401a27a53b1cd2
ロスチャイルド財閥-67 インテリジェンス機関の創設
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/70d7efbf8ecfdfe8c5e7434f57181a16
ロスチャイルド財閥-79 死の商人 バジル・ザハロフ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/44dd9800b70711324a59e6a33b1d121c
ロスチャイルド財閥ー80 第一次世界大戦の終結
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/608d56597a017e18f915217bdeedd06e
ロスチャイルド財閥ー81 ベルサイユ条約
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1c036678f130d20eefc4f5beddc10070
ロスチャイルド財閥ー82 ドイツのハイパーインフレーション
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1b18fcd2028f52cc68b06dfe5e146d31
ロスチャイルド財閥ー83 中央銀行の中央銀行 BIS(国際決済銀行)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/80d3aa047ac6116f7963b15aef796849
ロスチャイルド財閥-84 アングロサクソン と英国
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1eda829c112b88b57b6fdd61b2c5251c
1913年に、政府が一株たりとも保有しない100%民間所有の中央銀行FRS/FRB(連邦準備制度・連邦準備銀行)が節理すされました。 この銀行はドル紙幣の発行権を持ちます。 すなわち、ただの紙切れに印刷しただけのものが高額な貨幣に変身し、戦争・環境・第三世界(アフリカなどの後進国)への資金援助などで、国際金融資本家たち巨額のPJを政府に興させることにより天文学的数字の富を得るようになります。
一般人が、CO2環境やアフリカ・中国など援助に対し、何でやねん。 と思うバカバカしいPJが次から次へと興る理由です。
台いい次世界大戦では、債務国に過ぎなかったアメリカ合衆国が、イギリスやフランスに貸し付け(元々ただの紙切れに印刷しただけのモノ)、世界の覇権は大英英国やフランスなどのヨーロッパから、アメリカ合衆国に移り、アメリカが債務国から債権国に転じ、アメリカは空円の好景気の「黄金の1920年代」を謳歌しました。
ニューヨークには高層ビルが立ち並び、自動車や様々な電気製品が一般人も購入できるようになり、ラジオ、ジャズなど黒人音楽、映画文化も花開きました。
その繁栄ぶりは前述の動画などで紹介した通り。 一方で、白人優位の黒人やアジア人差別が酷くなった時代でもありました。
ちなみに、モルガン家は大躍進し、アメリカ陰の政府と呼ばれる大財閥にまでに発展しました。 どのくらい凄かったと言えば、1920年代の話ではありませんが、GM・GE・ATT・USスチール・カーネギー・NY鉄道などを所有していました。
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