満洲文字。それは長久なる言語の変遷の歴史を垣間見ることが出来るものである。
中国故宮の太和殿には漢字と満洲文字が併記されている。写真をご覧頂きたい。
清朝は満洲女真族の系列を汲む王朝で、キョンシーで有名な辮髪とチャイナドレスの出で立ちは女真族の民族衣装である。
さてこの満洲文字だが、どこかの文字に似ていないだろうか?そう、アラビア文字に似ているのである。
アラビア文字は横書きだが、満洲文字は縦書きなっているアラビア風も文字になっている。満洲文字とアラビア文字の関係はあるのかないのか?答えは「大有り」である。
満洲文字の親文字はモンゴル文字である。モンゴル文字の親文字はウイグル文字である。
古い
フェニキア文字
↓
アラム文字
↓
シリア文字
↓
ソグド文字
↓
ウイグル文字
↓
モンゴル文字
↓
満州文字
新しい
ウイグルはイスラム帝国の影響でアラブ文字を使用した。続くモンゴル、満洲についてはそのアラブ文字を縦書きにしたわけで、ウイグル文字を境にしてアラブ文字が極東アジアの北京にまでもたらされた。さて、そのアラビア文字はアルファベットの祖語であるフェニキア文字までさかのぼる。ウイグル文字の親文字であるソグド文字も同じで、ソグド語もフェニキア文字までさかのぼれる。ソグド文字はアラム文字を借用した。アラム文字をつかってソグド語を記したのである。漢字をつかって日本語を記すのと同じで、ソグド語にもカタカナのようなアラム文字の草書体のものも見つかっている。
そしてフェニキア文字は、親文字にカナン文字、その親文字にヒエログリフと続く。あくまで「文字」の話に限定されるが、満洲文字は遠くヒエログリフを親文字としているのである。
前述したソグド語のように、ソグド人の部族の言葉をアラム文字で表現して発展した「ソグド文字」という発展の仕方がある以上、満洲文字はヒエログリフを親文字としてさかのぼれはするが、言語的には同じ語族にも類さない。
もうひとつ例を出せば、楔形文字も同じである。楔形文字はシュメール人が発明したが、その後のアッカド、アッシリア、バビロニア、ヒッタイトの民族もみな楔形文字を使用した。アッカド人も、アッシリアも、バビロニアもそれぞれの部族・民族の言葉を、楔形文字をつかって表しただけに過ぎない。現に、シュメールの頃の楔形文字は、象形文字的な表語文字(表意文字)的な側面をもっていたが、それがアッシリアでは、音節文字(表音文字)に変化している。楔形文字のように、もともと表意文字であったものが、時代とともに表音文字に変わっていった場合、もともとの表意文字の音がさかのぼれないという問題がでてくる。つまりシュメール人が使った楔形文字の発音は、現在においてまったく不明なのである。
というように、かなり風呂敷を広げて説明してきたワケであるが、こういう言語学に踏み込んでしまうと奥が深すぎて、これ以上先の考察は私の能力を超えている。
だが「アラム語」と「ソグド語」というのは、かなり広範囲に使われ国際公用語にまで発展した言葉だったらしいことは分かっている。アラム人はアケメネス朝ペルシアで公用語として始まった言葉であり、ソグド語は唐や中央アジアにおける公用語として使用されたようである。それが時を越えてイスラム帝国によってアラブ語が広まり、そして最終的に満洲文字にまで至る。なんともロマンのある話ではないか。
なんとも纏まりの無い文章になってしまった。