実質第2回宣伝会議賞打ち上げ、というか今回が本打ち上げ。
福岡まで三国志展中心に色々見に行ってきました。
まず朝からバスに乗り、天神まで。
予定していた電車には乗れなかったものの、大宰府直通の電車に乗車し
まずは太宰府天満宮を参拝。
拝殿に行く前に参道で黒猫に横切られたり、
拝殿についてから手水に寄るのを忘れてるのに気づいたり
おみくじが小吉だったりはしましたが、無事?参拝を終えて
九州国立博物館へ。
さすがに平日午前中なのでそこまでめちゃ混みというわけでもなく、
しかもほぼ全展示が撮影自由ということでかなり撮影させてもらいました。
音声ガイドは借りずに見ました。
わたくし、卒論は三国志(正史)で書いた(魏書方技伝)んですが
それも相当昔の話で、今回の展示では当時の貨幣制度や
太平道(黄巾の乱を起こした)や五斗米道といった原始道教について、
そして魏への禅譲後、漢のラストエンペラー・献帝が余生を過ごした河南の地が
穀倉地帯で高層楼閣の穀倉が林立するほどの肥沃な土地であったことや
「三国志演義」ではまるっきり蛮族として描かれていた南蛮地域が
実際は漢代には入植が進んでいて、
実際には漢の政府に従わない漢族を中心とした独立地域だったこと、
一方で東北部には魏でなく公孫氏が統治していた地域があったこと、
魏は西涼地域(モンゴル方面)までは支配域だったけれど、
北方の匈奴を従えることはできていなかったこと、
後漢時代にはすでに鉄製の剣が一般的になっていたこと、
この時代の弩(ボウガン)の構造、
魏の初代皇帝・曹丕が研鑽を積んでいた特殊な格闘武器・鈎鑲(コウジョウ)・・・
といろんな「しらないこと」がどかっと襲い掛かってきまして、
撮影OKだったのでほぼすべての展示品を撮りまくった上に
図録まで買ってしまいました。
だって生きてる間にここまで三国時代の史料が日本で見れることねえだろ。
そしてメインの曹操の墓所とその発掘品の紹介。
なんというか「歴史上の人物」だったんだなぁ、ということを
改めて実感したというか、あぁ、本当に生きてて死んで埋葬されたんだ曹操・・・と
生きた人間として再認識した、というほうが近いのかも。
展示の最後には現代日本での受容・・・ということで
人形劇三国志の人形、横山光輝三国志の原稿、真・三国無双風武将メーカー
(蜀所属の文武両道の人になりました)という展示もあったりしましたが
ここもうちょい色々突っ込んでも楽しかったかもしれないなぁ、とも思いました。
その後常設展での特別展示、長崎の関帝信仰も見に。
毎年ランタンフェスのときなどに関帝参りは欠かさないわけですが
なかなか拝観料を取る唐寺に入ることはなかったので
これはこれで貴重だなぁ・・・と。
一旦天神に戻って、長崎で買えないCDを買ったり
昼食にごまさば定食を食べたり、アメコミの原書買ったりして
今度は地下鉄で大濠公園へ。
前回の福岡行きは福岡市美術館で富野由悠季の世界展を見に行ったわけですが
今回は仙厓展をやっているということで再訪。
まず先に現代美術系のほうから見に行ったわけですが
なんというかコンセプトが掴めず、何をやりたいのか伝わってこない感じ。
その後仙厓展に行きましたが、今回は絵よりも書簡が多い印象で
あの独特のゆるい禅画がそこまで楽しめなかったのは少し残念。
というか三国志展で頭疲れてる状態で見るもんじゃありませんでしたね。
で、今回「夕飯で少し贅沢をしよう」と思ったのですが
なかなか食べたいものが浮かばず、2000円弱の小鍋と親子丼のセットで
夕飯を済ませてしまったあたりが「貧乏性だなぁ・・・」と思ったわけですが
けっこうおいしかったです。
その後博多駅のイルミネーションを撮ったり、
すぐそばにポイントカード持ってる紀伊国屋書店あるのにうっかり丸善で本買ったり
家族への土産を探したりしていると、帰りのバスのチケットをなくしました。
夕飯の値段抑えておいてよかったわ・・・(伏線回収)
なんとか(バス内でソシャゲのイベント消化しながら)帰宅し
家で猫を撫でながらスタトレを見て、旅行を終えました。
明日も休みにしたし、休むぞー。