リンムーの眼 rinmu's eye

リンムーの眼、私の視点。

ルイス・サッカーの“ほら話”

2007-12-27 | book
ルイス・サッカー著・幸田敦子訳『穴 Holes』(講談社文庫)読む。
主人公の少年は、荒地の真ん中にある矯正キャンプに入れられ、無益な労働に従事する。
それは、荒地にひたすら穴を掘ること。
目的は告げられていない。ただ毎日一つ、深さ・直径1.5メートルの穴を掘り続けるのだ。
何とも奇妙なシチュエーションの小説である。
過酷なキャンプでの主人公のサバイバルがこの小説の主軸となる。

主人公の名はスタンリー・イェルナッツという。Yelnatsを後からつづると、Stanleyになる。ひいじいさんのころから、イェルナッツ家の息子はこの名前であり…。
少年が放り込まれるのは、湖が干上がった不毛の地にあるグリーン・レイク・キャンプ。湖があったころ起こったある事件のあと、百十年間、雨が降っていない…。

…など、さまざまなエピソードが、主人公がサバイブする主軸と絡んで、やがて大きな物語となる。
奇想天外なストーリーを語る構成が見事な小説だ。
この小説は、ヤングアダルト向けに書かれたジュブナイル(児童文学)であり、そのジャンルの賞を多く受賞している。
だが、けして子供向けではなく、大人が読んでも(大人だからこそより)楽しめる小説だと思う。

この小説を一言で言うと、“ホラ話”ということになる。
トール・テイルやフィッシュ・ストーリーなど、アメリカの口承文芸の伝統としての“ホラ話”(映画『ビック・フィッシュ』を思い浮かべてほしい)は、アメリカ文学の源流の一つでもある。『ハックルベリー・フィンの冒険』のマーク・トウェインはその偉大な先人だ。今年亡くなったカート・ヴォネガット・ジュニアもこの系譜に入るだろう。
ルイス・サッカーは、“ホラ話”を語る正統な後継者といえる。

この小説の魅力をうまく伝えるのは、難しいので、是非一読をお勧めする。
小説中にこんな言葉がある。

 あとの穴は、想像力で埋めてほしい。

つまり、ホラにリアリティーを与えるのは、読者の想像力ってことだ。

鉄塔小説のファンタジー

2007-12-27 | book
銀林みのる著『鉄塔武蔵野線』(ソフトバンク文庫)読む。
今年は、『工場萌え』『ダム』など、産業構造物への偏愛がちょっとしたブームになってTV・雑誌などで紹介されたりしていた。
こういう、タモリ倶楽部的なマニアックさは、前から好きだ。自分の追いかけている対象があるわけではないが。
で、この小説は、鉄塔、である。

送電線を張り巡らせた鉄塔群。それに魅せられた少年が、まだ見ぬ鉄塔の行き着く先を求めて、ひと夏の冒険に出る。そういう話。
冒険とはいっても、ハラハラドキドキする展開は全くない。行く手を阻むモンスターが鉄塔に立ちはだかっている訳ではない。
少年は鉄塔の下の結界にコインを一枚ずつ置いていく。その経過をひたすらと、各鉄塔の特徴をいとおしむように、描写していくのだ。
鉄塔に寄せる思いの熱量だけでこの小説は成り立っているといってもいい。
この小説は、日本ファンタジーノベル大賞を受賞している。
なぜ、鉄塔を描いてファンタジーなのか。

 輝かしい陽射しに照らされた1号鉄塔と原子力発電所。そして1号鉄塔に至る武蔵野線の美しい鉄塔たち!それらは、現実にこの世に存在しながらも手の届かない対象として、わたしの限りない思慕を誘いました。(本文より)

原子力発電所なんてあるわけない。だが、“ここではないどこか”に鉄塔が通じているはずだという少年の思いをだれが否定できるだろう。
魔法や妖精が出てこなくても、鉄塔から導き出される想像力、純化した少年性が、ファンタジーなのだ。

この小説は、単行本ののちに、すでに一度文庫化されている。
〈完全版〉として復刊されたこの文庫版は、過去の単行本・文庫では割愛された鉄塔の写真が全点収録されている。
〈完全版〉文庫化への経緯をつづったあとがきからも、著者のこの作品に対する思いの熱量がひしひしと伝わってくる。

著者はこの小説のあと、第二作を発表していない。
鉄塔に興味がなくても、この小説のイノセントな美しさにだれもが打たれることだろう。