ひろしま里山放浪記

自然とのふれあいなど気儘な書込み

古代山陽道-影面の道-八幡地区散策

2013-05-04 | 日記

5月3日(金)曇り

今回の古代山陽道-影面の道-は石内-利松地区を済ませたので続きの八幡地区を散策します。

下記のDコースは帰りのコースとして、まずは三和中学校の南の新幹線高架下から八幡川の郡橋を渡り

八幡川酒蔵前-八幡公民館方面への近世の道路を通り、Eコースの城山バス停付近迄南下ました。

 

八幡 Dコース

 

八幡 Eコース 

 

山陽新幹線利松高架橋下の佐伯区消防署八幡出張所前の変則五差路交差点です。

 

同交差点を南下、このコースは近代の旧山陽道。

 

 

200m程南下すると正覚寺。

明治13年西区三滝より本堂は移築されたということです。

 

 

境内の老松は樹齢200年以上とのこと。

我家のお寺です。

 

正覚寺前の道を引き続き南下して八幡川の郡橋を渡ります。

 

郡橋の正面には影面の道を眼下に臨める古代の要所の山入寺山。

頂上には深入寺城跡が有ります。

 

郡橋を渡り暫く歩いて行くと八幡川酒蔵と云う

佐伯区唯一の醸造元が有ります。

銘酒「八幡川」は全国的にも有名だそうです。

 煙突の高さは25m。

 

八幡川酒蔵正面です。杉玉も見えます。本日閉店日にて試飲はできませんでした。

 

近くには山野草のお店が有り、

裏側の広い庭園には多数の山野草や園芸用植物等が栽培されていました。

 

もっと南には八幡公民館、今回の散策の参考書になった

古代山陽道-影面の道-(佐伯区散策マップ)

を製作された公民館の一つです。

 

八幡公民館を南下すると、八幡小学校の南側の高台に

正楽寺の保井田薬師堂が有り、石の階段を登り参拝しました。

平安時代に弘法大師が現在の薬師が丘一丁目に寺堂を建立しましたが

明治12年にこの場所(保井田)に移転されました。

御本尊の薬師如来座像行基の作と云われています。

 

正楽寺(保井田薬師堂)

 

同鐘楼からの景色も素晴らしい。 

 

 

 やや読み辛い薬師堂の由来

 

影面の道正楽寺(保井田薬師堂)からは保井田川に沿って、

城山南交差点の観音台通りまで続いていました。

八幡地図Eコース参照

ここからは県道41号線(湯来線)を北上(逆走)して八幡小学校迄戻りました。

 

ここで添付MAPのDコースを見て影面の道への入口を探し出して、

保井田バス停とGSの間の路地を山入寺山の裾野へ向けて入ります。

 

突き当たりの山裾の道(影面の道)を左折すると、八幡が丘団地へ入り影面の道は途絶えます。

 

右折してしばらく山沿いの道の影面の道を辿りました。

 

 

山陽新幹線の五日市トンネル入口の高架下にも影面の道は残っていました。

 

山裾を通っていた影面の道は八幡川沿いの土手道(県道41号線)に出ました。 

 

八幡川に架かる三和橋を渡ります。 

 

同上 

 

八幡川の土手から三和橋の向こうには山陽自動車道の高架橋が見えます。

左側の青色の取水口は寺田井出(取水口)と云って、江戸時代に 

八幡川が付け替えられて五日市が水不足となった時に作られたのだそうです。

 

三和中学校近くの教会風の洒落たお好み屋さん。 

 

新幹線の近くの利松集会所。本日散策の出発地迄戻って来ました。 

 八幡地区の散策は影面の道を南から北へ逆走しました。

次回は観音地区の予定です。

(終了) 

コメント
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