ラマダン明けの犠牲祭にあわせて一ヶ月ほど帰省するエジプト人知人からメッセージが届いた。
「何か欲しいものがありますか?」
こういった場合、私は喜んでお願いしてしまう。ただし、大きさや重量がありすぎるもの、立て替えるにしても高価すぎるものは遠慮する。
「あなたの宗教で使う数珠が欲しいです」とすぐに返事を書いた。
すると、彼女は画像を添付してきた。
とてもきれいなので、心配になってきた。高いのではないか、と。
しばらくやり取りをして、丁重にお断りした。
「帰省時は自分のことで精一杯なんですよ。私は経験しています。しかも、お祝いの時期なのでしょう?また別の機会にお願いします」
彼女は私の意見を喜んで受け入れてくれた。
化粧品や宝石箱を頼まれて唖然とした自分の帰省時を思い出すぞっ。
写真を見ると「欲しいなぁ」とついつい思い直してしまうけれど!
義母の数珠もあるぞ。
古くて質素な品だ。すでに使うことが無くなって、台所に吊るしてあるだけだ。
日本の仏教、キリスト教、イスラム教でも似たような物を使うことに驚かされる。
もしかして、それぞれ拝んでいる神様はひとつ、なのではないかとこういうときには思うのだ。
「何か欲しいものがありますか?」
こういった場合、私は喜んでお願いしてしまう。ただし、大きさや重量がありすぎるもの、立て替えるにしても高価すぎるものは遠慮する。
「あなたの宗教で使う数珠が欲しいです」とすぐに返事を書いた。
すると、彼女は画像を添付してきた。
とてもきれいなので、心配になってきた。高いのではないか、と。
しばらくやり取りをして、丁重にお断りした。
「帰省時は自分のことで精一杯なんですよ。私は経験しています。しかも、お祝いの時期なのでしょう?また別の機会にお願いします」
彼女は私の意見を喜んで受け入れてくれた。
化粧品や宝石箱を頼まれて唖然とした自分の帰省時を思い出すぞっ。
写真を見ると「欲しいなぁ」とついつい思い直してしまうけれど!
義母の数珠もあるぞ。
古くて質素な品だ。すでに使うことが無くなって、台所に吊るしてあるだけだ。
日本の仏教、キリスト教、イスラム教でも似たような物を使うことに驚かされる。
もしかして、それぞれ拝んでいる神様はひとつ、なのではないかとこういうときには思うのだ。