怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

欲しいものは手に入る

2017年02月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
マイルがたまっていたので、何か商品と交換することにした。

エールフランスのサイトを見ていくうちに見つけたのはノルディックウォークのポールだ。
欲しかったのに、義両親の反対で泣く泣くあきらめた品だ。2013年3月18日記事「買い物は相談してから」

買うのは反対されたけれど、頻繁に使う航空会社からの贈り物だ、と言えば黙るだろう。
そう予想して、注文したんだ。
それが届くと、義父は興味津々そうに私が包みをあけるところを見ていた。
反対するどころか、せっせと説明書を読み、長さを調整し、私に使い方の講義までし始めたので驚いた。
あんなに購入に反対したのは、いったい何だったんだ!?

何年もかかったけれど、欲しいものが手に入ってほっとしている。
もしかしたら、すぐに飽きてしまうだろうけれど、ノルディックウォークを経験しないまま人生を過ごすのも損なような気がしていた。
命がけとか、全財産掛け、というもの以外は挑戦していこうと思っている。
あ、義両親の反対のないもの、とも付け加えなければならないか・・・

こちらは南米在住日本人友人T子さんからの贈り物。
ニューヨークの無印良品で買ったものだ。
 
アメリカ土産が日本のもの・・・とちょいと不思議に思ったけれど、T子さんとしてはこのかっこいいリス柄と「FIFTH AVENUE」が気に入ったのだろう。

ありがたく使わせてもらうことにする。
袋はいくらあっても重宝するドイツ生活。

仮装の時期

2017年02月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
スペイン人E子さんから送られてきた画像だ。先週から仮装してパーティーやパレードなどの行事がたくさんある様子で、彼女も「日本人女性」をテーマにして化粧と衣装を揃えてみたらしい。
←クリックで拡大。
どうみても、服は中国服だ。かんざしをイメージした箸のような物体は角にも見えるぞ、怖いなっ。
眼を細く吊り上げるように化粧した努力は認めてやろうか。もしかして、唇の様子は江戸時代のそれと似ているかも?
遠慮なく、彼女には「中国人みたいです」と返事をしてやった。いつまでも日本への誤解をしていてもらっちゃあ困る。西洋人にとって、未だに東洋はみな一緒くたなのだろうか。
キモノくらいは広く知られているだろうに、どうして中国服を選んだのかなぁ。もしかして、予算の関係??

ウチの村で行われた仮装パレードには、私も少々仮装して観に行った。

100円ショップで買ったんだ。

かわいく変身、とかあるけれど、ぜんぜんかわいくならなかった。

パレードが始まる前、こんな風に仮想してきた人々が自分の姿を披露して右往左往している。
 
「アルフ」はかなり本格的な着ぐるみだった。欲しいと思ってしまった。
 
背中の羽はいつかわたしもやってみたいと思っている。

 

 

今年はアメリカ合衆国をテーマにした山車が多かった。

深い意味はないと信じたいが、なにしろ、壁作りについては、先駆者的なところがあるドイツだものねぇ。
ちょいとぞっとする。

見学者たちは一目で難民と思われる人々も多かった。

毎回この会場に来ると、まず、たばこと酒の臭さに辟易する。
大音量の音楽を義母は嫌って今年は来なかった。
パレードは16時ごろで終了するが、その後は22時まで村の中心でどんちゃん騒ぎが続いたのだそうだ。
若者には羽目を外せる大切な機会なのだろうけれど、高齢者たちにとっては昔とはまるで様相が変わった謝肉祭の祝い方に戸惑っているらしい。

ま、仕方がないだろう。何事も変化するものだ。
謝肉祭を祝い続けていることだけでもいいことだろう。


私の意見を聞いてくれっ

2017年02月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
先週金曜日に義両親と私はかかりつけ医に行った。
義父は予防接種、義母は去年の甲状腺治療の経過観察、私は検査のためだった。(そうだ、書いたな、エコー検査のことを)
その時、この医院の休暇についての張り紙が入り口扉にあったので、ざっと読んでおいた。
「火曜日の午後だけ休診」
そのように理解した私。
私は検便用具を渡されていて、それは三日分を集めなくてはならない。
排泄物収集済みのを長く家に保管しておくのは嫌だと思った。次の週は謝肉祭休暇になる医院が多く(一週間とか二週間なんだぞ、日本では考えられないだろう!)、このかかりつけ医が閉まるかどうかは結構重要な問題だったんだ。
ほぼ平常にやることを知った私はほっとした。

月曜日の午前中に検査容器を提出するために、土曜日の朝から集めた。
日曜日の午後になって、義両親たちに私は言った。
「明日の午前中は医院に検便検査容器を提出しにいきます」
すると、義母は言った。
「月曜日から一週間、医院は休みですっ」
あれ?やっぱり、私は読み間違えたか?一緒に行ったのに、彼らは張り紙を読まなかったのかな。
一応、私も反論してみた。
「でも、ドアの張り紙にはほぼ毎日普通にやっているって書いてあったようなぁ・・・」と、ちょっと弱気。
義母はますます語気を荒げて、
「学校が休暇のときはどの医院も休みなんですっ」
ですって。
そんなことは絶対ない。ある医院が休みを取るときは、その代理をしてくれる近所の医院を紹介するのだから、みなが一斉にある時期に休暇になることはない。私の数十倍永くドイツに住んでいる義両親たちはそれを知っているはずだ。
彼らの数十分の一の期間しか住んでいない私が正しいことを知るわけがない、と馬鹿にしきっているのだろう。
「パパ!来週はあそこの先生は休みよねっ」
配偶者を味方につけるのは常套手段だ。二人で私の間違いに突っ込んでくるのだぞ、恐ろしい。
義父はちょいと考えて「電話してみなさい」と言った。
長い休みを取ると医院はその期間や代理医院を伝える留守電メッセージを流すんだ。
すぐさま私が電話してみると、日曜日だったので至って普通の休日のメッセージだった。
「休暇のお知らせはありません!」と私は元気よく報告。
それでも、義両親たちは休みだということを信じて疑っていなかった。
「でも、検便提出だけなら、ポストに入れてきなさい」
と、主張は譲らないが妥協案を提案した。

絶対、やっているだろうと勇んで行って来た今日の朝。
患者は待合室の椅子を埋め尽くしていた。
いつも採血室にいるFさんに検便の容器をちらつかせて「おはようございます」と言いながら入っていき、他の人のそれの上に重ねて置いた。

ドアに貼られた休暇に関する案内をしっかり撮影して、義母に見せた。

もちろん、これくらいの物事での間違いを彼らが反省してみたり謝ったりはしない。
「あらそう、やっているの」
の一言で終わった。

たまには、私の言うことを信じて欲しいぞーっ

話を聞かない高齢者

2017年02月27日 | カテゴリー分けするのに飽き
家庭と学校では違う言語を使って育った、あるいは現在育っている人が多いドイツ。
そうした教育についての講演会があった。
私は興味が無かったのだけれど、近所の中国人に誘われたんだ。彼女の配偶者はドイツ人。
二人の娘をドイツ語と中国語を操るバイリンガルにしたがっているようだが、現在のところ(7歳と3歳)難航しているらしい。
お母さんが中国語で話しかけて理解はしているけれど返事はドイツ語になってしまう。
「中国語を聞き取っているのだから、まだ可能性はあるではないですか」と私はいつも慰めている。

講演を聴きに来た人たちは、そうした国際結婚の人たち、一家で外国から移住してきた人たちのようだった。
アジア人は4人だけ。彼女と私、そして、もう二人いた。彼女らはすぐに我々に話しかけてきた。
いずれも、ここで教師や秘書として働いている中国人だった。中国人は比較的すぐ初対面の中国人と親しくなる印象だが、どうだろう?
私たち四人は並んで席に座った。

市立図書館の蔵書が展示されていた。
中国語の絵本はたくさんあったのに、日本語はたった一冊だけだったのが印象的。

義父の母語はポーランド語だ。
ところが、夫も義姉もポーランド語を一言も知らない。
義両親たちはバイリンガル教育を初めから放棄していたのだろう。母語、と言われるのは、主に母親から子供に伝えられる言葉というニュアンスがあるのだろう。
自身の子供三人を立派なバイリンガル(彼らは英語もできる)に育てたポーランド人女性が私の夫に「お父さんからはなかなか学べないのよね」と言っていたことを思い出す。

私たち夫婦に子供がいたとしたら、おそらく、義両親たちは日本語を教えることに大反対しただろう。
こんな講演会にまったく興味を示さないだろう。
私が何を言っても、聴く耳を持たなかっただろう、持たないだろう。(現在進行形っ)

義母は今日も「昼は何にする、午後のケーキは何にする?」と尋ねてきたが、私が意見を言っても「それはああだからだめ、こうだからだめ」と反対する。
まれに何気に言った一言が、数日後に実現したりするけれど、それは例外。

あれれ・・・話が脱線。

昔、通訳になりたいという19歳のロシア人女性がホームステイしていたそうな。
彼女はひと月でドイツ語がペラペラになり、その後二年間を楽しく義両親と過ごしたらしい。
私が来た当初、義両親たちはそれが再現されると期待をしていたのだ。語学にもセンスがあまりない私は見事に彼らの期待を裏切った。
義両親たちは、その後、私のアジア人知人友人を観察して、皆、そのロシア人女性のようにペラペラでない傾向にあるのを認めざるを得なかったようだ。
ロシア語母語とアジア各国語母語では、ドイツ語習得の速さに違いがでる。(もちろん、例外は数知れず)
逆に、日本語習得でもどちらかというと、日本に近い国の言語母語の人たちの方が速く習得する傾向に感じる。(これも例外はたくさんあるだろう)
以前、こういった内容を私が説明したのだけれど、義母は真っ向から反対したものだ。「ロシア語もドイツ語とは全く違う言語ですっ」
今じゃあ、私の言ったことを私に説いている。
義両親説得には数年かかる。




最近は珍しい日本人音楽家

2017年02月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
街中で見かけたコンサートの広告。
また、中国人かなぁ、彼、なんだか若い頃のレオン・ライ(黎明)に似ているかも。
・・・などと考えた。
クラシック音楽界も容姿が売り込む際の大事な要素になることがあると読んだことがある。

名前を覚えてやれ、とよくみると・・・

おおっ、日本人じゃあないか。
いや、昨今は名前だけで日本人と判断するのは危険だ。日本人名を持ったアメリカ生まれのアメリカ育ち、国籍もアメリカを選んでいる日本ルーツの人物がたくさんいる。
一応、調べたら日本生まれの日本育ちの人だった。
そうなると、この写真、なんだか千秋真一に見えてくる!
年齢的にも、のダメカンタービレが連載されていた頃と近いしぃ。千秋はピアノも得意だったしぃ。
中国人音楽家が欧州進出を激しくしている昨今、彼の存在は貴重だ。
是非、頑張って欲しい。


毎日が戦い

2017年02月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
義母が昼食の準備をしている途中に、私がそれを手伝うために乱入。
自分自身の米飯を用意していたら、義母が言った。
「あら、今日のトマトスープにはたくさんご飯が入っているのよ」
その日はスープだけでなく、野菜の煮物や魚のおかずがあった。
また、スープには泳ぐ程度にしか米が入っていない。
いつもわたしはおかずにご飯を添えて食べるのを知っているはずなのに、どうしてそんなことを尋ねたのだろう。
口調は嫌味でもなんでもなく、普通に私に話していた。
認知症の傾向も疑ったが、どちらかというと義母の方が物事を良く覚えているくらいだ。
要するに、何か私と関わるための会話の糸口として、何でもいいから私に話しているのだろうか。

その夜、彼女は私に尋ねた。
「明日の昼食は肉がいい?甘いのがいい?」
義母は私が甘いものを食事にするのを嫌っていることを知っているはずだ。
「肉」と私は不機嫌に答えた。
これも嫌味なのか、と彼女の表情を見たが、全く普通。
どちらかというと口数の少ない私と接するための声かけだったのか。だったら、食事の話はテーマから外してくれ、と言おうと思ってしまった。

義母の能天気な質問にいちいち反応するのは本当に損だ。
何を言われても尋ねられても、心を平静に保つトレーニングを積み重ねていこう。
彼女の妙な提案や意見に気の効いた答えができるようになろう。
ああっ、毎日が修行か戦いかっ

半分に切ったザクロを乾燥させて、既存のプラスチック製果物と一緒に並べた。
 
製作は義母。こういうの、上手いんだよねぇ。
私はザクロを食べようと思って入手してきたのに、義母に盗られてしまったんだ。
「こんなの、りすは食べないだろう」と思われちゃったのだろうな。

犬のモラル低下

2017年02月25日 | カテゴリー分けするのに飽き
ウチの周囲を歩いていると増えたもの。
犬のウンチ。
 
ここだけでなく、ほぼ100メートルごとの歩道の脇にあるんだ。
飼い主のモラル云々より、犬のモラルが狂っているとしか思えない。
犬や猫は、排泄したあと後ろ足でその跡を隠すように砂や土をかけるのが本能ではなかったか?
どうして、隠す道具のない場所で平気でウンチをするようになったのだろう。
アスファルトの上を散歩するようになって、すでに何代も続き、犬の遺伝子に排泄関係のやり方が変化して組み込まれていっているのか。
飼い主のモラルなんて、もう、ドイツに来る前から諦めていたものね。
通りはフンだらけだから気をつけなさい、という旅行ガイド本で学んでいる人も多いだろう。
草むらや土の部分がまだ残っている田舎在住の犬たちには、本来のモラルを教えてやりたいぞ。
ちゃんと、隠すことができる場所でウンチしなさい!!

便利な義母

2017年02月24日 | カテゴリー分けするのに飽き
「ロールケーキが食べたいな」
と何気に言ったら、その数日後に義母はロールケーキを焼いた。

本当はジャムではなくて、ホイップクリームを巻き込んで欲しかった。
「ジャムは数日保存できるけれど、クリームだとすぐに食べ切らなくてはならない」
という義母の意見を受け入れなければならなかった。
食べるときに、ホイップクリームをたっぷりと載せて食べればいいのさ。

クリームの食べすぎで少々気持ち悪くなってしまった私。
食べすぎには充分気をつけるようにしているのにねぇ。

「〇〇食べたいな」
と言うと、現実になって出てくる我家、いいじゃあないかー。
「寿司食べたいな」とか「すき焼き食べたいな」と言っても現実にはならないのが難点だ。
同居義母は便利である、と結論付けることにした。


ミニマリストにはなれない

2017年02月24日 | カテゴリー分けするのに飽き
古本屋で、ちょいと親しくなってきたおじさんと地理について話題になった。
「ご実家のある辺りの緯度はどのくらいですか」
緯度というドイツ語も聞き取れなかった上に、東京付近の緯度も知らなかった私。
しどろもどろになっていたら、彼はたくさん並ぶ本の中から、ちょうど日本の中学校などで使うような地図を探し出して持ってきた。
「これをあなたに買って差し上げます」
と言うので、丁重に辞退した。なにせ、住まいには三冊もの地図帳がある。日本語の書籍なので私にはよりわかりやすい。
 
それでもおじさんはひどく固執するので、好意をありがたく受けることにした。たったの一ユーロだし。
しかし、この本は重たかった。他に荷物がたくさんあったのでちょいと苦労した。
手提げ袋はたくさん持ち歩かなければならないドイツ生活。

最近、夫にもらった傘。
なぜ傘?と思いながら広げたらウサギ柄。
リス柄を見つけたかったらしいが、なかったので、自分の愛称のウサギにしたらしい。

傘もねぇ・・・三本もあるのだけれどぉー、と言いたかったが、雰囲気を壊してはいけない。
夫は私が傘不足で悩んでいるのを解消するために買ってきたわけではない。面白い柄だから、とお遊びの感覚だったのだからありがたく一緒に面白がらなくてはならない!

このようにして、余計な物資がどんどん増えていく。
どれも大事にするように心がけている・・・
贈り物って難しいよなぁ、と誰かに何かをあげたいと思うとき悩んでしまう。

余計な物を持たずに暮すのを心がけている人たちは、贈り物にはどう対処しているのだろう。
無下に断るのは人間関係をちょいとまずくする場合もあるぞ。
人との関係を絶つ、という方法もあるが、関係がないと生きている楽しさがかなり減少してしまうのではなかろうか。
実家のように、親族で盆暮れの挨拶の品を省く話し合いをして実行しているのは好感が持てる。
夫や子供が、妻や母親を喜ばせるために贈り物を提供するのを断るのは難しい。
ウチでも誕生日やクリスマスの贈り物は廃止の傾向にあるかな。

無駄に感じる物資を保存しておける気持ちや場所のゆとりを持って生きるほうがお徳かもしれない。
私はミニマリストにはなれそうもない。



ドイツ化不足している

2017年02月23日 | カテゴリー分けするのに飽き
腹部と甲状腺のエコー検査を受けた。
ちなみに、どちらも保険適用。東京都の甲状腺エコー検査は保険が効かないと読んだが、本当だろうか。
いずれにしても、ここは窓口負担がほとんどない。月々の保険料も(所得によるが)日本とあまり変わらないことを考えると、日本では家庭の医療費は大変だな、とちらりと思う。あ、これはテーマじゃあないので突っ込まないでぇ~

検査室の掲示物。こういうのって、世界各国どこも同じなのだろうか。
製作して売り込む業者がどこでもいるってことだろうな。

この機器は残念ながらシーメンス社のだった。左隣の写りこんでいないコンピューターは富士通だった。うほほっ。富士通とは縁もゆかりもない私だが、日本企業ということで何気に嬉しい。
さて、右側に置かれている診察台に横たわるのだが、衛生を考えて、このような不織布、いや、紙製のシートの上に寝転がる。50センチごとにミシン目があって、一人の検査が終わると、その部分を切り取ってまた広げるようだ。
 
ちゃんとミシン目があるのに、どうしてこういう破き方になるのか、とても不思議だ。

その作業をするのはこの医院のスタッフだろう。時には医師もやるかもしれない。
忙しくてミシン目に沿ってゆっくり切り取る気持ちになれないのだろうな。
イラストが描かれてある赤いシートは靴が載る部分。靴のまま横たわるのは日本人の感覚にはあまりないだろう。

「上着を脱いで待っていてください」
上半身ブラジャーだけ姿でかなり長い間待たされた。誰もいないこの部屋でいろいろ観察した挙句、このシートをきちんとミシン目で切ることにした。
すがすがしい気分になった私はやはり、日本人!?
そんなに几帳面でも真面目でもない私なのに、どうして気になっちゃったのだろう。
まだまだ修行が足りないドイツ化なのかもしれない。




古い食品を食べつくせっ

2017年02月22日 | カテゴリー分けするのに飽き
フードシェアリングの品々に私はときどき世話になる。

段ボール箱で運ばれてきたたくさんのパンは、高級パン屋の売れ残り寄付品だ。
日頃そんな高いパンには縁がない私の生活だ。かなり古くなっても、口にする機会は貴重だ。
黒くて固くてどっしりとしている。薄切りのを二枚ほど食べただけで満腹になることもあるぞ。
ぎっしりとひまわりやかぼちゃの種が混ぜ込んであるせいだ。ナッツ類はリスの好物だものね!(私の胃にはちょいと負担・・・)

運んでくるボランティアの女性たちは、一応、衛生には気をつけなくてはならないらしく、容器を拭き掃除したり使い捨て手袋を使っていたりする。
でもね、基本、素手。ここの人たちは日本人ほど衛生について厳格でない。
私はそれを見ないようにして、その場で小さいデニッシュをティッシュで掴んで「これ、いただいていいかしら」、と断って口に入れるが、細菌がうようよ付いているのを承知の上だ。
油分が多く含まれているデニッシュも、古くなると固くなる。パンの固いおいしさはドイツで学んだ。日本のパンは、ドイツの物とは全く別物だ。比較するのは無理がある。
日本に戻ると、日本のふわふわの菓子パンを片っ端から食べつくしていきたい衝動に駆られる。

これは去年8月に収穫したウチのリンゴだ。
 
こんなにシワシワになったものを食べられると知ったのは、ここに来てからだ。
義母の食品長期保存は、昔は当たり前だったのだろうな、とこのリンゴを見て思う。
日本に住むスイス人B子さんが「冬でも野菜を普通に収穫できる」と感動している様子を思い出す。(彼女は西日本太平洋側在住)彼女の母国とその周辺、北ヨーロッパの長い冬は保存食だけで生き延びたのだろう。

もちろん、ここのすべての人々が食品を大事にしているわけではない。
少しかじっただけのパンが無造作に捨てられているのを幾度も目にしてイライラしているぞ。
無駄にする人たちと、大事に食べる人たちで相殺されているのだろうなと考えて気分を落ち着かせることにしている。


感謝の歌

2017年02月21日 | カテゴリー分けするのに飽き
感謝の言葉を口に出したり思ったりすることを勧めるのは、成功哲学系の理論や新興宗教の説くところだと思っていた。
ドイツ人Mさんと話していたら、子供の頃に教会で歌った歌を披露してくれた。
「朝に感謝、仕事に感謝・・・」
日常の何気ない物事に感謝を捧げる歌詞だ。キリスト教は三位一体唯一の神様にしか感謝しないものと勝手に思っていたが、違ったのだな。
家でその歌を検索したら、あった。


「ああ、今日も朝が来た、ありがとう」
「朝食にありつけた、ありがとう」
「行くべき仕事場がある、ありがとう」
何かを与えてくれた偶然や他人に感謝するのは比較的簡単だが、毎日の、比較的みんなにやってくる物事に感謝し続けるのはなかなか努力が必要だ。
それができたら、幸せな毎日を送ることができるのかな。

更には物質的な成功も手に入れることができる、と説く書物が増えてきているような気がする。
もしかして、キリスト教徒は昔からそれを知っていて、実践した結果、多くの外国を支配したり(良いとか悪いとかを別にして)発達した物資を庶民が所有することに先駆けることができたのか。

ブログを読める眼にありがとう、ブログを書ける指にありがとう。
これから毎回、記事更新のたびに口に出して言ってみよう。
金も時間もかからない。
もっと読者が増えますように!願いは軽く思うのがコツだそう。


商売開始

2017年02月20日 | カテゴリー分けするのに飽き
街中を歩いていたら、掃き掃除をしていた頭巾姿の女性に声をかけられた。
「りすさん!」
ドイツで多くの頭巾女性(イスラム教徒)と知り合った。付き合いの深さもそれぞれ違うので、あまり会わない頭巾さんは瞬時に誰だか判別不能だ。
「えっと・・・ぉ・・・、うーん、お名前はぁ・・・」
実を言うと、名前どころかどういう知り合いなのかもわからなかった。
頭巾をしていると、髪型という個性が隠されてしまうし、また頭巾の彼女らは着ているものも同じようなものになりがちだ。
「あら、2012年のドイツ語コースで一緒だったS子よ!」
と全部言ってくれたので助かった。
S子さんは名前で呼びかけてくれたのに、彼女の名前さえ出てこない私、恥ずかしい。

雇われてその店の掃除をしていると思った。
以前にも彼女は調理場の掃除の仕事をしていた。そう、知り合った2012年当時の話だ。妊娠でその仕事を辞めて、ときどき街中で他の二人の子供とベビーカーを押しながら歩いているところに出くわしたものだ。
店の中で話を聴くと、旦那さんがこのたび、携帯電話などの修理をする仕事を始めたのだとか。
ここのところいろいろな新規の店舗が開店する。次々と閉店していた一時期とは雲泥の差だ。

もちろん、私は彼女の家族の大躍進に喜んだ。どうぞ、永く商売繁盛しますように。
一家はチュニジアからの移民だ。
もう一人、チュニジア人の女性と知り合っている。その人は物理か何かを大学で学んだ才媛で、在独1年ほどで流暢にドイツ語を操っていた。30歳独身。高学歴の女性は結婚や出産が遅くなりがちなのはイスラム世界でも同じなのだな、と感心したものだ。
多くの外国人がドイツで就職したり商売を始めている活気のある様子は、今のところいい感じだ。
その様子を指をくわえてみている新しい難民たちもいるのだろうなぁ、頑張ってね。





夫の作戦

2017年02月19日 | カテゴリー分けするのに飽き
ここ数ヶ月、義母だけでなく夫まで私に「食え食え攻撃」を仕掛けてくる。
日本にいると普通体型だが、ここにいるとまるで子供のような体格の私に恐怖を感じているようだ。
ストレスで更に痩せてしまったので、私自身も何とかして体重、願わくば筋肉量を増やしたいと願っているところだ。
筋肉作りにはたんぱく質、と誰しも単純に考えるようで、夫はプロテイン飲料を私に買い与えた。
こういう商品ってジムに通っているような人たちの専用だと思っていた。

ちょいと気恥ずかしいのだけれど、放っておいたら古くなるだけなので飲んでみることにした。

添付のスプーンでひとさじ。そのままだと大豆の香りと味が強すぎて飲みにくいのでチョコレート飲料粉末を少々加える。
 
牛乳を200ミリリットルくらい加えて、ふたをして振ること20秒。
ミルクシェイクになって、おいしい。
 
おいしい、と書いたものの、今朝はなんだか飲みたくなかった。
義務感で飲んでいるからだろうな。これを飲んだら筋トレしなくちゃ、という妙な考えもある。

昨日、一緒に出かけた友人が、彼女が通っているジムに誘ってくれた。
「一週間無料体験ができるのよ。そのチケットを持っているのであげるわ」と言っていた。
彼女の行っているそのジムの、すぐ近くのジムに行ったことがある。競合相手だ。会費が違うので客はそれぞれの経済事情で選んでいる様子。
「フィットネスクラブはわたし向きではない」2016年11月17日記事
断ろうと思ったけれど、サウナがあるという部分に反応してしまった私。
トレーニングはいいから、サウナに一週間通う贅沢をしてもいいかしら、と思った。
プロテイン飲料飲んで、サウナに行く。
なんだか、自然に筋肉が付いてきそうな、勝手なイメージっ!夫に叱られそうだ~。

いつもきちんとしていなくて良い気楽さ

2017年02月18日 | カテゴリー分けするのに飽き
在独日本人仲間から送られてきた画像。
入った喫茶店で気になって撮影したそうな。彼女がドイツ生活を楽しんでいる余裕が伺われる一枚。

センスのかけらもないテキトーな置き方だ。
それでも、客はちゃんと飲料に必要な砂糖やクリームを手に入れることができるのだから、全く差しさわりがない。
見方にもよるけれど、わたしの目から言わせれば、ドイツでは公の場の整い方はあまりよくなく、各家庭はきれいにされている印象だ。
日本は、単純に比較すると道路や公園、学校、役所などに掲示物や物資がたくさんあるけれど、きちんと管理されて整っている。一般家庭はその溢れた物資で整えようがなくなっている印象。
昔「欧州は公共物を大切にする」と読んだ記憶がある。
その頃とは立場が逆転してしまったのだろうか。落書きや風に舞うゴミ、ゴミ箱から溢れるごみはドイツの方が多い。
私は幼稚園や小学校で園庭・校庭のゴミを拾うトレーニングをした記憶がある。
ここの学校などでそういう教育をしているとは思えない。清掃作業は罰として与えられるものである国も多い。

日本は外できちんと礼儀正しくしていなくてはならないから、大変だと思う。
帰省時のテレビかラジオ放送だったか、世界で一番貧しい大統領かだれかが日本を訪れて、そのきちんとした日本人に大いに感動していたと報じていた。だが、彼は「日本人は幸せを感じて生きているのだろうか」とも付加えていたそうな。

ではドイツ人が日本人より日常に幸せを感じているかな?
大方の物事で日本より緩い印象だ。山になっているコーヒークリームにイライラする客は日本人だろう。