昨年末、米搗きに行こうとして30㎏入りの紙袋を持ち上げたところギックリ腰に
なってしまった。 8月以来色々忙しかった為にスッカリ身体が鈍っていたらしい。
今日は少し良くなったので、久し振りに昔の東城道を少し歩いた。
先ずスタートは東城分かれ。
昔は福山から東城へ向かう幹線道路だったそうだが、それでも幅は7尺しかなく、
村内の道路に至っては幅が3尺しかなかったという。
その道路脇には、亀の甲羅の形に似た大岩とお墓がある。
畳が12畳も敷かれるという大岩は“銭亀石”と呼ばれていて、その昔道路拡張の
為に石工がのみを入れたところ、赤子の泣き声がして血が流れ出た為に割るのを
止めたという言い伝えがあり、お墓の方は“相撲取りの墓”という言い伝えがある
そうだ。
相撲取りの話は兎も角、赤子の泣き声の方は眉唾ものだ。
どうせ私のような横着者が、もっともらしい話をでっち上げて工事をサボったに違
いない!
なってしまった。 8月以来色々忙しかった為にスッカリ身体が鈍っていたらしい。
今日は少し良くなったので、久し振りに昔の東城道を少し歩いた。
先ずスタートは東城分かれ。
昔は福山から東城へ向かう幹線道路だったそうだが、それでも幅は7尺しかなく、
村内の道路に至っては幅が3尺しかなかったという。
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東城分かれ | 昔の東城道→現在の東城道 |
その道路脇には、亀の甲羅の形に似た大岩とお墓がある。
畳が12畳も敷かれるという大岩は“銭亀石”と呼ばれていて、その昔道路拡張の
為に石工がのみを入れたところ、赤子の泣き声がして血が流れ出た為に割るのを
止めたという言い伝えがあり、お墓の方は“相撲取りの墓”という言い伝えがある
そうだ。
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銭亀石 | 龍ヶ嶽権太夫の墓 |
相撲取りの話は兎も角、赤子の泣き声の方は眉唾ものだ。
どうせ私のような横着者が、もっともらしい話をでっち上げて工事をサボったに違
いない!