その千一夜物語というのは(承前)、新婚の妻の首を初夜の翌朝跳ねることを決まりとするシャフリヤール王のところに自らの意思で嫁いだシェーラザードが、生き延びるため毎夜面白い話をして王につづきを聞きたい、続きを聞くまでは首をはねるわけにはいかないと思わせた夜とぎ話集なのだが、そもそもなぜ王が新婦の首をはね始めたかというと、自分の不在中に奥さんに浮気され、絶望して弟王と共に旅に出て、ある木の上で休んでたら木の下に巨大な鬼神がやって来て、婚礼の席からさらって囲ってる乙女の膝枕で寝込むと乙女が木の上の王達に気付いて「降りてきて自分といたせ!いたさないと鬼神を起こしてお前達を喰わせる」と脅迫して、二人と事を済ますとそれまでそんな感じで98人といたして今回で100人になったと自慢するもんだから、鬼神が被った不貞は自分が被ったそれどころではない、鬼神ですらこのような不貞に遭うのだ!てな感じで王の世の女性に対する不信感がMAXとなり、国に戻って新婦の首をはねるという「世の女性に対する復讐」を始めたのである。
不思議に思ったことがある。一つは倫理的な観点から。そもそも乙女は鬼神にさらわれた身の上であり鬼神に貞節を誓う身の上ではない。だったら100人といたそうが不貞にはあたらないのではないか。しかも、その相手の一人は自分である。
もう一つは生理的観点から。王達は鬼神の横で乙女といたしたというのだが、そんな状況でいたせるだろうか。昔、どこかの法廷である女性弁護士が「男はどこでもできるんしょ?」とのたまったそうだが、たしかに、ニャジラが放散するフェロモンに引き寄せられた街中の雄猫達は目をつぶってニャジラに突進したわけであるが(そして、ニャジラの片手の一撃で遠くに吹っ飛ばされたのであるが)、人間の雄もそれと変わらないのであろうか?
因みに、「鬼神」のドイツ語訳は「Geist」である。バッハのモテット第2番の「Geist」は「御霊」と訳すのが常だが、乙女をさらい人を喰うヤツに「御霊」は似つかわしくない。どう訳したらよいだろう?と思案して、当初「妖怪」と書いたのだが、一般に「鬼神」と訳されているのを知って、そちらにした次第である。人は上手い訳をするものである。
もう一つ因みに「シャフリヤール」で私がググると最初にヒットするのは最近引退したダービー馬である。この馬と千一夜物語の王様が私の中では当初符合しなかった。というのも、私が読んでるドイツ語版では件の王様の名前が「Scheherban」になっているから。これはどう読んでも「シャフリヤール」にならない。そうだ、不思議と言うのなら、これが一番の不思議であった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます