先週のトリセツショーが痛風をとりあげたのでくいついて見たら「痛風を発症した人は受診しましょう」。結局それ?がっかり。ただ、「牛乳を飲むと発症率が下がる」は新情報であった。
それよりも、今週のトリセツショーはひざ痛についてだったが、「運動しすぎると軟骨が破損して炎症がおきる」には耳がダンボになった。歩くとき膝に150㎏もの負荷がかかるのなら足の指にもかかるだろう。私の痛風は、歩きすぎで発症したのではないか?と疑っていたが、そもそも痛風の発症ではなく、歩きすぎで関節が破損して炎症がおきてるのではないか?という疑問が浮上中である(昨年はたしかに歩きすぎた。一日おき、あるいは連日3時間川辺を歩き回っていた)。とにかく、歩くより自転車の方が負荷がかからず運動ができる、というのは役立ちそうな情報であった。
そんなわけで痛風が治らない。いっときのように夜眠れないほど痛いということはなくなったが、歩くのには不自由なままである。これまで、ゆっくりとしか歩けない高齢者をみるたびにお気の毒と思っていたが、今の私はまさに「お気の毒な高齢者」である。
だが、所属している合唱団の初練習とあれば無理をしても行きたいところ(内輪の発表会も目前だし)。ウチから○○駅まではバスがある。間は電車に乗って、新宿駅西口から会場までもバスがある。よし、決行だ!新宿駅西口は現在工事中で前回バスターミナルにたどり着くのに相当な時間がかかったが、今回は大丈夫だろう。
と思ったら甘かった。前回同様、迷いに迷って30分遅刻する羽目になった。迷う理由が分かった。「西口地上へ」と「西口バス乗り場へ」の二つの案内標識を一緒にしてはダメなのだ。「地上へ」に従って進むと地上には出るがバスターミナルにはたどり着けない。あくまで「バス乗り場へ」に従わなければならぬ。ときどこその標識が雲隠れするが、そこであわてふためいて方向を変えたら運の尽き。そのまま直進すると再び「バス乗り場へ」が現れ、ターミナルにたどり着ける。このことが分かったから次回は大丈夫だ。「三度目の正直」と言うではないか。
だが、これはこの日の苦難の始まりに過ぎなかった。会が終わって会場近くのバス停(予め調べはつけてある)でバスを待つ(終バス時間も調べはつけてある)。ところが、一向にバスが来ない。この夜は特に寒くて凍死しそうである。よくよく時刻表を見たら一時間間違えていた。終バスはとうに終わっていた。仕方なく、最寄りのJRの駅まで歩いた。痛む足をかばいながらえっとこえっとこ歩いて変な力がかかったのだろう、翌朝、痛風の足よりも全身が痛い。
だが、天は更なる試練を用意していた。舞台は私の住む区に移っている。終バスは終わっている。いつもなら北○○駅から25分歩くのだが無理(なぜ無理かって?あのー、ここまで読んでくださった?)。するとタクシー。○○駅からだとタクシーはたくさん来るが2000円かかる。北○○駅からだとタクシーはあまりこないが1200円で済む。私のことを知ってる人なら私がどちらを選んだかは火を見るより明らかだろう。待ちましたとも、北○○駅のタクシー乗り場で。来ない。待てどくらせど来ない。そのうち、次の電車が到達したらしく改札から人が出てきたがまだ来ない。寒さはいやますばかり。このままでは凍死である(?)。ここまで並んで確保してきた「1番乗り」の地位に固執したい気もしたが(離れた途端に他の人が並んですぐにタクシーが来たらシャクである)、意を決して、その場を捨て、近くの大通りまで行ってタクシーを待った。おっ、空車が来た!と思ったら、私と空車との間を黄色い作業車がふさいだため取り逃がしてしまった。作業車は私をあざ笑うようであった。気を取り直して待つとまた空車が来た。今度は捕まえることができた。地獄に仏とはこのこと。仏(フランスではない。「ほとけ」と読んでちょうだい)のドライバーは中国人だった。発音は外国人ぽさが残るがヒアリングは完璧だった。聞くと2年間日本語学校で日本語を勉強したという。2年でこんだけヒアリングができるんだ!すごい!と思い、大いに仏様をヨイショした。「やばい」という言葉が昔は悪い言葉で今は「すごい」の意味だってことも知っていた。接客態度も満点だった。「このドライバーはどうでしたか?」というアンケートが来たら5点満点を付けたところである。
それにしても、その夜の北○○駅のタクシー乗り場は役に立たないことこのうえなかった。信じて待って凍死したら私の遺族の損害賠償請求が認められるだろうか?だが、訴える相手がいないし(被告適格者がいない)、そもそも私に遺族になるような人(原告適格者)がいない。関係ない人が関係ない人を訴えても請求は却下である。かりに、内容が審理されたとしても、信じた私が馬鹿だったと言われて請求が棄却されること請け合いである。
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