黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

体験レッスン(宗旨替え?)/ジョン・シピン選手

2024-10-21 07:16:50 | 楽器

ある楽器の体験レッスンに行ってきた。その楽器は、次の中の一つである。

おっ!これまで先生に習いに行ったのはピアノだけで、後はことごとく独学だったのに宗旨替えか!? いや、「楽器=独学」を宗旨と定めていたわけではなく、結果としてそうなったのである。

私だって、もともと楽器を習いに行きたかった。だが、子供の頃、親が習いに行かせてくれなかった。理由は「ウチにはお金がない」「音楽をやる必要がない」の二つであった(が、今、思うと、父が毎晩飲んだくれるお金はあった。要は「子供に音楽をやらせる」お金はない、ということである)。ところが、どうした風の吹き回しか、突然母が私に駅前のピアノ教室に行ってこい、と言い出した。で、行ってみたら、ピアノは我流を直すために一からやり直しだが、ソルフェージュ(楽譜を見て歌うこと)と聴音(音を聴いて楽譜にすること)はもうできあがってる、とえらく評価してくれた(作曲の先生を紹介してやる、とまで言ってくれた。だが「高いけど」が付いていたので親に相談するまでもなく諦めた)。ところが先生が替わった。二人目の先生は怖かった。私の鍵盤のタッチが重いのはオルガンを弾いてるせいだと言って、オルガンは弾くな、と言った。私んちにはオルガンしかないから、先生の命はやめろと言うのに等しい。それでピアノ教室には行かなくなった。これがトラウマとなり、楽器(歌も)は独学でするもの、という習慣がついたのである。後年、母に、なぜあのとき私にピアノ教室に行かせたのか聞いたら、あまりに家でオルガンを弾いてうるさいから厄介払いをしたかったと白状した。腑に落ちた。なかなか正直者の母であった。

じゃ、この期に及んで体験レッスンに行ったのはなぜか?実は、本番で演奏する話が持ち上がったのだが、どうにも上手くいかない箇所があり、背に腹はかえられずに先生を探したところ、近場に、猫のいる練習場を見つけたからである。行くにあたって、二つの状況を想定した。次の通りである。
①独学なのにこんなにできてすごい、と褒められる。
②我流で変なクセがついていてダメ、とけなされる。
かりに②でもブログのネタになるからよいと思っていた(ブログは物事を客観的に見直すから精神衛生上有益である)。結果は①でほっとした。だからと言って有頂天になるほど私は子供ではない。体験レッスンは、これまでの方向性が間違ってなかったことを確認し、課題の解決のヒントを得るのに十分で、大層ためになるものであった。

もし、この先生に習うことになったら、堰を切ったように他の楽器も先生につくかもしれない(巨人軍だって、かつて外国人選手をとらないことを宗としていたが、一度、その禁を破ったら後から後から外国人選手が来るようになった)。そうなると、母の口癖「ウチにはお金はない」が、半世紀を経て、所を変えて現実の問題として浮上することになる。レッスン費をどう捻出しようか。レッスン以外はいっさい家から出ず、毎食大根飯で飢えを癒やす生活になるやもしれぬ(おしんか)。

因みに、巨人軍の外国人選手第1号はばりばりの大リーガーの看板をひっさげて入団したデーブ・ジョンソン選手である(当初、看板倒れであった)。それから、当時「巨人軍の選手は紳士たれ」と言われていた(そうじゃない人もいるだろうに、と思った)。だから、大洋ホエールズ(って知らないでしょ)から巨人に移籍したジョン・シピン選手は、大洋時代はひげもじゃでライオン丸だったが、巨人のユニフォームを着て現れたその姿は髭をきれいにそっていてなかなかの男前になっていた。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« グルメとは言わない | トップ | 台地を行くVol.1(武蔵野台地... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

楽器」カテゴリの最新記事