プロレス評論家の菊地孝さんがお亡くなりになった。享年79歳。今から30年以上も前に国際プロレスの解説でその存在を知りましたが、菊地さんほど後楽園ホールに通っていたマスコミはいなかっただろう。現場で試合を観戦しているのだから、どのベテラン取材者よりも重みがあり視線は厳しかった。私にとっては竹内宏介さんの葬儀で弔辞を読まれ、その時にスターダム・カーで最寄り駅まで送らせていただいたのが最後だった。菊地さ . . . 本文を読む
みちのくプロレスの「ふく面ワールド・リーグ戦」を観戦に後楽園へ。出場メンバーは懐かしい顔ぶればかり。昔はみんな若かったけど、今ではベテランというか重鎮の域に来ている。おそらく40代以上がゆったり楽しめるプロレス。ソラールもビジャノも渋い。サラと一緒に行ったのでバックステージに行くと、あのレインメーカーの顔が…彼の方からサラに挨拶していた。「メヒコでもTNAでも顔見知りだったのよ」と。 . . . 本文を読む
大阪大会が終わりスターダム・カーで一路東京へ。月曜日の午前5時30分に帰宅。火曜日はいつもの仲間とリラックスな12時間を過ごす。水曜日になってから体調がイマイチで熱っぽいのだ。ゆずポンの取材に同行したが、疲れが取れない。今年に入って風邪だけは注意しているので、1回も引いていない。万全な体調をキープするためには無理は禁物。事務所に戻ると安川惡斗が名古屋大会の準備をしていたが、「風邪を引いているかもし . . . 本文を読む
今日、某一流一般週刊誌からいきなり電話があった。それは「浜口京子の女子プロレス入りの可能性について?」という内容で、コメントを求められたのだ。今回のロンドン五輪はなんだかんだといって、気になってTVで見てしまう。女子バレーボール以外は、まさに五輪以外では全く見ないが、それでも「浜口京子が女子プロレスに入ったら、どうなんだろう?」と考えたばかりだったから、この電話は少し興味があった。彼 . . . 本文を読む
長与千種の父、繁さんが永眠したと里村明衣子選手から連絡をいただいた。確か競艇選手の一期生で活躍し、破天荒な人生を過ごしたと伺っていた。私も全女時代には当然、面識がありいつも背筋が伸びたダンディな方だった。千種からは春頃に余命数ヵ月と聞いていたが、母親がショックを受けるからと気を配っていたようだ。そう思うと私の亡くなった両親のことをちょっぴり思い出してみた。何一つ親孝行をしたことのない息子だった私だ . . . 本文を読む
週プロの顧問だった宍倉氏の送別会に顔を出しました。彼とはかれこれもう33年を超える長い長い友人関係。仕事で初めて会ったのが1979年10月、全女の川崎球場大会だった。確か、ゴング誌でウオーリー山口がファビュラス・ムーラにインタビューした真新しい雑誌を、わざわざ持ってきてくれたのだ。思えば、そこがきっかけで女子プロレスの世界にめぐり合わせてしまったのだと思う。私の新人時代、恵比寿のアパ . . . 本文を読む
紫雷イオの不起訴を発表出来てひと安心しています。この事件、イオが手荷物検査の際に、違う列に並んでいれば逮捕されることも拘留されることも無かったのだから、人生は何が起きるか判らない。昨日は名古屋に車で行き、後援者の方に食事をご馳走になり、東京に戻る途中、事故渋滞に巻き込まれ2時間足踏みをしてしまった。帰宅したのが午前4時という有り様。これも予期せねこと。今年も半年終わり、今後はポジティブな話題をドン . . . 本文を読む
”ミスター・ゴング”竹内宏介さんのお通夜に行ってきた。式場の調布まで首都高速が混んでいたため、約2時間もかかって到着。すると元ゴング誌の編集スタッフやカメラマン、週刊プロレスの関係者、坂口征二、グレート小鹿の両名、そして武藤敬司選手も参列していた。供花も(敬称略)アントニオ猪木、馬場元子、長州力、藤波辰彌、前田日明、小橋建太、蝶野正洋、グレート・サスケ、健介オフイス&h . . . 本文を読む
プロレス・マスコミの巨星が逝ってしまった…“ミスター・ゴング”竹内宏介さんが天に旅立ってしまったのだ。脳梗塞で倒れ、5年近くも病床にいたが、意識が回復することなく5月3日、午後8時24分に腸閉塞のため永眠されたのだ。その間は大川カメラマンや吉川義治さんが親身になって奥さんを支えてきたのは、紛れもない事実だった。竹内さんは私よりも10歳年上でまだ65歳の若さだ . . . 本文を読む
ZERO1後楽園ホール大会に行ってきました。ゆずポンが夕陽選手のデビュー戦の相手を務めましたが、ここにまた一人、女子プロレスの明日を担う逸材が誕生しました。彼女は16歳とは思えないほどの落着きと風格を持った選手で、プロレス的にもすごいスキルの持ち主。日高郁人の英才教育を受け、食事から運動量まですべて管理されているのです。これは今までになかったニュータイプで、何よりも物怖じしていない。そして後楽園 . . . 本文を読む
紫雷イオ5周年記念大会で懐かしい藤田愛に会いました。藤田はすでに結婚しており、二人の娘の母でもあります。彼女はアルシオンの生え抜きで、3番目にデビューした選手でした。元々はJd'が売り出そうとしていた選手で、タレント活動と並行してプロレス・デビューさせたい意向でマスクを被ってセコンドに付いたこともあったのです。Jd'ではデビューできませんでしたが、単身でメキシコに渡りアマポーラを相手にデビューし . . . 本文を読む
そういえばアマンダ・ルーカスが堀田祐美子に勝利した際、次の対戦相手として東スポ紙上でDEEPの佐伯代表が「高橋奈苗、ゆずポン」の名前を挙げていた。実のところ、ルーカスが初戦を行う時に奈苗と試合が出来ないかというオファーがあったのだ。この時はスターダムが初の後楽園大会を控えていたこともあって、奈苗が総合格闘技に出場することは考えられなかった。でもオファーが来たのは事実だった。佐伯代表は話題性を重 . . . 本文を読む
堀田祐美子選手がアマンダ・ルーカスに敗れましたが、45歳での挑戦には敬服します。男性でもこの年齢で総合格闘技に挑む選手は早々いませんね。堀田選手ほどになるとプロレスのキャリアが汚れることなんてことはありません。対策はあったんでしょうが、そんなもの求める方が野暮というもの。ただ若く無いから、思っていても体が動かなかったのでしょう。いろいろ批判はあるでしょうが、何もしないよりも、やった方がいい。現にミ . . . 本文を読む
スマッシュのTDCホール大会に行きました。他団体の会場は久しぶりで、やっぱりいろいろ見ると感じるものはあります。たくさんの団体やフリー選手が参加しているのでバックステージはなかなか新鮮でしたね。和田京平レフェリーとは長話をしました。主にレフェリングについての講座みたいな感じで、プロレス論議をしていただきました。京平さんはやっぱり馬場さんの影響下にいたため、馬場さんの教えがプロレスの基盤になっていま . . . 本文を読む
新日本プロレスの大阪大会でIWGP王座が移動しましたね。24歳、凱旋帰国したばかりのオカダ・カズチカが昨年のMVPで最多防衛記録を樹立した棚橋弘至を破ったのです。今年で創立40周年を迎える新日本はなんて革新的な団体なのでしょうか。新しい選手をいいタイミングで起用し、選手もまたその期待に応える。だからこそ業界のトップに君臨しているのだと思います。正直、やってくれたなと感心しました。それに . . . 本文を読む