ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

音速

2013-11-13 22:02:05 | Weblog
いつもお昼になると並んでいるお店がある。
それなのに、今日は少し出遅れたにも関わらず空いていたので、
久しぶりに入ったら、どうもいつもと雰囲気が違う。

上海人がいない。周辺のオフィスで勤めているらしき人がいない。
いかにも外省から上海に出張に来ました、という雰囲気のグループや、
たまたま通りがかった人ばかりのよう。

なんかイヤな予感がしつつも、いつも頼む酸辣麺をオーダーした。

出てきた。
なんだか色が違う。真っ黒だ。
一口食べたら、スープの味がまるでしなくて、お湯に黒こしょうの粉が浮かんでいるだけ。
黒い色の正体は、黒こしょうだった。
が、香りはすでに飛んでいた。

酸(すっぱい)でもなければ、辣(からい)でもない。
麺はいつも通りの麺だったが、味がしない。
明らかに味が落ちた。味がないわけだから、落ちるも何もないけど。

なるほど。だから空いていたのか。

中国人の口コミ力というは、本当にスゴい。
一度悪い評判が立つと、ものすごい勢いで客足が途絶える。

で、その口コミをどこで仕入れるのかというと、
オフィスビルのエレベーターの中、とか、信号待ちしているとき、という感じ。
普段から、話し声が大きいからこその伝達力だ。

あそこの店はオーナーが変わって味が落ちた。
何曜日、あそこの店はサービスがつく。
あそこは風水が悪い。
あそこは移転と言っていたけど倒産だ。
何階にいる人は最近郊外にマンションを買った。

根拠のある話から、まったくのうわさ話まで、音速で広がっていく。
そして、新聞の報道よりも、よっぽど信頼される。

で、食堂の味が落ちた話を会社ですると、
「今ごろ知ったの~。有名な話だよ~」と言われるに決まっているので、
お昼休みの不完全燃焼については、誰にも話さないことにした。

偶然

2013-11-13 00:55:45 | Weblog
輪廻。
世の中は連鎖するものだ。

最近、あるスキルを持った日本人を上海で探しており、
どんぴしゃな人を友人に紹介してもらったので、今日は3人で飲みに行った。

話している途中で気がついた。
私たちは3人とも、祖父母の代で同じ姓の人がおり、
しかもルーツはかなり近いだろうということ。
たぶん5世代前くらいは、お互いに知り合いだったと思われる。

あの世代の恒として、終戦の混乱期によくわからなくなっている。
ガンダムのシャア・アズナブルのように「過去を捨てた男さ」みたいな人が
日本中にあふれていた時代だから、しょうがない。

でも、シャアもキャスパル・ダイクンを捨てきることができなかったように、
彼らもルーツを探る手がかりを、なんらかのかたちで遺している。
それを紡ぐ準備ができたのが、私の代ということだ。

そんな人が上海でひょっこり集まってしまうのも縁というものだし、
外地だからこその、この連帯感は、
私が「日本」という幻想に対して思っていた憧れの、ひとつのかたちだと思う。

日本に帰ると、全員が競争相手で、ギスギスする。
でも外地では、身を寄せ合って暮らす。
だから外地から見ると、日本というとんでもなく小さな島国で何を騒ぐ、と思うけど、
まあ、日本人というのは、そもそもそんなもんなんだろう。

そして、フィリピンのレイテ島が台風で壊滅的な被害に遭い、心が痛む。
レイテ島とその周辺の海域には、多くの日本人の先人たちが眠る。
レイテと聞いて、大東亜戦争を思い出さない日本人は、
歴史を奪われた民族だろう。

そもそも、大東亜戦争という言葉も、奪われた。

むかし、中国で元王朝が滅びるとき、明の朱元璋は、
皇帝一家なんて放っておけ、それよりも彼らの歴史書を積んだ馬車を抑えろ、と指令した。
歴史を持たない民は、いなかったことと同じだから、と。

その後遺症が、中国の内モンゴル自治区、
そしてソ連の衛生国家だったモンゴル国に繋がっている。
イエケ・モンゴル・ウルスは、自分たちの歴史を取り戻すまでに約5世紀かかった。

私たち日本人は、この情報化社会にあるわけだから、
ドッグイヤー並みに、1世紀くらいで自分たちの歴史を取り戻したいものだと思う。