ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

偶然

2013-11-13 00:55:45 | Weblog
輪廻。
世の中は連鎖するものだ。

最近、あるスキルを持った日本人を上海で探しており、
どんぴしゃな人を友人に紹介してもらったので、今日は3人で飲みに行った。

話している途中で気がついた。
私たちは3人とも、祖父母の代で同じ姓の人がおり、
しかもルーツはかなり近いだろうということ。
たぶん5世代前くらいは、お互いに知り合いだったと思われる。

あの世代の恒として、終戦の混乱期によくわからなくなっている。
ガンダムのシャア・アズナブルのように「過去を捨てた男さ」みたいな人が
日本中にあふれていた時代だから、しょうがない。

でも、シャアもキャスパル・ダイクンを捨てきることができなかったように、
彼らもルーツを探る手がかりを、なんらかのかたちで遺している。
それを紡ぐ準備ができたのが、私の代ということだ。

そんな人が上海でひょっこり集まってしまうのも縁というものだし、
外地だからこその、この連帯感は、
私が「日本」という幻想に対して思っていた憧れの、ひとつのかたちだと思う。

日本に帰ると、全員が競争相手で、ギスギスする。
でも外地では、身を寄せ合って暮らす。
だから外地から見ると、日本というとんでもなく小さな島国で何を騒ぐ、と思うけど、
まあ、日本人というのは、そもそもそんなもんなんだろう。

そして、フィリピンのレイテ島が台風で壊滅的な被害に遭い、心が痛む。
レイテ島とその周辺の海域には、多くの日本人の先人たちが眠る。
レイテと聞いて、大東亜戦争を思い出さない日本人は、
歴史を奪われた民族だろう。

そもそも、大東亜戦争という言葉も、奪われた。

むかし、中国で元王朝が滅びるとき、明の朱元璋は、
皇帝一家なんて放っておけ、それよりも彼らの歴史書を積んだ馬車を抑えろ、と指令した。
歴史を持たない民は、いなかったことと同じだから、と。

その後遺症が、中国の内モンゴル自治区、
そしてソ連の衛生国家だったモンゴル国に繋がっている。
イエケ・モンゴル・ウルスは、自分たちの歴史を取り戻すまでに約5世紀かかった。

私たち日本人は、この情報化社会にあるわけだから、
ドッグイヤー並みに、1世紀くらいで自分たちの歴史を取り戻したいものだと思う。

祈り

2013-11-12 00:08:42 | Weblog
11月7日、亡き母の誕生日より、不思議なめぐり合わせが続いている。
そして、一番素晴らしかったのは、ようやくすべてのピースが集まり1つの絵になりつつあること。
それを実感していること。

私にとって、我が家の最大の謎は、
なぜ父も母も離婚したくなかったのに、離婚したのか、ということだった。

ずっと私は、両親が離婚したのは自分のせいだと思ってた。
だから、私は自分がずっと赦せなかった。

でも、両親がいろんなときにつぶやいた一言を、いまふと思い出す。
そして、それらを繋ぎ合わせてみると、
彼らは無意識のうちに、私を守るために危険を事前に察知し、
離婚したんだと思えるようになった。

離婚してすぐに、父はすごい多額の借金を負った。
家に取り立ての人も来たけど、離婚していたから、あの家を手放さずにすんだ。
そして成人してから、最後のローンは私が返して、ちゃんと手元に残った。

母は、私が父を受け入れるまで、植物状態で14年も生きた。
その間、福祉を利用することによって、私はまがりなりにも普通の生活ができた。
そして、母は安心して逝った。

母が亡くなる少し前から、私と父は一緒にお酒を飲むようになった。
20年ぶりとは思えないほど気があって、いろんな話をした。
そして父は、いくつかすごく不思議な体験を話してくれた。

そうした父の話のひとつを、11月7日の友人との語らいで、偶然にも思い出した。

先日、バンコクの暁の寺に行き、『豊饒の海』を思い出してから、
「また会うぜ、滝の下で」という清顕の言葉が、頭の中でグルグル回っていた。
何かにめぐり会う前兆だと思った。

そんな気持ちからか、バンコクの街角では、
毎朝どこかのおじさんが丁寧にお清めしている仏像に向かって、
真夜中、自分でも気づかないうちに五体投地していた。

心から祈るというのは、気持ちがいい。

両親は、もともと私を産み育てるために一緒になって、
そして、別れてなんかもいなかった。
私たちの繋がりは、そういう次元じゃなかった。
彼らは、単に私を失わないことだけを願っていただけだったんだ。

縮図

2013-11-10 12:49:34 | Weblog
はじめて、中国人同士の結婚式というのに参加した。

本当は、朝はやくから、新婦さんの家に新郎が訊ねて行って、
嫁にくれだ、いやお前なんかにやらん、とかいう形式的な押し問答をして、
新居に連れて行って、そのあと披露宴で・・・とかいう手順なんだけど、
そもそも地方出身の人たちには、そんなことをする実家は上海にないので、
いろいろと適当な変更が加えられるらしい。
まあ、そのへんは中国的ないい加減さが上手い具合に噛み合っている。

私は朝から行う家まわりの儀式は、爆竹がつきものなので遠慮し、
(これ以上PM2.5を吸い込むのはいやだ。ただでさえ最近の上海は数値が高い)
午後の「結婚式」から参加した。

どうやら、キリスト式にやりたかったようなのだけど、
新婦も牧師もおらず、バージンロードを新郎新婦が腕を組んで歩いてきたので、
えーそうなんだー、と思った。
要は気持ちの問題なので、「病めるときも、健やかなるときも・・・」的な宣誓を、
自分で読み上げていたので、
自分の言葉でする約束なのだから、なるほど、ずっといいじゃないか、と思ったりもした。

が、とにかく段取りが悪い。

式が始まる時間になっても、受付もできていなければ、
みんなが待っているところで、新郎新婦がリハーサルをやっている。
係の段取りが悪く、新婦が怒鳴っている。
ついでに、式の途中で電源が落ち、音楽も進行役の音声も消えた。
でも、みんな驚かないし、誰も謝らない。そんなもんだと思っている。

そしてお祝儀は、本人に渡すものなので、
ウエディングドレス姿で、新婦は紅包と呼ばれる赤いお祝儀袋を持って歩いている。

結構いい別荘地の一画にあるパーティ用の場所でやったのだけど、
やっぱり、上海は上海だった。
これで、式と披露宴には日本以上のお金をとるのだから、いい商売だ。

昨日は、披露宴におそらく100人弱集まっていたのだけど、
中には、外資企業で働く40歳営業マンで年収1億円の人もいれば、
文革で雲南省に下放され、そのまま雲南省に戸籍をうつした
上海語と雲南の方言しか話せない上海人のおっさんとか、
おそらく、どちらかが整形手術をしてしまったがために、
顔がまったく似ていない姉妹とか、いろんな人がいた。

庶民である上海人の友人は、ひたすら、
「上海で結婚するというのは、本当に大変なことだよ」とつぶやいていた。
去年、子どもが生まれ、なかなかなプレッシャーらしい。

上がずば抜けていて、下もまた見えないのが中国。
上の彼らは、使い切れないほどのお金をもつ。
中間層のおそらく10億人くらいの人たちは、日本人の若者とほぼ同じ生活水準にある。
下は、それこそ暴動でも起こしたくなるだろう。

中国の将来性というとき、日本人は中間層に目を向けるけど、
欧米は上の層しか見ていない気がする。
それで急に中間層を見て失敗したのが、iPhone5cなんだろうと思う。
そもそも中国人も、中間層向けの商品は国内メーカーのものでいいと思っている。
そういうことなんじゃないかなあ、と。

母を偲んで

2013-11-08 00:45:40 | Weblog
きなくさい事件のせいで、ネットの繋がりが本当に悪い。
日本のサイトが開きにくいだけじゃなくて、
中国国内のチャットサービスなんかも、不安定だ。

友人の説によると、これらの事件はすべて
アメリカが、カゲで糸を引いているのだとか。
911も自作自演だし、311も地震攻撃。

そして、アメリカだったらそのくらいやりそうだよな、
だって、真珠湾攻撃も仕組まれてハメられたわけだし、と思う。

まあ、いずれにせよ、いろいろと不便だ。
それに、日本のスマホがない今、非常に不安だ。

今日は母の誕生日。
命日の約1ヶ月後に誕生日がある。
生きていれば今年68歳。

私にとっての母は46歳で停まっているから、
68歳の母なんて、想像がつかない。
でもきっと、美しくて、冗談ばかり言う、
頭の回転が速い母だったことだろう。
そして、68歳になっても、趣味で因数分解を解いたりしていたのだろうか。
母は数学的で、そして芸術的だった。

母を偲んで、カサブランカとグラジオラスを買い、部屋に飾った。
狭い部屋いっぱいに、花の香りがしている。
「As time goes by」という気分だ。

あれから、もう22年も経った。
でも、元気だった頃と同じように、母を思い出さない日は1日もない。

今日も、友人と話していたときに、
同じ会話を、むかし母としたことを思い出した。

母との思い出では、そう言うことが、よくある。
まるで私の人生を先取りしたかのような会話が、幼い頃からよくあった。

あの人は、私にとっての文殊菩薩だった。

ツボがわからん

2013-11-07 00:00:37 | Weblog
20年ぶりに西安に行く予定を立てているんだけど、
なんだかきな臭い感じがする。
政府機関には近づかない方がいいんだろう。

おかげでまた、日本のサイトが開きにくい。
国外退去になることを想定して、あまり物は買わないようにしておこう。
身軽が一番だ。
といっても、すでに、スーツケース1つでは帰れない量になっているけど。

それにしても、中国人のスタッフは、
表面だって、この話題に触れる人はいない。
知っているけど、口に出さない。
みんなチャットなどでやってるのだろうか。

日本で、もしどこかの県庁または警察の前で爆発、なんて言ったら、
その話題をおかずに、
いくらでもご飯が食べられちゃうくらいに盛り上がると思うけど、
中国人は「ああ、知ってます」くらいな感じだった。

上海に住んでる80年代生まれの若い世代だから、そんな反応なんだろうか。
それとも保身だろうか。

こういうときの中国人と、お笑いを見て笑っているときの中国人は、
ツボがわからん。

ブランド

2013-11-05 23:36:56 | Weblog
やる気になると、そこそこはやいのに、
やる気になるまで、なかなか仕事が進まない。

リードタイムの短縮は、アウトプットが必要なすべての職種にとって、
重要な課題だと再認識した。

まあ、そうは言っても、気が乗らないときって、やっぱりあるんだよね。

一週間に二回も、しかも同じメンバーで焼き肉を食べるなんて、
こんな贅沢、というか、カロリー過多をどうかと思う。

すべては前回、行きたかったお店に行けなくて、
不完全燃焼だったせいなんだけど、
ここで「低カロリーにしよう。ブタの五花肉」と言うことに、
なぐさめを求めてはいけないと思う。

今日、それでもちょっとよかったのは、
「焼き肉に行く人~!」と言って、中国人の同僚が手を挙げてくれたのと、
焼き肉を食べながら、タイのタイ人スタッフとLINEで連絡をとったこと。

写真を送ったら「私も飲みたい~!」という返事が来た。日本語で。
そして、周囲からは、
「いつの間に、タイ人の美人さんとそんなに仲良くなったの!」という盛り上がりで、
なんとなく、国境なんて本当に関係ないと思えた一瞬だった。

そして、アジアにおける日本人の役割って、
こういうところにあるんじゃないかな~と思った。

結局は、大東亜共栄圏の考え方の焼き直しだし、
たぶん、むかしも、現地で進めていた先人たちは、私と同じ気持ちだった。

でも、島国にいる人たちが、なかなか理解できなかったり、
まあいろんなコンプレックスが相俟って、めんどくさいことになった。

そして今日、久しぶりにアンドロイドの端末を使い、
言語切り替えが面倒だという話になった。
というのも、香港で売っている大陸向けのサムソン製ギャラクシーで、
日本語を呼び出すのが、非常に面倒だった。

中国人と「韓国は日本が嫌いだから、わざとだよね~」と冗談を言うほどで、
中国人が「だから韓国人嫌いなんだよね~」と言い始める始末だった。

国家はブランドだ。
そんなことを、つらつらと考える一日だった。

これも外来語

2013-11-05 01:06:04 | Weblog
中国人は、日本人に比べると露出度の高い服を着ているし、
下着が見えても平気でいるわりには、温泉は嫌がる。
たとえ会社の同僚であっても、他人。
家族以外の人と、裸で一緒にお風呂に入るなんて、信じられないんだそうだ。

個人差はあるのだろうけど、会社の同僚は、
若い人もみなそう口々に言う。
ただ、温泉には興味があるらしく、日本の温泉はのぞいてみたい、と。
でも、ただ湯船があるだけだから、面白くないだろう、とも言う。

自然のなかでのんびりと、なんていう感覚は、あまりないらしい。
まあ、予想どおりだけど。

ちなみに温泉は、中国語でも温泉と書き「ウェン チュエン」と読む。
結構いろんなところに、中式温泉はある。
中式の場合は、みんな水着を着て入るらしい。

日本の風呂文化は独特だろうと思うし、
別に、中国人の同僚と一緒に、お風呂に入りたいとも思わない。
ただ、みんなが日本の温泉に興味があるらしいことに、興味がある。

さて、そろそろ会社恒例の朝礼当番が回ってくるので、ネタを考えている。
回数を重ねるごとに、話す内容は減って行き、
ついでに中国語なので、準備するのが面倒に思えてくる。

もう、十分すぎるほど、ふだんから中国語で話しているので、
改めて話したいことなんてないし。
話したいことは、中国人のみんながドン引きするようなネタばかりだし。

しょうがないので、かれこれ10年前に考えたキャリアプランの話をしようかと思う。
そこで、ふと気になったのが、「出家」を中国語でなんて言うのか。

辞書を引いたら、なんてことはない、中国語でも「出家(チュージャー)」だった。
そうだ。むかしの外来語だよね、これは。

ということで、華厳経もそのまま「ホア イエン ジン」と中国語読みすればよく、非常に便利だ。
わざと、華厳経を「mahaa-vaipulya-buddhaavataMsaka-suutra」と言ってみたところで、
中国人は、仏教経典に対する知識がほとんどないため、きっとこの冗談のツボがわからないだろう。

とりあえず10年前の目標では、私は今ごろ出家しているはずだった。
酒飲んでる場合じゃないなあ。

歴史観

2013-11-03 15:55:26 | Weblog
相変わらずネットが重く、切れがちだ。
北京の事件の余波が、まだ続いているらしい。
いいかげん、ネット規制なんて諦めればいいのに。

おそらく、私はいま社内で、一番上手に中国人の面子をつぶす人間だ。
こんなことを言っても、決して偉くない。自慢できない。

これは、面子のありかがどこにあるか、という問題で、
もし日本人も中国人も、お互いがちゃんと自分なりの歴史観にそって話をできるなら、
どちらの面子もつぶれないですむように話せる自信はある。

でも、中共が作った歴史も歴史なら、日本人が忘れることにした歴史も、
これまたアメリカの思うつぼで、非常に情けない状況になっている。
そして、長いものには巻かれようとするのが、国籍を問わず、人間というものだし、
そもそも、外のことをまったく知らなかったら、自分なりの歴史観なんて、
持つこと自体が難しいだろう。

特に、白人に植民地化された記憶があるアジア人にとって、
物質的な豊かさをほこることは、非常な魅力だ。
日本人なんて、戦後これだけ経って、まだ自立した国になっていないことを
すっかり忘れて、アジアで偉そうにしている。
中国人も成金主義をひけらかすようになった。

日本人は、アメリカ様がジャップなんかのために、
本気で命をはってくれるなんて、心から信じてるんだろうか。
そうだとしたら、日本人は、敗戦に懲りず、相変わらずめでた過ぎる。

日本にとって、国防上最大の危険が訪れるのは、
中国の共産党が消滅した時だろう。
いまは反共のためにアメリカは日本を守る意味がある。
でも、相手がそもそも共産党ではなくなったら、その必要性はなくなるだろう。

そのときに残るのは、共産党によってつくられた歴史観を信じている中国人だ。
彼らは、アメリカが引いたあとの日本を攻めることに対し、
なんら戸惑いを覚えないかもしれない。

人民解放軍が侵犯するのが脅威なんじゃない。
解放軍であるかぎりは、まだマシなんだ。

こんな話を大真面目に中国人としてみたいんだけど、
いまのところ、周囲に乗ってくれる上海在住中国人の友人はいない。

昨晩読んだ本。『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』
いまだに日本人は、ビジネスや外交で「誠意を見せれば何とかなる」と思っているけど、
誠意だけじゃどうにもならないことって、結構多いと思うけどなあ。

空降兵

2013-11-02 22:22:26 | Weblog
バンコクの出張から戻り、その後も飲み会が続いていたので、
どうやら、すごく疲れていたらしい。
今日は、昼まで寝てしまった。
どれでもまだ、身体が重い。

出張中にたまった上海の仕事を持って帰ってきたのだけど、
今日はやめた。明日にしよう。

小学生の頃、母が、算数は引き算が一番大切だと言っていた。
そして中学生になると、数学では因数分解がすべての根っこだと言っていた。

ようやく、その意味がわかってきたのは、
中国人と一緒に仕事をするようになってから。

いま、部下は全員中国人だけど、
そのなかで引き算で考えることができる人は、あまりいない。
いい大学を出ている人でも、基本は足し算で考えている。
これと、これと、これをやったら、こうなる、というように。
そして、その結果が自分にとってマイナスのイメージだと、
それをやらないですませようとする。

ある意味、賢い。

でも、仕事のほとんどは理想的な姿があって、
それを実現するには、前倒ししてこれとこれをやる、という考え方をすると思う。

どちらがラクかというと、足し算式で、逃げるのもありの方がラクだろう。
日本人は、引き算をしすぎるから、常にマイナス評価で、
自分に自信がなく、他人にも厳しいと言えるかもしれない。

アメリカの場合は、トップの人たちの因数分解が非常に巧妙なため、
下の人たちは足し算しか出来なくても、組織や仕組みで見たときに、
上手く回るようにできているように見える。
少なくても、アメリカ系企業の人事評価制度を聞いていると
そんな印象を覚える。

組織力は日本のお家芸のように言われることもあるけど、
それは精神論にすぎず、
本当の組織力はアメリカのほうが一枚上手に思う。

先日、中国人と組織の話をしていたときに、
私たち日本人と中国人の意見が一致した点があった。

それは、日本企業の一番悪いところは駐在員。
駐在員は「空降兵」と呼ばれている。落下傘で降下する兵士のことだ。

つまり、専門知識もあまりなかったり、中国のことを全然知らなかったり、
現地スタッフをまとめる力量もないくせに、
落下傘で現地法人に降下してきて、上に居座ったと思いきや、
日本本社の顔色ばかり見ていて、ついでに数年で帰ってしまう。
そんな人と一緒に仕事がしたいなんて、思うわけがない。

在上海のアメリカ系企業に勤めている日本人の友人が、こんなことを言っていた。
毎月一回、全社員が集まる親睦会がある。
会議室には軽食やお酒が出ていて、社長がスピーチをして、みんなで歓談する。

社長は中国人だけど、アメリカ系企業なので、英語でスピーチをする。
それを中国語に通訳するのは、アメリカ人で中国の大学を出ている白人だ。
アメリカ人的なウィットがきいた通訳なので、聞いている中国人は大爆笑。
もちろん働いている中国人も英語はできるわけなので、
そのアメリカ人の訳が、いかに気が利いているか、全部わかる。
それを、全部アドリブでやる。
こんな演出、日系企業にはなかなか無理だろう。

自分のファンをつくる、という点で、
日本をはじめとするアジア人は、欧米人に数歩遅れていると思う。

女言葉

2013-11-01 01:06:32 | Weblog
バンコクから戻って以来、どうも中国語が下手になったように思う。
おそらく、中国人と話すための回線が切れ気味なんだろう。

中国人は、タイ人を結構バカにしているけれど、
「バンコクの人は、もう3Kの仕事なんてやらないし、上海人みたいだよ」と言ったら、
地方出身の中国人が、すごーくイヤそうな顔をしたのが印象的だった。

中国人といっても、いろいろな人がいて、
私の周囲の中国人女子は、日本人好みのかわいい子が多く、
きっと駐在員のおじさんたちが見たら「天国」と言う環境だろうと思う。

実際、彼女たちにかわいいモードでいてもらうためには、
こちらもそこそこ、というか、かなり気をつかわなければならないわけで、
それなりの努力が必要だ。

若さと美しさをキープするために、女性は真剣と言うけれど、
世の中、女性と同じくらい男性も努力して、
はじめて女性は美しくあるんだと思った。

今朝、バスに乗っていたら、
降り口の隣に座った上海人のおじさんが、
おもむろに靴を脱ぎ、目の前の手すりに足を乗せたときには驚いた。
そして、この人の奥さんは、美しくないだろうと確信した。
それこそ、中国語で「奥さん」を指す「老婆」から受ける印象そのものというやつだ。

そう言う意味では、女言葉がある国の女子は、
デフォルトで可愛く見える。
私もちゃんと日本語の女言葉を使おう。