豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

私見

2008年03月02日 | Weblog
仕事をしていると、そのほとんどは、自分の至らなさを発見する汗汗、冷や汗っの日々なのですが、時々、はたと少し高いところに登れたのかも・・という満足感に似たような思いを感じることがあります。
物忘れ、感違い、段取りの悪さ・・いろんな障害を乗り越え、よろよろ歩きながらも、時折そういう丘に登れると、しばし吹き渡る風に身を任せ、眼下の景色に心を遊ばせたい・・ような心境にかられます。

階段のフラットな面をあてどもなく一歩一歩歩みを進めていくと知らないうちに次のステップに上って行ける事もあるのだなあと。それが、かなりの年齢!?になっても可能だということ。自分の能力が衰えていくことを憂い、成長の望めない先細りの将来を悲観していた時に、どこからともなく現れた淡い希望の光。
まだまだ行けるかも・・?

そうです。まだまだ行かなくちゃ行けません。
日々の薄皮のような積み重ねが、やがて単なる垢ではなく「身」になっていることもあるのです(多少?意味不明ですが)。

新しいことはなかなか頭に入って来ませんが、まったく取り込み不可能ということもなし。
ざるに投げ入れるが如し・・と思っていても、いつかざるも目詰まりを起こし、入れたものが引っかかるようになることもあるでしょう。そうすればしめたもの。少しずつ入れていけばざるも壊れずに中身を貯めることができそうです。

すなわち、少しくらい年を取っていても、人間、やる気になればそれなりに成長していけるのではないでしょうか。少なくとも進歩を諦めることはないのではないでしょうか。頭の柔らかい若いうちに将来の準備を万端に整えておければそれに越したことはないのでしょうが、いろんな状況でそれが可能でなかったとき、ある程度の年齢までは、自分からすでに遅しと早々と諦めることもないのだと思います。

家庭の中で育まれる幸せはかけがえのないものですが、人とのかかわりの中でやりがいのようなものを感じる充実感もまた捨てがたいものです。仕事と家庭とのバランス。その両方をうまく保っていくことは至難とはいえ、不可能と諦めるばかりではふがいありません。

女性の場合、多くは出産・子育て(これは、男性にも?)という、どうしてもそれに主に時間を割かなければならない時期があります。できれば、うんと若いうちに子どもを持ちたい人は子どもを生み育て、早くに手を離した後に仕事に復帰する。
育児に専念したい気持ちに後ろ髪を引かれながら、保育園と家と職場をせわしなく飛び回っていくのではなくて、子育てに取り組みたい時は仕事を辞めるか中断してそれに専念する。そして、ある程度子どもが大きくなったら、職場に復帰して、あらためて教育を受けて自分の能力の大半を仕事に注ぐ。そういう配分で生活できたらと、空想するようになりました。私の場合、かなり年齢が上がってから結婚し出産したので、中途半端な時間配分になってしまいましたが、極論すれば10代での出産も将来の有効な時間活用という点では望ましいのかもしれません。とはいえ、パートナー選びに費やす時間も大事な時間なので、無理な計画は単なる空論でしかありませんが・・。
とはいえ、そのような時間の使い方が即可能になるとは思えません。周囲の環境があってこそ個人がそういう生活のパターンを選んでいけるのでしょう。その環境が整っていない状況では、まだまだ個人レベルでその状態を作り出さなくてならないのでしょうが、若いうちから完璧に生活設計ができているとも思えません。
できれば、企業の中で、何らかの中断の後に職場復帰することが可能な勤務体系が整えられるていくことが手っ取り早い解決方法ではないかと思います。売り手市場といわれるこの時期、学生にそういう観点からアピールするところが出てきてもいるようです。けして、子育ての終わった(本当は、死ぬまで気にかかっていくのですけど)女性は、教育しがいのない人材ともいえません。
日々の大半は、ため息をつきながら仕事をしている身なので大きなことは言えませんが、力は秘めています。再教育システムを整備して、有用な人材として活用されるべくどうぞ前向きにご検討ください。
って、・・・・誰に向かってお願いすればいいのかしら。