豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

「独り言(もしくは「奇遇について」)」

2008年03月30日 | Weblog
一昨日。大江健三郎さんの著作を読み終えた日、まさしくその日にご本人にお目にかかりました。・・・といっても、テレビのニュースの中でですけれども。
そういう巡り合わせは、何かしら示唆を含んだものとして解釈する傾向があるワタクシといたしましては、偶然とは思えないわけであります。ニュースは、氏の「沖縄ノート」に関する裁判の様子を伝えるものでした。
読了した本は、外見から漠然と抱いていた大江さんへのイメージを払拭させるのに十分なものでしたが、裁判で取り上げられた著作からもまた彼の違った面を受け取れるのではないかという予感がいたします。

それにしても、かなり以前から結構本は身近にあったはずですし、学生時代はかなり生真面目な本を手にしていたと思うのですが、その範囲、選択のしかたの狭さに最近になってため息をついています。その時に興味のあったものに手を出していたら、何も系統立てて身に着けることが出来なかったというべきでしょうか。
今日も、デパートに買い物に行ったついでに併設の書店に立ち寄り、しばしの寛ぎの時間を持ちましたが、果たしてこの文字の群れが整理整頓されて私の中に有効にしまわれてきたのか・・大きな疑問です。何気なく目にした本に「読む力」の大切なこと。それが生きる力に繋がるという記述を見つけました。じっくり読んで見たいと思いましたが、家で待っている「積読」の山を思い断念しました。「生きる力」ね・・・。思うに、物語で出会った人の人生を追体験することは、一人の人生を生きることしか出来ない生身の人間には、他者を思いやる手がかりとなり、それは自分以外の人への理解にも繋がることでしょう。でも、結局のところ、人生にはどうにも出来ないことがたくさんある。人は本当に人それぞれ。自分とは違う・・ということを学ぶだけのような気もします。これは、諦めを学ぶということなのでしょうか。

とはいえ、いろんな機会に普段は巡り合えない方々と会える、言葉を交わせるということは、非常にありがたいことだとも思います。塾長さん、ビーバーさん、ゴジ健さん、ボネットさん、ワールドさん、hanaさん、ともやさん、クマノミさん、星ちゃん、キャベタマさん、デコさん・・・、みたぽんもそうだね。期せずして、ネットで巡り合い、言葉を交わすことが適った方々とのご縁を本当に不思議だなあと感じる今日この頃です。共感、行き違い、いろいろな感情も錯綜してきましたが、どの方にもみな何かしら懐かしい感謝、そんな気持ちが湧いて来ます。できれば、本当にお目にかかりたいとも思うほどです(実際、お目にかかり、共有した時間が何故か濃密だった方も現実にいらっしゃるわけですが)。
でも、それは記事やコメントの何やかやを確かめたり真意を探ったりすることではありません。ただ親しみを込めて感謝の目礼をすることが出来れば・・と、そんなことを思うのであります。

こんな中途半端な回に、こんなことを書いている私も私ですね。自分でも苦笑してしまいますが、特に何かを思ってのことではありません。冬の生活からちょっと一息。春になると何かしら気持ちがあちこち出歩くようです。