豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

クイズ番組

2008年04月21日 | Weblog
このごろ、とてもクイズ番組が多く放送されるようになったような気がします。
昔も人気のあるクイズ番組があり、「クイズダービー」や「世界まるごとハウマッチ」という番組は毎週楽しみにしていた大好きな番組でした。
もちろん、最近の番組も面白いものがたくさんあります。
でも、かつてのクイズ番組がいわゆる学校で勉強する内容以外の雑学と呼ばれる種類の知識を競うことが多かったのに比べると、このごろの番組は、学校で習う内容がそのまま問われているような問題が多くみられるように思います。

タレントさんにあらかじめ課題を予習してもらって、その成果を試す番組もあります。お笑いタレントさんで高偏差値の学校の出身者がそのミスマッチともいえる学力の高さを披露して尊敬を集めたりもしています。
学力を得ることが、良いこと、大切なことだということを繰り返し画面で見せられているような気さえします。中で、お馬鹿キャラと言われるタレントさんも出現して人気を集めていますが、それもあくまでもお馬鹿は恥ずかしいと言うスタンスで振舞われているようです。可愛らしいけど。

少し前は、学力のあることは決して万能にかっこよいものではなかったように思います。渋谷でガングロの女の子たちが闊歩していた頃。「私達、馬鹿だから~~っ」と開き直って、勉強に勤しむ人たちとは違う価値観で生きていることをかっこいいとしていた時期もあったように思います。それが、そのガングロスタイルが廃れてきたのと平行するように、勉強が出来るのもかっこいいとテレビの画面でも認められるまでに復活してきたと言うべきでしょうか。ネプ投げなどでかなり顰蹙をかったネプチューンも、かつての勇姿?もなんのその、自らのタイトルの付いたクイズ番組でご活躍中です。学力は誇ってよいものに返り咲いたようです。

「生きる力」。
これを授けんとして改革を試みた結果、かなりの学力低下を招く危険性が発生し(たのか?)、方向転換が図られているようです。目標は正しかったとしても、その方法が頼りなかったのでしょうか。詰め込みの学力が否定され、実学が重視され、それが地域との連携や職場体験の推奨に繋がっていったのだと思います。でも、咲いている花を眺めに行けば綺麗な花の咲かせ方が自然にわかるわけではなく、やはり土壌を整え、適切な蒔き時、肥料のやり時を見極めて世話した後にやっと綺麗な花を見られるかもしれないということに思い至ったということなのでしょうか。「生きる力」を養うことが否定されたわけではありません。その手段が再考されたということですね。

方向転換が難しい公の改革。それに先立って、手近なメディアで即効性を期待したのが、最近のクイズ番組の隆盛であるとするのはうがち過ぎでしょうか。そうではなくて、単に高画質高性能のテレビが、かつて家族で一台のテレビを見ていた視聴形態を復活させ、それにもっとも適しているのが多様な世代に受け入れやすいクイズ番組であったと言うことなのかもしれません。
でも、電波は所詮国のもの。いくつかの不祥事で、管理側からお灸をすえられたテレビ局に、それとなくこういう番組が望ましいですね・・と言う提示があったとしても不思議はないような気もします。(それとも、本当に単純にクイズが好きなだけなのかも・・?)

学力を細やかにつけるということは、とても重要なことであり、生きる力の根本ともなることだと思うので、昨今の風潮は歓迎することはあっても否定しようとは思いません。ただ、教養や知識は、まず個人が必要と思い、個人のものとして活用するべく積み重ねられるものだと思います。国家のデザインの中に都合よく配置されるために獲得するものではないはずです。かつて、企業の中で従順に暮らす術を身につけるような教育と言うものもあるのかもしれないと感じたこともありました。

メディアの及ぼす力は、思いのほか大きいものでしょう。世論操作ということも、密かに行われていることは、想像するに難くありません。それを見抜く力、それも大事な生きる力。その基ともなる基礎的な学力を身につけることをよしとする風潮はまことに喜ばしいと素直に思うことにしましょう。
でも、いまさらながらですが、学力ってなんでしたっけ・・?
読み書きそろばん?
とりあえずは、DSを手に入れて、漢字の練習でもしましょうか・・。
そうそう、このソフトもなんだかお勉強関連が多くて不思議だったのですよね。
あれこれ詮索しましたが、結局のところ、日本人ってただただ勉強好きの勤勉な人たちなのだということなのかもしれませんね。