豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

若いうちに

2008年04月24日 | Weblog
是非、インプットを!

先日、クイズ番組についてあれこれ考えていたことに、塾長さんが感想を書いてくださっていました。
漠然と眺めていたことも、身近で小中高の子どもさんと接していらっしゃると同じものを目にしていても感じ方は異なり、憂いは切実なのだなあと思わされたことでした。お馬鹿キャラのタレントさんを鑑とはせず、自分の領分を全うして欲しいと言う願いは親身なものですね。
確かに、その時分時分で各自に与えられた課題に面と向き合うことは、それを達成して行く過程で各自が鍛えられ、その結果として身につくものは誰にも盗まれることのない自分の財産となるものでしょう。

と、ここでことさら書き連ねることよりも、なによりも・・・
若いうちにいろんなこと叩き込んでおく方が、便利さ~~~ってことなのですが。

もう、本当に哀しいことに、この年になると(と言っても、さほどのことはありませんが・・)新しいことが、脳みそに刻みつかない!のです。
驚いたり、感心したり、発見したりということは、それほど減らない(今のところはね)のですが、それをきちんと覚えていられないのです。
ほ~~っと感動したことは、記憶にあるのですが、なんということでしょう、その内容が朧月夜!まったく、明確に蘇えってこないのです。そうだよね!って深く頷いたことは覚えているのに、内容が思い出せない!と言うのは中々寝覚めのわるいもので、どうも落ち着きません。よく、ご飯を食べたことさえ覚えていれば、その献立まで思い出せなくてもいいよといわれますが、どうもそれも情けない。

しかしながら、十代の新鮮な脳みそを保有していた時は、そうではなかった(ちょっと怪しいけれど)はずです。暗記科目には苦労はしましたが、それでも今より格段に歩留まり率は良かったのでしょう。そんな若い脳みそに、どんどん情報をインプットしておかない手はありません。失って始めてわかるありがたさ・・これもその一つですね。さらに若かった中学受験の前に機械的に叩き込まれた様々な雑多な知識は、今もいろんなものを理解する礎になっているようです。中学受験についてはそれぞれ思いはあるかと思いますが、あの柔らかい脳細胞に、機械的に多量の情報を流し込むと言う点においては、とても適切な時期だったのではないかと、ほぼその残滓で今も生活しているような身としては思ってしまいます。関東平野は利根川、庄内平野は最上川!とかですね。

ちなみに、うちの娘たち二人は、ある意味母の翼をかいくぐり?中学受験を経なかったせいか?まったくそのような細かい情報にはアバウトです。時々頭をかかえることもしばしなのですが、これは私の反省点でもあるわけですね。何も中学受験に委ねずとも、もっと他に方法もあったはずなのでしょうが・・・。