豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

白い犬

2008年03月12日 | Weblog
犬に見られていたような気がして振り向いたら、いたのは、これ。



今日やっと、写真に収めることが出来ました。いつもは駆け足で通り過ぎるのでシャッターを切る余裕はないのですが、今日は若干時間があったので、パチリ。

目が取り入れた情報を脳が解析して、見えているものが何なのかを把握するのだそうですが、この朝、目から入った信号が伝えたものは、確かに「犬」でした。
でも、そんなところに犬はいないはず・・・。
で、振り向いて確かめると、そこにいいたのがこの装置。電気かガスの検針計でしょうか。
ぷぷっと笑ってしまいました。
確かに、パーツ的には犬の部品が揃っているように見えます。

白い犬といえば、ソフトバンクのCMのお父さん。
あのCMは、シリーズものになっていて、今は上戸彩ちゃんに「お父さん、頑張ってるねえ」と誉めてもらっているバージョンですね。
それとともに、最近こちらではJR西日本とのコラボレーションなのか、瀬戸内海の名勝「鞆の浦」を旅するお父さんが登場しています。窓から海を眺めてしみじみしたり、樋口可南子お母さんに携帯電話で「どこほっつき歩いてるの?」と叱られたりしています。このお父さんの声は、北大路欣也さんが務めていらっしゃいますが、この夏、北大路さんは、劇団☆新感線の舞台に出演されることになっています。きっと、この白い犬のCMのパロディもあるのではないかな・・・と、かなり期待しています。

シリーズ物のCM。このソフトバンクのコマーシャル以外では、エステー化学のCMも楽しいです。こちらは数年前の「新選組!」で、不思議な存在感を醸し出していたかまきり将軍が主演です。現代の服装なのに何故か頭に乗せているちょんまげ。どんどんバージョンアップしていますが、先ごろ、カマキリ将軍はごく一般的なサラリーマンでありながら社交ダンスもたしなむ人物と判明しました。こちらの行方も楽しみです。

三人乗り

2008年03月10日 | Weblog
少し前まで、お行儀良くプランターに納まっていたパンジーですが、このところ盛り上がってもりもりもり~と溢れるようになってきました。
日差しも強まり、春めいてきました。植物の反応って、正直ですね。



さて、自転車の三人乗り。といっても、子どもを前のかごと後ろのかごに乗せることです(かつては、背中に背負っている赤ちゃんを入れて四人乗りなんていうツワモノもいらっしゃったような・・・)が、安全性に問題ありとして見直そうという動きがあるようです。
自転車くらい好きなように乗せてよ・・と思いますが、道路交通法にちゃんと載せられている乗り物ですからそういうわけにもいかないのでしょう。
かくいう私も、自転車には大変お世話になりました。荷物を満杯に積んで子どもたちを前後ろに乗せて、すいすいと道を走ったものでした。買い物をしてその荷物を持って二人の幼児を伴って道を歩くのは大変です。それを見事に解決してくれたのが、自転車でした。毎朝、保育園に送っていく交通手段も自転車でした。慌しく園に乗りつけ、子どもたちの手を引いて教室に連れて行き、引き返してバス停まで爆走するのが朝の習慣でした。
二人乗りさえ禁止されているのですから、原則としては子どもを乗せて走るのは禁止されてしかるべきですね。でも、今まで半ば黙認されていたのは、やむにやまれぬ必要があると誰もが認めていたからでしょう。
面と向かってそのことに白黒つけようとする必要が、あるのか?
・・・・・あるのでしょうね。危険と隣り合わせの乗り方であることも確かだからです。私自身も、一度横倒しになったことがあります。車の通らない道で、しかもゆっくりだったので大事には至りませんでしたが、確かに危なくないとはいえません。でも、乗せる親も危険を承知で最大限の注意を払って乗せているはず。

見直しは、即、禁止ということではなく、安全が確保されているなら認めようという動きだと聞きました。ただし、今の市販の幼児用のかごではなく、もっと安全性の高い装置が求められているようです。例えば、前輪が二つあるもの。もしくは、ヨーロッパで普及しているような前にバレーボールのボール入れのような大きな袋の付いた自転車。紹介されている映像では子どもたちが楽しそうに乗っていましたが、どうも軽やかさに欠けるように見えました。なんと行っても、自転車の良いところは、小回りが効く所です。日本の狭い道では方向転換も難しいのではと心配です。これから、どんな工夫がされていくのか興味深いところです。開発された自転車に乗って見たいですが、もはや二人の子どもを乗せて街を疾走する自信がないのが残念です。

しかしながら、安全性という面からは、どんな形であれ二輪で覆いのされてない自転車は四輪の車にはかなわないでしょう。少子化対策にさまざまな策が講じられていますが、小さな子どものいる家庭に軽自動車一台進呈なんてこと、無理でしょうね。車の量を増やすことにもなるでしょうし。でも、本当に車が必要な人たちというのは、小さな子どもがいる人や、お年寄りの面倒を見ている人たちのはず。朝の通勤ラッシュに出会う一台に一人ずつしか乗っていない車のうち、本当に車を必要としている人の数は一体どれくらいなのでしょう。そういう方々にバスや電車に乗り換えてもらえば、車の量も減らせるはず。これからは、必要な人は必要な時に車に乗る。そういう考え方で車の量を規制していくのもありなのではとも思います・・・・・が、ううむ、絶対に無理でしょうねぇ。それに、自転車の便利さに、軽自動車といえどもかなりかさばる車が対抗できるとも思えません。見事に机上の空論ですね。せめて、歩道とともに自転車道を確保できるように道路の整備をして、今のままの装置でも安全に自転車を走らせることができるようにしていければと思います。子どもを抱き上げて乗せる時にしっかり安定するスタンドの開発など、いっそう安全性を高めることも大切でしょう。そのうえで、呼びかけられているように子どもにヘルメットをかぶせて乗せるということも、面倒だけど実行していかなくてはならないのかもしれません。

自転車を乗せて走るのは、実用性もさることながら、なかなか楽しいものでもあります。もはや、そういう楽しさを味わうことも無くなった身ですが、小さな子どもを乗せて二人乗り三人乗りで自転車を利用する方々の安全を願い、そんなことをあれこれ夢想していました。

かみおろし

2008年03月06日 | Weblog
不思議な風習の話を聞きました。
といっても、この辺りでは行われていないだけで、その地方ではごくありふれたことなのかもしれません。

その風習とは、お葬式の後、かみおろし・・・いわゆる降霊というのでしょうか、の出来る才能を持つ人を呼んで、親族関係者一同揃う中で、その人(=霊媒師?)を通じて亡くなった方のお話を聞くというものです。
その話をしてくれた彼女は、去年お母さんを亡くされた時に、その儀式?を経験したそうです。その時に亡きお母さんから聞いた話がきっかけで、彼女はこのたび人生の分岐点で大きな決断を下すことが出来たと話していました。ちょうど体調を崩していたことも一緒に言い当てられたのが、大きかったようでした。
なんとも不可思議な話ですが、亡くなった方ともう一度話したいという身内の切なる思いを汲み取った慣習でもあるのかなと思います。
それが本当に、亡くなった方からのメッセージだということは誰にもわかりませんが、心残りの部分を埋めてくれる助けになるものであることは想像できます。
旅立つ方が残していかれた靄のようなものを敏感に感じて増殖させる才能がある方がそういう役目を負っているのかもしれません。

遺言を残して逝かれる場合とも違う、後々まで深く心に残る言葉を聞くこともあるのでしょうね。残された人たちが精神の平衡を保つ仕組みを、葬儀の中に組み込むという知恵を昔の人は自然に身に着けていたのかもしれません。
ともあれ、新しい生活を踏み出すことになった彼女が、亡くなったお母さんの心配を晴らすように、これから強く明るく楽しく生きて行かれることを願わなくてはなりません。

ぐわっし!

2008年03月05日 | Weblog
だーーーーーっと200メートルくらい走っていって、穴を掘って頭を突っ込んで「馬鹿~~~~!!!」と叫びたくなる事が、たまにあります。それが、久々に昨日。

まあ、2、3年は身もだえしてバツが悪いけれど、50年もすればもう誰も覚えてないな、かっこ悪いことも。

ステップ登って、風に吹かれて・・といい気になっていたら、思わずすくわれた足元。少し視界が広がると、それだけいろいろ見えても来るし。発見するのは、未熟な己が姿。ああ、でも若い頃と違うのは、至らない自分を素直に認められること。
剥きになって、いきがっていたのが不思議なほど。まったく、そうでございました。馬鹿です、間抜けです、おっしゃるとおりです。



くさっていたら、思いがけぬ朗報!
「かもめ」。
明日から、大阪の先行チケットが発売される藤原竜也くんと鹿賀丈史さんの舞台が、夏に広島でも上演されるのだそうです。
うれしいなあ~~
どうも・・・どうもです。



2008年03月04日 | Weblog
歌手の人の息継ぎが気になる性分です。
腹筋で息を吸い上げると音はしないと固く信じていたせいもあり、胸のところで吸い込まれる音は邪道ではないか・・などと不遜にも思っておりました。
それが表現の一つで、その歌手の方の特徴でもあり、むしろそれがあるほうが次の展開が想像できて望ましい・・という説もあるようなので好き好きだとは思いますが、私はどうも苦手なのです。声も歌い方も好きな歌手の方でも「・・、はぁっ」と力強く息を吸い込まれる音が気になり始めるとそればかりに注意がいってしまいます。息継ぎというか、吸う息が気になるのです。
逆に、吐き出す息は、気にならないどころか好きなのですが・・。ですから息の音自体が嫌いということでもないのですね。

吐き出す息の代表選手?は、ミスチルの桜井さんでしょうか?
最近彼の息遣いに気が付きました。歌詞の最後で、息吐いてるよ~。
しっかり吐き出してしまうので、一瞬で空気が吸い込まれていくのか、意識的に力を込めて吸い上げる音は聞こえません。泳ぐ時の呼吸法に似ているのかもしれません。水中で全部吐き出してしまうと、水面に口を出した瞬間はもう空気を吸っています。水面に顔を出して息を吐きだすのは遅いと教えられました。
吐き出してしまうともう吸うしかありませんね。

息継ぎが聞こえるほど吸えるということは、もしかして全部息を吐き出していないから吸える余力があるのかしら?
解明されても、何がどうというわけでもないですけれど。


ひな祭り

2008年03月03日 | Weblog
今年も何にもできなかったけれど、せめて少しは華やかに。


あわしま堂の桃の節句にちなんだお菓子。あと一つ残っていたのを運良くGETしました。
あとは桜餅とイチゴを添えて・・・。
散らし寿司はありがたい到来物。できれば、蛤のお吸い物を添えて・・・と思っていましたが、時間が遅かったせいか、いつものスーパーには蛤の姿はありませんでした。例年は、それでも売り場の痕跡は残っていましたが、今年はそれすらも見当たりません。
なぜなら・・・。
蛤は、大半が中国産だったからなのです。
大粒の蛤が氷の上に山積みされて売られていたのが嘘のようです。国産はとても貴重品。広く行き渡るに十分な数の確保は始めから無理だと思われます。でも、おひな祭りには蛤のお吸い物を是非!という消費者の要望に応えてくれていたのが中国産の蛤でした。でも、いまや、中国産はそれだけで眉唾物とさえなりました。
売れないものを仕入れてくるわけにはいかなかったのでしょう。
さて、来年は如何に?

中国産の筍の水煮も売れ行きがさっぱりなのだそうです。このあたりでも荒れていた竹林を整備して筍を出荷しようとする試みが伝えられてきます。風が吹けば桶屋が儲かる方式のドミノ倒しがこれからも続いていくのでしょうか。それとも中国の巻き返しがなるのか?

風といえば、黄砂!!!
もう、これは大迷惑です。
でも、最近の量の増大は日本にも遠因があるのだとか。カシミアを愛好する日本人向けに輸出を増やすために、大量に草原の草を食べつくすカシミア山羊の飼育が盛んになっているということです。ドミノのコマが倒れていく進路も複雑な迷路になっているのかもしれません。

私見

2008年03月02日 | Weblog
仕事をしていると、そのほとんどは、自分の至らなさを発見する汗汗、冷や汗っの日々なのですが、時々、はたと少し高いところに登れたのかも・・という満足感に似たような思いを感じることがあります。
物忘れ、感違い、段取りの悪さ・・いろんな障害を乗り越え、よろよろ歩きながらも、時折そういう丘に登れると、しばし吹き渡る風に身を任せ、眼下の景色に心を遊ばせたい・・ような心境にかられます。

階段のフラットな面をあてどもなく一歩一歩歩みを進めていくと知らないうちに次のステップに上って行ける事もあるのだなあと。それが、かなりの年齢!?になっても可能だということ。自分の能力が衰えていくことを憂い、成長の望めない先細りの将来を悲観していた時に、どこからともなく現れた淡い希望の光。
まだまだ行けるかも・・?

そうです。まだまだ行かなくちゃ行けません。
日々の薄皮のような積み重ねが、やがて単なる垢ではなく「身」になっていることもあるのです(多少?意味不明ですが)。

新しいことはなかなか頭に入って来ませんが、まったく取り込み不可能ということもなし。
ざるに投げ入れるが如し・・と思っていても、いつかざるも目詰まりを起こし、入れたものが引っかかるようになることもあるでしょう。そうすればしめたもの。少しずつ入れていけばざるも壊れずに中身を貯めることができそうです。

すなわち、少しくらい年を取っていても、人間、やる気になればそれなりに成長していけるのではないでしょうか。少なくとも進歩を諦めることはないのではないでしょうか。頭の柔らかい若いうちに将来の準備を万端に整えておければそれに越したことはないのでしょうが、いろんな状況でそれが可能でなかったとき、ある程度の年齢までは、自分からすでに遅しと早々と諦めることもないのだと思います。

家庭の中で育まれる幸せはかけがえのないものですが、人とのかかわりの中でやりがいのようなものを感じる充実感もまた捨てがたいものです。仕事と家庭とのバランス。その両方をうまく保っていくことは至難とはいえ、不可能と諦めるばかりではふがいありません。

女性の場合、多くは出産・子育て(これは、男性にも?)という、どうしてもそれに主に時間を割かなければならない時期があります。できれば、うんと若いうちに子どもを持ちたい人は子どもを生み育て、早くに手を離した後に仕事に復帰する。
育児に専念したい気持ちに後ろ髪を引かれながら、保育園と家と職場をせわしなく飛び回っていくのではなくて、子育てに取り組みたい時は仕事を辞めるか中断してそれに専念する。そして、ある程度子どもが大きくなったら、職場に復帰して、あらためて教育を受けて自分の能力の大半を仕事に注ぐ。そういう配分で生活できたらと、空想するようになりました。私の場合、かなり年齢が上がってから結婚し出産したので、中途半端な時間配分になってしまいましたが、極論すれば10代での出産も将来の有効な時間活用という点では望ましいのかもしれません。とはいえ、パートナー選びに費やす時間も大事な時間なので、無理な計画は単なる空論でしかありませんが・・。
とはいえ、そのような時間の使い方が即可能になるとは思えません。周囲の環境があってこそ個人がそういう生活のパターンを選んでいけるのでしょう。その環境が整っていない状況では、まだまだ個人レベルでその状態を作り出さなくてならないのでしょうが、若いうちから完璧に生活設計ができているとも思えません。
できれば、企業の中で、何らかの中断の後に職場復帰することが可能な勤務体系が整えられるていくことが手っ取り早い解決方法ではないかと思います。売り手市場といわれるこの時期、学生にそういう観点からアピールするところが出てきてもいるようです。けして、子育ての終わった(本当は、死ぬまで気にかかっていくのですけど)女性は、教育しがいのない人材ともいえません。
日々の大半は、ため息をつきながら仕事をしている身なので大きなことは言えませんが、力は秘めています。再教育システムを整備して、有用な人材として活用されるべくどうぞ前向きにご検討ください。
って、・・・・誰に向かってお願いすればいいのかしら。




顔で判断!?

2008年03月01日 | Weblog
【たばこ購入者年齢、顔で判断 '08/3/1】

 呉市内のたばこ小売店に、内蔵カメラに映る顔から購入者の年齢層を判別する「顔認証機能付き自動販売機」が登場した。中国地方で5月から始まる自販機の成人識別機能の義務化を受け、利用客に購入方法の選択肢を広げてもらう。京都府の自販機メーカー「フジタカ」が開発。目や口の周りのしわなどから年代層が約3秒で判定できるという。20歳前後と識別すると差し込まれた運転免許証の生年月日で照合する。

今日の中国新聞のローカルニュースです。
広島市の東に呉市という街があります。古くは軍港として栄え、戦艦大和もここで建造されました。少し距離がありますが、出かけて試してみたくなりました。
ためらうことなく瞬時に出てくると、八つ当たりしそうです

自販機でタバコを買うには認証カードを作らないといけない、というシステムが始まるそうで、某ブログ主さんも(話の種に?)カードを申請中とのことですが、知り合いのタバコ店のご主人は、このところポラロイドカメラ片手に該当者の勧誘に奔走中です。タバコは今のところ必要はないのですが、今後アルコール類も同じ運命になった時には、カードを作ることになるのかな?
そういう場合も、この顔で判断する機械が登場するのでしょうか?

「人間顔じゃない!」ってずっと思ってきましたが、人間やっぱり顔なのか・・・?

販売を拒否されても、妙に嬉しかったりして。
そういう状況は、史上初めてかもしれません。