
まず、個人的な好みの話だけど、ヤンとラインハルトどちらが好きかと訊かれれば、ヤンである。それはやっぱり戦術的な活躍シーンの多さが原因かもしれない。ラインハルトは本伝において、戦術的な見せ場というとアスターテくらいで、後は戦略面での天才ぶりは目立つが、戦術はしごくまっとうな印象しかないからだ。まぁそれがラインハルトの長所なんだけど。
ただ、外伝のラインハルトは別。ヤンと外伝のラインハルトを比べたら後者の方が好きなのだ。それくらい外伝のラインハルトは魅力にあふれている。といっても外伝と本伝で、彼の性格が変わったわけではないのだが、本伝はほとんど民主国家との戦いがメインなのに対し、外伝はほとんどが帝国の旧勢力との戦いだからだと思う。前者が純粋な戦争だとすれば、後者は権力に対する革命的闘争と言えるのではないだろうか。まぁそういう理屈は抜きにしても、外伝、特に白銀の谷から、OVAオリジナル外伝と第3次ティアマト会戦くらいまで含めて、作中でのラインハルトのセリフはかっこいい。
次に2人のそれぞれの補佐役について述べてみよう。
ラインハルトの補佐役といえば、キルヒアイスがいる。そして政務と軍務についてはヒルダやオーベルシュタインなど多士済々だ。皇帝となってからは、得意の戦争もミッターマイヤー、ロイエンタールに任せて、それをブリュンヒルトから眺めている、という感じがする(言い過ぎだけど)。公私にわたって有能な補佐役に恵まれた。これは帝国の人材の豊富さを物語るとともに、ラインハルトの主君としての資質も関わっていると思う。
逆にヤンには真に補佐役と呼べる人物がいただろうか?例えば戦術におけるメルカッツ、アッテンボローにしろ、デスクワークにおけるキャゼルヌにしろ、実務的な補佐役ではありえたが、ヤンにアドバイスなどをする存在ではなかった。ユリアン(私生活においては有能な補佐役だが)、ムライ、シェーンコップも同様である。こと戦略面についてはヤンは孤独だ。彼の死後にユリアンが言ったように、戦う理由も、戦った後のこともすべてヤンが一人で考えていた。
また、ラインハルトにとって、アンネローゼやキルヒアイスが精神面での依存ができる相手だったのに対し、ヤンにとってのフレデリカは依存できる存在であったと言えるだろうか?細かいところを見れば依存がまったくなかったとは言い切れないが、たぶんいなかったとしてもヤンは平気だっただろう。精神面での依存をヤンは誰にも求めなかった。
無論、ラインハルトは皇帝であり、その職務は多岐にわたるから政務・軍務での補佐なしではやっていけないから、補佐役が出てくるのは当然である。だが、仮にヤンが同盟元首だったとしたら有能な補佐役は不可欠だったのだろうが、それでもなお、戦略に関する部分は他人を必要としなかったのではないだろうか。せめてビュコックがヤンの部下であったなら、有能な補佐役たりえたかもしれないが。
ヤンは性格も頭脳も成熟しきっていたから、補佐役を必要としなかったのかもしれない。また、変な仮定だが、ヤンにアンネローゼのような姉がいたとしても、やはり依存はしなかっただろう。そのかわり、ジャン・ロベール・ラップが長生きしていればどうなったかはわからない。
家庭環境においては、ヤンとラインハルトは似ている。ともに母を幼い時に亡くし、父を青春時代に亡くしている。これは2人の人物を構成するうえで、親の存在が邪魔だったから都合上そうなったのかもしれない。まぁそれはともかく、男は必ずといっていいほど、若いときに父を超える必要があるのだが、その点、ラインハルトは旧帝国体制がその対象であった。しかしヤンには皮肉なことに彼の憎んだ政治家たちを守る立場にあったから、父性の超克という過程は経なかった。もっとも、ヤンは父を失ったときからなんか悟ったような感じがあったから、必要なかったのかもしれない。あるいは地上よりも恒星間航行の方が長い生活を送っていくうちに気宇な性格が養われたのかも。
後継者という点ではどうだろうか。
面白いことに、ヤンには立派な用兵学上・あるいは思想上の後継者がいるが血縁的な後継者はいない。そしてラインハルトは逆である。彼の思想を受け継ぐ人間はいなかったし、ラインハルトの天才は、常人に真似できるものでもなかった。はたしてどちらが幸福なのだろうか。もっとも、ラインハルトの思想はローエングラム王朝という体制そのものには残っていたかもしれないが、皮肉というか、アレキサンデルが後を継いだ時点で否定してしまったようなものである。まぁ残された人間にとってはそれが最良の選択だったのだが。
死生観については2人は結構にている。
ヤンは、元々人間のできることには限りがあると割り切っていたのと同様に、自分のサバイバル能力に対してはそれほど自信もなかったようだし、ここで死ぬなら仕方ない、とも思っていた。ただ、「あまり死にたくはない」とは言うが。もちろん誰でも死ぬのは嫌だし、ヤンだって、できることならのんびり長生きしたいと思っていただろう。ただ、どんな時でも死ぬのは仕方ないという諦観みたいなものを持っていた気がする。
ラインハルトもこれに似ている。キュンメル事件での、キュンメル男爵とのやりとりはまさにラインハルトの死生観を表現しており、護衛を増やすよう部下に言われたときも、「暗殺されなければ不老不死でいられるのか」と一喝して退けるあたり、超然としている。ただ、ラインハルトの場合、無為に燻ったまま長生きするよりは華々しく燃え尽きて死にたいと思っている部分があったのは明らかだ。その点、ラインハルトがあの時点で「命数を使い果たした」のは必然という気がしないでもない。
2人の違いについて、面白い点がみられるのは女性観・恋愛観。
有名な話だが、ラインハルトはまったく女性の外見に興味を持たず、かつて若い貴族の女性たちに言い寄られた時もまったく相手にしなかった。皇帝になってからは、宮内尚書が気を利かせて皇帝の寝所に美女を送り込んだが、すべて丁重に引き取ってもらったという。思考と情念のすべてが自分の覇気と軌を同じくしているのだろう。結婚や世継ぎを残すことについても無関心だった。マリーンドルフ伯が推測したように、情緒は少年のままなのだ。
逆にヤンはというと、ジェシカに惚れていたところをみても、いたって普通と言っていい。ガールフレンドがほしいと言ったこともあったし、プロポーズも自然に自分からしている。ラインハルトのように義務感からしたプロポーズではない。ただ、それほど欲求が多いわけではないから、エル・ファシルの英雄ともてはやされた時が彼女を作る最大のチャンスだったが結局作らなかった(と思う)。もっともジェシカに惚れていたという理由があったのだろうが。初恋の人があんな死に方をしたのはかなり不憫だ