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【小倉百人一首】79:左京大夫顕輔

2014年08月23日 03時30分08秒 | 小倉百人一首
左京大夫顕輔

秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ

本名は藤原顕輔。崇徳上皇の命により六番目の勅撰和歌集である『詞花和歌集』を選進した。この『詞花和歌集』では平安中期の歌を重点的にとりあげており、最多入選は曾禰好忠の17首、ついで和泉式部の16首となっている。
左京大夫とは京の左京(地図上では東(右)側。玉座からみると左側になるため左京という)の行政を執行する官位で、右京大夫の方は室町時代に細川家の世襲となった。左京大夫は戦国時代には売官の対象となり、多くの戦国大名がこの官職を名乗っている。

【小倉百人一首】78:源兼昌

2014年08月23日 03時25分04秒 | 小倉百人一首
源兼昌

淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守

名臣といわれた源雅信を始祖とする宇多源氏の出身。ちなみに雅信の娘・倫子が藤原道長の正妻であるため、雅信の系統は摂関期に栄えることになる。ついでにいうと、雅信から倫子に譲られた土御門第は後に道長を通して藤原氏の重要拠点となる。
歌に詠まれている須磨といえば『源氏物語』。光源氏が右大臣の娘で、朱雀帝に入内している朧月夜と逢瀬を重ねていることが発覚し、進退窮したとき(自業自得だが)、政界を引退してその地に住んだというエピソードから知名度があがった。また、この歌自体も、須磨で光源氏が詠んだ

 友千鳥 もろ声に鳴く暁は ひとり寝覚の 床もたのもし

が元ネタになっている。ただし兼昌自身はこの歌を須磨で詠んだわけではなく、歌合の際に出題された「関路ノ千鳥」から詠んだ。

『源氏物語』でもわかるとおりこの地は田舎に過ぎず、流刑先でもあり在原行平もこの地に流罪にされている。また、後に源義経が平家の軍勢を破った一の谷もこの地にある。
ちなみに『源氏物語』ではこの須磨で明石入道の娘と源氏が逢瀬を重ね、後に生まれた娘が今上帝の中宮となった(明石中宮)。