ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

大阪キタ・ミナミとネコさん

2013年10月25日 22時06分18秒 | 訪問地周辺散策

大阪に出張でした。一日目は堂島にある施設の訪問です。ちょっと早めに出てキタを散策しました。キタというと曽根崎警察という感じがしています。次が近松門左衛門の曽根崎心中のお初天神(露天神)です。『曽根崎心中』は、元禄16年4月7日(1703年5月22日)早朝に大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ(本名妙、21歳)」と内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」が西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件を題材にしています。この事件以降、露天神社はお初天神とも呼ばれるようになりました。「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」で始まる、お初と徳兵衛が命がけで恋を全うした美しい人間として描かれています。当日は何かの撮影をしていて、皆が振り返ってみていました。境内にいたネコさんです。

北新地を抜けて堂島アバンザに向かいました。

この裏手にこんなものがありました。堂島薬師堂は古く推古天皇の時代から当地にあったと伝えられ、「御堂のある島」=「堂島」が由来であるといわれています。戦後、毎日新聞社が増築した際、敷地内に祀られていた薬師堂を敷地東向いの社有地に移設しました。そして、堂島アバンザを建設するにあたり、奈良・薬師寺と地元の堂島薬師堂奉賛会の要請もあり、かつてあった場所に戻ったのです。

 
この周辺にもネコさんがいるらしくネコに餌をやらないでくださいと書いてありました。

1匹出てきて木の陰に入りました。

二日目は南船場で会議でしたが、宿から難波に向かい、こちらは3度目になる法善寺です。苔に覆われた水掛不動さんここにはネコさんが5~6匹ほどいました。賽銭箱に乗っているネコさんは舌が出ていました。今年の2月に行ったときは社がありその上にネコさんが乗っていましたが、社が取り払われていました。社の所にいたネコさんは手持無沙汰のようでした。その奥にもいました。

こちらにもいました。

こちらは法善寺横丁です。ここ来るときはいつも雨のような気がします。歌詞です。この歌が強烈な印象でどうしてもここに来てしまいます。

難波の駅に戻ったら、ミナミのグランド花月には修学旅行の高校生が団体で入っていきました。

かに道楽の本店戎橋から道頓堀です。


心斎橋筋商店街を歩いて目的の南船場に向かいました。

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