三島の施設、2年ぶり3回目の訪問です。
ランドマークとしては重要な三島大社に再度寄ってみました。
今回は正面の鳥居から入りました。大鳥居です。
神社のHPに由緒書きがありました。
★ランドマーク三島大社:「御創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。三嶋神は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期「延喜の制」では、「名神大」に列格されました。社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られています。頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。」ということだそうです。
入った右手に頼朝の旗揚げの碑がありました。
★源頼朝旗挙げの碑:治承四年八月十六日源頼朝は、北條時政を招き旗挙げの相談をし「先づ八牧判官兼隆を夜討ちにすべし急ぎ相計へ」時政「但し今夜は三島社の御神事にて、国中には弓矢とる事候はず」(源平盛衰記)との意見を入れ、十七日夜討と決定した。十七日藤九郎盛長を奉幣使として戰捷を祈請し(東鑑)旗挙げに成功したのである
二日後、すなわち八月十九日報賽のため神領寄進の下文を寄せた。現在この下文は宝物として社蔵されている
三嶋大社宮司原勝治撰
同権宮司渡邊清次郎書
参道は枝垂れ桜が並木になっていました。左手の赤い社は神池に浮かぶ厳島神社です。
これは総門です。
中に入ると神門があり、神門を入った右手に
樹齢1200年と言われる天然記念物のの金木犀木です。
★三島大社金木犀:昭和9年5月1日、文部省告示第181号により、文部大臣から国の天然記念物の指定を受けました。
学名は薄黄木犀(うすきもくせい)。薄い黄色の花をつけ、甘い芳香が特徴です。樹齢は1200年を越えると推定される巨木で、現在もっとも古く、かつ大きなモクセイとして知られています。円形に広がり、地面に届くほど垂れている枝先がこの木の生きた歳月の長さを物語っています。
薄黄色で可憐な花は甘い芳香を発し、それは神社付近はもちろん遠方までにおよび、時には2里(約8キロ)先まで届いたと伝えられています。
正面に舞殿と本殿です。
これれは、重要文化財になっているようです.
★ランドマーク三島大社本殿:1854年(嘉永7年)11月4日の東海大地震によって、三嶋大社の建物のは悉く倒壊した。神主だった矢田部式部盛治は、10年の月日を費やして復興に努力し、1866年(慶応2年)9月9日に総欅造の本殿が完成した。本殿の妻飾りや、幣殿と拝殿との接合部などの形式や細工に趣向が凝らされ、江戸時代末期の装飾豊かな複合社殿として価値が高いものだそうです。(国重文)。
境内には大木がありましたが、
この木は祀られていました。