都立大学駅前にある施設を訪問しました。少し早めに会社を出て、周辺を散策しました。先日は都立大学の跡地にある施設でセミナーに参加したので、ある程度土地勘がありました。その時に行けなかった常園寺から散策しました。山門です。
徳川家康が江戸入りした天正18年(1590)に創設された寺だそうです。
説明書き
寺伝によれば、小杉山常圓寺は天正18年(1590)日信上人を開山として開かれた日蓮宗の寺です。山号寺号は開基の小杉甚七(法号、本理常圓信士)の姓と法号に由来します。
寺宝の「釈迦如来涅槃之図(大涅槃図)は縦107㎝、横220㎝の大きな掛け軸で、釈迦が涅槃(臨終)に入るときの場面が描かれています。これは碑文谷法華寺(現、円融寺)に納められていましたが、当時開山の際に移されたと伝えられています。毎年2月15日の釈迦涅槃会にて開帳され厚い信仰を集めています。
他に、日蓮宗の開祖日蓮聖人が自ら彫ったと伝わる「剣難除祖師像(けんなんよけそしぞう)」や本堂手前左の妙見堂には妙見菩薩像及び七面天女像が安置されています。
境内の雌株の大銀杏は樹齢およそ300年の大木で、目黒区保存樹林第一号です。 昭和21年3月 目黒区教育委員会
実は実家のお寺さんには釈迦如来涅槃之図掛け軸がありました。盆迎えの時お寺さんでよく見たものです。こんな絵だったように思います。いい加減な記憶ですが、雲の上の上人が巾着に入った薬?を落としたが木にかかってしまい(左手の月の下にある赤い巾着?)、それをネズミが取にいったところネコに食べられてしまって、お釈迦様は生き返らなっかた。十二支にネズミが最初でネコが入っていないのはこのことがあったからだと子供のころ聞かされたものです。
墓地の入り口右手の小さな祠がありました。広島と長崎の原爆物故者の供養がされていたので写真を撮ってみました。調べて見たら、
広島被爆 子育て地蔵尊のいわれ(地蔵堂の説明板より)
このお地蔵さまはかつて広島市細工町(現在中区大手町)の西蓮寺にお祀りされていた子育て地蔵尊です。そこは昭和二十年八月六日に投下された原爆の爆心地から、わずか百米たらずの場所でしたので爆風で倒れた塀の下敷きとなりましたが、奇跡的に美しいお顔だけが残りました。その後目黒区八雲に住む故・村山有氏が譲り受け、そのご縁で昭和二十年代後半から当山にお祀りされています。毎年八月六日には立正安国の教えにもとづいて世界の平和を祈り、お地蔵様と被爆物故者の方々の為に、ご供養の法要を営んでおります。
維持 平成十七年八月六日 小杉山
本堂
大いちょう
保存樹 いちょう 第10号 この樹木は「都市の美観風致を維持するための樹木の保存に関する法律」に基づいて指定された保存樹であります。 東京都知事
「我、深く汝等を敬う」と記されています。ひたすら相手を敬い、一心に祈り、合掌する、「但行礼拝」の常不軽菩薩像とあります。
妙見堂
本堂の左手前に妙見堂があちます。妙見堂の脇には、妙見菩薩と七面大明神の説明が書かれた案内板が立っていました。
「犬も歩けば棒にあたる」ではありませんが、行ってみるといろいろな出会いがあります。