ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

江戸城跡

2015年01月27日 21時42分49秒 | 訪問地周辺散策

東京駅の八重洲口にある施設を訪問しました。少し早めに会社を出て、反対側の丸の内方面にある江戸城跡に行ってみました。江戸城(えどじょう)は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にあった城です。江戸時代は江城(こうじょう)という呼び名が一般的だったと言われています。また千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれようです。

江戸城は麹町台地の東端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城です。近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になったそうです。

徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となりました。明治維新後の東京奠都で宮城(きゅうじょう)となりました。以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっています。そ

の東側にある旧江戸城の中心部である本丸・二ノ丸と三ノ丸の跡は皇居東御苑として開放されています。南東側の皇居外苑と北側の北の丸公園は常時開放され、それらの外側は一般に利用できる土地になっています。

堀の鳥たち

渡り鳥で無い白鳥です。

前回も寄ったのですが、二重橋まではいかなかったので、今回は訪れてみました。これが二重橋だと思っていましたが、調べて見たらこちら下の橋のようです。奥に見えるのは伏見櫓です。

上の橋は皇居の入口に石で造られた手前の「正門石橋」で、下の写真、奥の「正門鉄橋」という橋が「二重橋」ということのようです。ただ一般的には両方を二重橋と言っていつようです。二重橋から続く二重橋濠です。二重橋の前には多くの観光客がいましたが、ほとんどが中国の方々だったようです。こちらは巽櫓です。

巽櫓は本丸から見て東南(辰巳)の濠の角にあることから名づけられました。
この巽櫓も伏見櫓や富士見櫓と同じように、関東大震災で損壊したのちに解体して復元されたものです。桔梗濠と桔梗門です。桔梗門は皇居参観者や勤労奉仕者などが出入りする門で、「内桜田門」と呼ばれていますが、昔この門の瓦に太田道灌の家紋が(桔梗)ついていたことから桔梗門と呼ばれるようになったとも伝えられているようです。

蛤濠です。蛤濠の内側が、江戸城の本丸になるようです。現在で言うところの東御苑です。本丸防衛のため、やや水深の深い水濠になっているそうです。

坂下門です坂下門は江戸城西丸造営直後に造られたと伝えられています。西丸大奥に近く、西丸の通用門として利用されていましたが、今は宮内庁の出入口として利用されています。文久2年(1862)1月、老中安藤対馬守がこの門外で水戸浪士に襲われた「坂下門外の変」は有名です。

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