ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

亀戸天神・梅の花

2016年02月20日 15時10分32秒 | 季節の花

リハビリ病院から一時帰宅しています。今日は車の迎え(息子の仕事)の都合で、病院の朝食後自宅に戻りました。午後から雨のことということで、リハビリを兼ねて二本杖で歩いて、近くの亀戸天神に梅の花を見に行ってきました。2月13日から梅まつりとなっていますが、まだ満開には間があるようです。正面から入るのは階段があり手すりもついていないので、迷いましたが、思い切って入ってみたらどうにか入ることができました。さすがに太鼓橋は大変と思い左手から回っていきました。左のすぐの梅はまだ3分咲きというところでした。奥のしだれ梅が咲いていたので太鼓橋をバックに撮ってみました。呉服枝垂れというようですね。その次も結構咲いていました。青軸梅です。左手から本殿に向かいました。本堂前の梅は五分咲き程度でしょうか。本殿の後ろにスカイツリーが見えます。参拝客や梅見客はぼちぼちというところでした。

東側から太鼓橋です。先々週よりは目の前の梅が咲いていました。こちらも枝垂れ梅結構咲いています。石碑がありました歌川豊国の碑でした。豊国について調べてみました。

初代 歌川豊国(しょだい うたがわ とよくに、明和6年〈1769年〉 - 文政8年1月7日〈1825年2月24日〉)とは、江戸時代の浮世絵師。本名は倉橋 熊吉(くらはし くまきち)、後に熊右衛門。一陽斎(いちようさい)と号す。

  • 二代目豊国 : 豊国門下の歌川豊重が豊国の養子となり、死去に伴って二代目豊国を襲名した。通称「源蔵豊国」。別号に一陽斎、一瑛斎、後素亭。作品に「風流東姿十二支」、「名勝八景」など。
  • 三代目豊国 : 同じ豊国門下の初代歌川国貞が弘化元年(1844年)に重ねて二代目豊国を称した。

初代歌川国貞

  • 四代目豊国 : 国貞の門下ではじめ二代目歌川国政、後に娘婿になり二代目国貞、明治3年(1870年)に国貞に続いて三代目豊国を称し騒動となったが、今日では四代目豊国とみなされている。通称は政吉、清太郎。別号に梅堂、一寿斎、梅蝶楼、香蝶楼、一陽斎、宝来舎。

心字池に行ってみます。

小さい梅の木が花をたくさんつけていました。

池にかかる橋のところの梅です。中の橋のところの梅です。雲行が怪しくなったので、傘もなく二本杖なので帰りを急ぐことにしました。団地に戻るといい匂いがしてきました。途中途中でも匂っていたのですが、ようやく正体がわかりました。チンチョウゲでした。

コメント
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