ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

亀戸天神・青空と梅の花

2016年02月27日 18時00分58秒 | 季節の花

リハビリ病院をを抜け出して、金曜日の夜から2泊三日で一時帰宅しています。午前中は先週に引き続き亀戸天神に梅を見に行きました。今回は入以後初めて自転車に乗ってみました。とりあえずうまく乗れたので一安心です。前回2回と、大好きな違って抜けるような青空でした。入り口の所の壁には梅の花があしらってありました。前回より花が多くありました。梅の花は桜と違って一挙に咲くのでなく、いろいろな種類がだらだらと咲いている感じです。鹿児島紅は満開でした。

太鼓橋の前の紅白の梅も咲き始めています。

抜けるような青空とスカイツリーもなかなかいいです。

こんな石灯籠がありました。塩原太助が奉納したものと書いてありました。少し塩原太助について調べてみました。

ウイキペディアでは:「塩原太助(しおばら たすけ、寛保3年2月3日(1743年2月26日) - 文化13年閏8月14日(1816年10月5日))は、三遊亭円朝の「塩原多助一代記」で有名な江戸時代の豪商。幼名は彦七。裸一貫から身を起こし、大商人へと成長。「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」と歌にまで詠われるほどの成功をおさめた。こうしたサクセスストーリーが、多くの人々の心をつかんだ。戦前には立志伝型人物として教科書にも登場した。」と書いてありました。

「塩原多助一代記」-しおばらたすけいちだいき-

 圓朝の代表作.奥日光の実地取材は,「上野下野道の記」として残される.怪談噺として取材を進めるうちに,実在の塩原太助をモデルとした立志伝に変わってきた.明治18年出版.倹約と忍耐の末,出世をとげるストーリーが明治人の心をとらえ,大ベストセラーとなる.修身の教科書にも取り入れられ,岩波文庫にもなっている.圓朝の心は怪談にもあったらしく,続編では塩原家の没落がはじまる。塩原太助生家群馬県沼田には青との別れの像があります。

また歌舞伎になったりしているようです。標識の奥に咲いている花です。

とにかく抜けるような青空と梅の花のコレボは良かったです。午後からは風が強く雲の出てきて、午前中の散策で幸いでした。

コメント
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